肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2023年10月27日金曜日
天地一体
天は原因、地は現象。
見えるものはすべて天の創造原理によって形態が現象化され、地上界に現象化されている。
天がなければ地の現象は現わすことはできない。
天と地は別々ではない。天が地を顕しているだけなのである。
天が地を顕しているものを現象である人間は自分で生きていると勘違いをしてしまっている。
この分離感が対立、争いを起こしている。
この分離感が迷いの根源である。対処療法で治そうとしても治すことはできない。
この善悪の木の実を食べ続ける限り、対立、争いはなくならない。
この善悪の木の実を食べなければ、対立、争いはなくなる。
お金はかからないのである。意識の切り替えだけが必要なのである。
人間はピノキオである
宇宙には原因、結果の法則がある。
見えるものは必ずそれを顕すものが存在している。
万象万物はすべて現象。その現象を顕しているものは宇宙の1つなる生命である。神とも云う。仏とも云う。
この生命によって形態が造られ、現象化している。この生命が形態に宿り、生命稼働をしている。生きているのは見えるものではなく、見えない生命が生きている。
人間も死ぬ時、生命と肉体は分離するが、生きている内は生命によって肉体は動かされている。肉体には何の力はない。ピノキオのように生命によって操られているのである。
生まれる時も死ぬ時も自分では決めることはできない。生命が引く時が死になる。
決定権は生命にある。生命は死ぬことはない。離れるだけである。
宇宙の法則
すべては1つ
生老病死は実在しない
宇宙には生老病死は存在しない。生老病死が存在するのは現象界である。幻想界にのみ存在する。
人間は実在しない現象結果であるにも関わらず、見える現象をあると信じてしまっている。
これが迷い道に入ってしまう原因である。
お釈迦様は生老病死の四苦の現象から入った為。仏教はどうしても現象から抜け出しずらい。キリストは天からお説きになられたが、仏陀は地からお説きになられているため、現象に囚われやすくなってしまっている。
キリスト教もイエスを崇めている。仏教も仏陀を崇めているが、誰もがキリストであり、仏陀なのである。皆、偶像崇拝になり、神、仏を外に求めさせられている。
神、仏を外に求めさせられる為に現象から求めるようになる。
原因、結果の法則であり、現象は結果であり、人間は現象、人間を顕しているものが本当の自分なのです。原因は神、仏である。自分の中に神、仏が宿っている。
外に求めるなかれ、汝の神、仏は汝自身なり。
外に神、仏を求める為の生老病死の四苦に囚われてしまうのである。
人類がこれを克服できれば地上天国を造ることができる。爭いのない天国の世界。
外に神、仏を求める為に対立、争いが起きる。宇宙は1つなる善の世界、現象界は分離感の世界。1つのものを善悪の分離にさせたのは人間なのである。