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2023年10月24日火曜日

心身一体とは


心身一体とは

大宇宙、人間小宇宙は同じ法則で動いている。
宇宙は1つなる生命体、中性である。
人間も中性である。心と肉体は別々のものではなく、2つで1つで動く。心と肉体が1体で動く。
現象肉体の能力を高めようと筋肉トレーニングを始めるが、心と肉体のバランスで力を使うことができる。宇宙は完全バランスであり、このバランスが力、知恵になる。
このバランスを取ろうとする時、自我からはバランスは取れない。自我という我を捨てた時、初めて無我になり、宇宙力が使える。人間の思考を停止させることで可能になる。
身体の動きも1つの動きである。真理は1つということを肉体の動きから感じとれる。
肥田式強健術は中心を作る動きであるが、すべての動きは1つの動きである。
中心なる意識で肉体を動かして行く。すべては内から外へ。中なる心と一体で動かす。

 

2022年11月20日日曜日

宇宙は1つなる法則、無限生命なり


宇宙は1つなる生命体
無限生命体
万象万物は1つなる無限生命の現象
すべての本源本質は
1つなる生命の法則があるのみ
1つなる永遠なる絶対バランス
万象万物は生命の現象であり実在はしていない
人間も然り
実在しない人間はないものをあると信じ、
1つなるものを2心で見
善悪の木の実を食べ続けている
永遠なる1つなる宇宙法則を無視し
 1つなる生命の原理を認めず
自ら自分の首を絞め
本当の自分に生きないで
消え行く現象の仮相の中に豊かさを求め生きている
すべては2つで1つ
本来の自分が仮相の自分を現している事に
気づこうとしない
宇宙は全知全能の生命エネルギーそのものであり
宇宙にはこれ以外何もない
人間は1つの宇宙の全知全能の知恵、力によって造られた
人間は宇宙の塵にて人間の形をつくり 息を吹き込まれたと
人間は宇宙の
知恵、力を引き出す為の器であり、顕現道具である
顕現道具が生きようとする為に間違いを起こす
顕現道具が人間の母なる羊水の中で造られる為
勘違いを起こしてしまう
宇宙にはたった1つの生命があるのみである
人間は1つなる宇宙生命の化身である
原因 結果の法則
原因がつくり主 結果は造られたもの
原因と結果は同じもの
我は造られたもの 宇宙はつくり主
我は人間ではなく宇宙そのもの
全ての原点は1つである
真理は1つである
外に答えを求めることなかれ 
全ての答えは汝の裡にあり
地球は人類が宇宙バランスを学ぶ為の小学校であり
この小学校がなければ中学校には行けない
自らつくる天変地異で
人類の小学校を崩壊してはならない
天変地異を防ぐ手立ては1人、1人が持っている
お金はかからない
人間は全知全能の宇宙意識の化身である
できないものは何一つない存在である
宇宙は神1元、無限生命が我である
神は外に居るのではない
宇宙法則そのものが神である
全ては宇宙法則によって造られ
法則の中で生かされている



鍛錬記ブログはこれにて終了に致します。

 

2022年11月13日日曜日

生命は法則なり、我も法則なり。


 生命は法則なり、我も法則なり。

宇宙は絶対バランス。バランスが生命であり、こ゚のバランスなくして生命が生まれることはない。
宇宙は原因なき、原因。初めから絶対バランス、絶対調和、中性なる生命体が宇宙である。宇宙は1つなる生命細胞体である。宇宙は1つの躬である。
宇宙の中で人間は見える存在ではない。あまりにも小さく、存在すらわからないほどミクロの存在である。人間を造っている細胞体は更にミクロである。人間には外を見る為に五感が備わっている。本来は内なる生命が肉体を維持しているが、外を見る五感も使えるようになっているため、見えるものに生きてしまっている。本来は内なる生命が生命エネルギーを放射させるために造られているものを五感で使って肉体に生きてしまっている。五感を使って肉体を使うと裡からのエネルギーではなく、外部からエネルギーを取るようになり、肉体を自分として生きてしまう。
裡からの生命エネルギーを外に出す為に造られている器を外からエネルギーを入れて使ってしまうため、不調和を起こしてしまう。裡から使うことでバランスが保たれているものを真逆に使ってしまっている。宇宙は永遠の法則であり、真逆の生き方から法則が我であることに気づくための現象界である。法則を知り、法則の我に戻って行く。我は1つなる宇宙法則なり。


2022年11月12日土曜日

仮の宿からの離脱


 仮の宿からの離脱

人類は宇宙生命体の中に存在している。見える形があると思う心が、錯覚を生み、人類が迷路の中から抜け出せなくしている。有限な現象をあると信じ、人間は死ぬものであると信じて疑わない。
宇宙は永遠なる死なない生命体ありながら、形が消えることを死と呼んでいる。現象は見えない生命の現われであり、現象が変化しても生命は死ぬことはない。宇宙は1つなる生命体が様々な形態を造り、その中で1つなる宇宙生命が活動をしている。様々な形態に死があるとすると宇宙は永遠ではなくなる。
生命とは生命質料と霊エネルギーの絶対調和、バランスが生命であり、宇宙はこ゚の絶対バランス、中性生命体で永遠なる生命が保たれている。
見える現象は見えない意識で動かされている。肉体が意識を持って動いているのではない。
死ぬ時、意識が無くなったという言葉を使う。肉体と意識が分離する。意識が肉体から離れてしまう。本当の自分は姿、形ではなく、見える姿、形に宿る生命が我であり、肉体が我ではない。肉体に宿る意識が我であることに現象界で気づいて行く。
見えるものに囚われてしまうと見えない生命に気づかなくなってしまう。生命が見える肉体を動かしていることに気づくには心を多く使うことで気づいて行くことができる。この気のエネルギーは無料であり、無限大である。無限大の我であるが故に使えるエネルギーである。使えるということは自分がエネルギーであるということである。本来の我はエネルギー体そのものであったということである。見える我から見えない我に意識を切り替えて行く。仮の宿からに脱皮は意識の切り替えで行う。宇宙は1つである。1つの中には他のものは存在しない。すべて宇宙生命があるのみである。宇宙は1つなる家族、1つなる生命である。すべての国、民は1つなる生命である。すべては1つである。こ゚の中には争いは起きることはない。見えるものをあると思う心が争いを引き起こしている。日本には「おもてなし」と云う言葉がある。表ではなく見えない心でもてなすということである。


2022年11月11日金曜日

宇宙意識


宇宙意識

宇宙は1つなる生命体。故に無限なる永遠なる生命体である。すべては1つである。 宇宙は1つの見えない生命生命体。1つの中には2つは存在しない。見えるものは1つなるものの現われということになる。
万象万物は1つなる生命の放射体、1つなる生命の活動。姿、形の生命体があるのではなく、1つなる生命が形態を自ら造り、生命活動をしている。陰陽の法則である。
生命活動は法則に基づいて生命体は活動している。永遠なる生命活動である。
人類は地球という惑星の中で生命活動をしている。人類がいるのではなく、宇宙生命が地球という細胞体を造り、その中に人類という細胞を現象化させている。人類は万物の中でも非常に高い波動を持った形態である。生命エネルギーを多く放射できる媒体である。
宇宙は1つなる無限なる生命体であり、地球という波動の低い惑星を波動の高い惑星にすることで太陽系を安定させることができる。その為に人間と云う形の波動の高い媒体を使うことにより、波動の高い安定した光る惑星にさせることができる。宇宙は1つなる生命体。気体の世界。宇宙は1つなる絶対バランスの世界。
人類は外を見るが故に外の現象をあると信じ、善悪の木の実を食べてしまい、まだ善悪の木の実を食べ続けている。仮相の木の実に気づかない。1つしかないものを2つあると思いから抜け出せない。すべては1つなる生命、1つなる意識があるだけ。この1つなる永遠なる生命の中に居ながら、有限なるものがあると信じ、実在しない生老病死の四苦の中で自縛し、仮相の世界に生きている。
すべては1つなる宇宙生命意識があるのみ、人間という現象意識から1つなる生命意識に切り替える。仮相の地獄界の意識から実相の天国の意識に切り替える。これは人類が現象界で成さねばならない使命である。これは1人、1人が自分の裡に求めて行かなければならない青い鳥である。
宇宙は全知全能の知恵、力である。この全知全能が宇宙生命であり、これが我である。
人間という形態は完全なる宇宙生命体の化身であり、すべてを持って生まれて来ている。
無限生命の放射体として人間の形態は造られている。生命エネルギー放射媒体である。放射体が外からエネルギーを取ることはない。外からエネルギーを取り、人間を生きるのではない。本当の我は姿、形を持たない。生命エネルギーが我であり、ミクロ生命の我であり、ミクロ意識である。


2022年11月8日火曜日

パワースポットは汝の内にあり。


 パワースポットは汝の内にあり。

宇宙は中性なる永遠なる生命体である。無限大のエネルギー体であり、すべてがエネルギー体である。
宇宙は見えない永遠なる無限大のエネルギーであり、自然界も宇宙法則の相似形であり、形あるものはすべて生命エネルギーが宿しているが故に形として現象化されている。ピラミットの中心にはエネルギーが存在する。其処にお棺が置かれている。形のあるものはすべて中心があり、其処にはエネルギーが宿り、現象形態を現わしている。人間も身体の中心に生命エネルギーが宿り、形態を現象化させている。
人間は万物の霊長と云われ、鉱物、植物、動物より、高バイブレーションである。最も高いパワーを持っている。この波動を認めないと使う事はできない。見えるものは低波動であり、見えないものは高波動である。人間形態の中心には神の高波動のバイブレーションが宿っている。この高バイブレーションは神であり、宇宙の無限大のエネルギーを受け流す受信機である。人間は神の波動を受け流す媒体が人間の形をしているだけである。人間がこの世で生きる為にいるのではない。エネルギーを受け流す媒体なのである。神は無形無相の高バイブレーションであり、人間の媒体に宿る受信機も同じ神の波動を持っている。こ゚の受信機である高バイブレーションが本当の自分である。自分探しというのはこの神の波動が自分であると実感することである。
パワースポットとは神のエネルギーのことである。人間にはこのパワースポットが人間の中心に宿している。このパワースポットを使い、解脱し、人間を卒業して行く。本来の我、神我に戻って行く。


2022年11月7日月曜日

病気は自分の意識が造り出す。


 病気は自分の意識が造り出す。

万象万物は永遠なる完全なる宇宙生命体の中に存在している。永遠なる生命体の中には病気は存在しない。宇宙生命体は無限生命体であり、形は持たない。形を持つのは波動の低い自然界である。
人間は本来宇宙生命体であり、見えない存在であるが、外の見える世界に意識を合わせるため、中々高波動の本来の我に戻れない。現象界は諸行無常の変化の世界であり、この仮相の世界をあると信じる心がある為、この現象界を抜け出せない。小学校の卒業試験にパスできない。
この仮想の現象界をあると認めてしまうと諸行無常の変化の世界の生老病死の四苦に捕まってしまう。本来肉体は意識によって動かされているが、肉体を自分と思っているため、諸行無常の変化に飲まれてしまう。肉体が病気になるのではなく、意識がアンバランスになり、肉体を病気にしてしまっている。肉体は意識の表現体であり、意識に忠実に動く操り人形である。
嬉しい時には肉体は嬉しい表現をするし、意識が悲しいと思うと悲しい表現をしてくれる。
意識に忠実に表現してくれる。
人間は意識の表現媒体であり、肉体を自分と思うのではなく、意識が自分であると切り替えることで病気から抜け出すことができる。肉体を自分と思っている時は生老病死から抜け出すことはできない。本当の我は肉体ではない。意識、心である。肉体は心の操り人形であり、心は肉体の操り人形ではないのである。すべて想ったことが顕れる世界が宇宙生命体である。
見える世界は幻想であり、これに惑わされてはならない。万象万物はすべて現象である。
万象、地球を取り巻く星々を惑星(惑わす星)と書く。幻である。日本語は真理を現わす言葉である。真理は1つなるものである。中性なる愛のバランスであり、すべての原点である。




2022年11月5日土曜日

宇宙は愛の創造原理


 宇宙は愛の創造原理

宇宙は1つなる生命体である。1つなる生命は質料とエネルギーの絶対調和、陰陽のバランスである。このバランスが生命であり、創造の原理である。
宇宙は無限大の生命エネルギーであり、意識によって具現することができる。すべての万象万物はこの生命によって具現されている。今の3次元の世界でも同じように行われている。
意識したものが顕れる。何処へ行きたい。何かをしたい。美味しいものを食べたい。すべて自分の意識が肉体を通して現実化している。肉体が何かをするのではなく、意識が肉体を動かしている。見えない意識が肉体を動かしているのである。人間は肉体が自分と思ってしまう為に肉体意識で動いてしまう。意識は無限大であり、何でも創造することができる。
今の人類社会は人間が創造したものが顕れているだけである。良いことを思えは良いことが現象化する。悪いことを意識すれば悪いことが顕れる。争いを意識すれば争いが顕れる。想像したものが顕れているだけである。「想念は実現の母である。」人間にだけこの想念を自由に使える権限が与えられている。今、この意識想念を人間は良い方向には使っていない。自爆のために使ってしまっている。
意識は創造であり、見えるものは結果現象である。人間は見えるものだけに囚われて見えない意識に目を向けない。意識が現象化させるのであって物質が物質をつくるのではないのである。意識は無限大である。しかも無料である。この意識が創造原理であり、完全なる、中性なる宇宙生命である。完全なる中にいるものは完全なるものを具現できる。この想念を正しく使うことで人類を争いのない世界に導くことができる。お金はかからないのである。
宇宙は完全なる永遠の世界であり、人類は仮相の有限なる生き方から本来の永遠なる生き方に気づいて行くためにこの現象界の幻影の仮の宿がある。何故、この世を俗世、仮の宿、浮世と云う名がついているのだろうか?日本語は真理を現わす言葉である。真理は1つなる見えない永遠なる生命、神のことである。宇宙の陰陽の中性バランス。こ゚の中性バランスが宇宙生命であり、創造の原理である。意識の世界、1つなる宇宙意識の世界である。宇宙はお金のかからない完全なるフリーエネルギーの世界、人間という姿、形は宇宙の無限大の生命エネルギーを顕現させる器が人間の肉体なのである。肉体を使って働くのではない。宇宙は無限大の知恵、力であり、これを現わす為に人間と云う媒体が造られているのである。
自分を捨てた時、力が出るのは宇宙力の力である。自分がある時、この力を使うことはできない。無我の境地、自分は存在しないという証ではないか。人間と云う見えるものに囚われてしまうと力を出すことはできない。無限の中に有限なるものは存在しない。人間も万象万物も現象である。宇宙は見えない原子と電子の世界である。形のない世界である。



2022年11月2日水曜日

争いは生き方が間違っているというメッセージ。


 争いは生き方が間違っているというメッセージ。

宇宙は1つなるものである。1つなる宇宙の中に存在している。1つの中に争いは存在しない。争いがあるということは1つではなく2つが存在するということである。宇宙は1つなる宇宙である。その中で何ぜ争いが生じてしまうのか?それは1つの中で分離感を持つために争いが生じてしまう。宇宙は1つなる生命が独存するだけである。1つなる生命体の中で見えるものと見えないものが存在するが、見えないものが見えるものを現象化させている。すべては1つなるものの現われである。1つなるものの様々な現われをあると思う心が分離感を生み、自己保存の為に争いを引き起こす。本来は永遠なる1つなる生命体であるが分離感のため有限な意識になってしまう。永遠なる生命体の中に居ながら争いを起こすことで有限な生き方に波動を下げ、自ら進んで地獄に落ちてしまう。一度波動を下げると上げることは困難である。我々は永遠なる天国にいながら、見えるものに囚われ、仮相の地獄界に生きてしまっている。天国、地獄は意識の状態である。目に見えるものを追い求めて生きるものは地獄界の住人ということになる。宇宙は1つなる天国の世界である。誰もが1つなる永遠なる天国に存在しているのであるが、実在しない仮相の地獄を自らつくり、仮相の世界でしか使えない財産、幸せを求め、不安、恐怖、悩みの生老病死の世界を楽しんでいる。不安、恐怖、悩みがあるということは生き方が間違っているというメッセージなのである。本来は永遠なる平安があるのみである。この世を俗世、仮の宿と云われているのはこの世は本宿ではないということである。この世の争いは生き方の間違いを見つめるメッセージである。争いでは両方が良くなることはない。争いはアンバランスなる波動が起こしてしまう。1人、1人の心の波動を上げることで争いはなくなる。そろそろ人類の波動を上げようではないか。宇宙は永遠なる生命体である。幾ら見えるもの、現象を破壊しても本質の生命はなくなることはない。死んでも死なないのである。仮相界を自ら作って争いを起こし、演じているだけに過ぎないのである。
すべてのすべてありてあるものは1つなる永遠なる法則であり、1つなる宇宙生命である。
人間は宇宙の中には存在はしない。見える万象万物はすべて仮相である。幻影なのである。
実在するのは永遠なる1つなる生命、陰陽の法則だけが実在する。









2022年11月1日火曜日

すべては1つ


 すべては1つ

すべてのすべてありてあるものは1つなる無限なる生命である。永遠なる宇宙生命があるのみ。全て完全の中にいる。これが原点である。この原点からものを見ることですべての問題が解決できる。
すべてが1つなら見えるもの、見えないものすべて1つである。1つの中に時空間は存在しない。この原点から考えることですべてが解決できる。
完全の中に不完全はありえないのである。これが宇宙の法則である。
様々な言葉、様々な現象、様々な形、すべて1つなるものの現象ということになる。日本の国旗も1つ目である。
原因は1つ。結果は様々な現象、原因は1つ。この原因のことを、神、仏、霊光、天照大神と呼んでいる。すべては1つなる宇宙生命体のことである。真理は1つ。宇宙は陰陽の法則である。結果から原因は探ることはできない。真理は1つ。宇宙は1つ。見えない生命を神と呼んでいるだけである。1つの見えない宇宙生命体を見えるものだけで分離感で判断してしまう為に様々な神を打ち立ててしまう。人類がこの現象界から抜け出す為にキリスト、ブッタが現れたが、その道を宗教と言う思想が閉ざしてしまったが、またこの人類の根源の1つなる宇宙の法則の道を開こうとする方々が現れて来ている。
すべての原点は1つである。原点は2つはない。これは真理である。見えるもの、見えないものすべて神である。神一元、仏一元、天照大神一元である。すべては1つなる生命である。
物事を簡単に考えよう。真理は1つである。宇宙は1つなる永遠なる生命、これが原点である。限りなく小さく、限りなく大きい宇宙。これ以外何もない。我も見えない生命である。
真理は単純である。1つの中に争いはない。争いがあるのは2つがあると思ってしまう為に起きてしまう。色心不二。見えるものも見えないものも同じもの。見えない空には無限大の質料が存在する。争わなくても空より自由に取り出す時代になってくる。物質の取り合いで争いを起こしている人類。無限大の空より取り出せば争いは必要なくなる。
宇宙は1つなる完全なるものであり、全知全能の力、知恵である。人間は現象であり、実在していない。人間という媒体を使って知恵を出しているのは見えない生命という神である。
人間は宇宙生命体の媒体であり、神の受信機である。無限大の力、知恵を受け流す媒体が人間という神の器である。肉体が自分であれば死ぬ時、自分で決められるはずであるが、決められないといういう事は自分のものではないということになる。全ては1つなる宇宙生命体の現象、見える万象万物は実在しない仮相、幻影である。地球も空に浮いている。地球からロケットが宇宙に飛び出す時、宇宙と地球との境目はないではないか。全ては1つの現象である。宇宙は見えない気体の世界である。1つなる空の世界。見えるものはバイブレーションが低い為に見えているだけである。見えないものがバイブレーションを下げ、見えているだけであり、全ては1つである。宇宙は1つの細胞体であり、万物万物もその中の同じ細胞体である。人間の中も細胞体であり、細胞体の中は空間は存在しない。宇宙も同じであり、時空間は存在しないのである。



2022年10月31日月曜日

呼吸と息づかい


 呼吸と息づかい

一般的に呼吸法と云うと吸って吐く動作を連想される方が多いとと思いますが、肥田式で行う腹胸式呼吸法を見ても胸は解放状態で行う。
肥田先生は横隔膜の大緊張と云う言葉を使う。何故大緊張なのか?息づかいとは内圧をかけることで酸素を取り込むということである。深層部呼吸筋は不随筋であり、随意筋で動かして行く。故に夜、寝て居ても息している。
自然界の法則は宇宙の法則を作用、反作用という形で生命が息している。魚が上流に進むのも、鳥が風に乗って飛ぶのも同じ法則である。肥田式ではこの法則を利動力と呼ぶ。
これは中心バランスの作用、反作用の見えない力である。これの中心生命力を神と呼ぶ。この無形無相の中心力が神の子であり、肉体は神の器である
この中心力は宇宙バランスであり、自然界はこ゚の中性なる法則が働いている。この無限大の力を如何に使うかである。
息とは自らの心と書くように生命である。生命の使い方が息づかいである。息とは意識でもある。この力は無限大である。この無限大の力が肉体を動かしている。肉体が自分なのか?動かしているエネルギーが自分なのか?
肥田先生は新陳代謝に目を付けられ、身体を強健体に戻された。新陳代謝は細胞のことであり、細胞の集合体が人間という形を現わしている。息しているのは細胞が息している。人間は外観であり、その形の名前が人間と名付けている。
細胞は心のバランスによって左右される。「必死の気」という積極的な心、意識によって変わってくる。意識が変われば変わるのである。肉体が変わるのではなく、意識のバイブレーションが肉体細胞をより細かく変化させて行くのである。肉体が自分ではなく、意識が自分なのである。肉体は意識によって動かされるピノキオである。意識は中心力である。


2022年10月30日日曜日

争いは何故起きるのか?


 争いは何故起きるのか?

争いの原因は諸行無常の現象界を生きようとする為、自己保存の法則が働き、モノの奪い合いが起きる。ないものをあると信じる心が争いを起こす。
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。1つの永遠なるものの中に争いは存在しない。生命エネルギーの放射体の神の器を自分と勘違いをして神の器を自分と思って生き、争いを起こしている。また自己保存のために見えるものを自分のもとに集めようとし、地球の生態系のバランスを崩している。人間がいると錯覚しているために起きる現象である。
人間が宇宙の中には存在しないことを理解できる時に争いはなくなる。無限生命の中に有限なる人間は存在しないことを理解することが争いをなくすことである。人間という迷妄から脱皮することが21世紀の意識の世界に入る前段階である。



2022年10月29日土曜日

この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?


 この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?

宇宙は1つなる無限生命体である。完全完璧な平安な永遠なる世界である。永遠なる世界の中に存在しながら幸せを求めようとしている。キリストが云われている。「得ようとするものは奪われる」すべて持っていると。
宇宙の中の万象万物は1つなる生命の現われであり、完全なる生命が様々な形態を現わしている。初めから完全であり、幸せなのである。
何故幸せを求めようとしてしまうのか?1つなる生命の現象をあると思う自我の心が分離感を生み、消え行く現象をあると信じ、生老病死の諸行無常の変化の止まない現象に囚われてしまう為に不安、恐怖、悩みを抱えてしまう。
この分離感が消え行く現象を維持しようとし、争いを引き起こす。この分離感の中で幸せになろうとしてもなることはできない。現象界の中では平和になることも絶対にない。現象の仮相の自分から本来の実在の我に戻らなければ平和になることはない。平和は1人、1人の裡にある。宇宙は初めから平和なのである。平和を壊しておいて平和になろうとするのが人間である。
現象界で国々が争いを起こしているように見えるが、1人、1人の心の現われであり、国は人間1人、1人の集合体が国になっているだけである。
地球の中で地球のバランスを崩しているのは誰でもない、万物の霊長たる仮相の人間である。
地球の汚れは人間の心の汚れであり、現象界に生きようとする為に起きる現象である。



2022年10月28日金曜日

見えるものから見えないものへ


 見えるものから見えないものへ

宇宙は1つなる無限生命体であり、見えるものは現象であって実際には存在していない。見えるものはあるではないか?実在とは永遠を意味する。見えるものはすべて消え行く存在であり、変化してしまうものである。人間は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊体であり、気体である。宇宙は意識体であり、想念によって変化する世界である。
1つの見えない宇宙生命体が実在している世界。見えるものは見えない宇宙生命体の現象である。本当の我は見える我ではなく、見える我を現わしている我である。
どちらでも良いではないかという人がいるだろう?
見えないものが自分であると意識を持つことで永遠なる生命体で生きることができる。
見えるものに生きようとすると有限なる生き方になり、キリストが云われるように死ぬものはまた生まれる。お釈迦様が云われているように生老病死の四苦の諸行無常の世界の中で生きなければならくなる。本来の我は1つなる無限生命であり、宇宙には1つなる無限生命だけが独存しているだけである。すべては1つであり、1つの中に2つは存在しない。見える自分は本来の我ではなく本来の我は1つなる見えない宇宙生命体である。1つなる宇宙生命体は永遠なる生命体であり、その中にある見えるものも永遠である。見えないものをあると思う心が有限なる自分にしてしまう。現われているものは1つなるものの現われであると思うことで永遠に生きることができる。意識の切り替えで可能になる。本来1つなる生命の現象であって、その現われをあると思っているだけである。現象と思うことで、有限から永遠なる本来の我に戻すことができる。これが解脱であり、悟りであり、昇天であり、神であり、仏であり、天照大神である。
宇宙は1つなる生命体であり、1つの生命体を様々な言葉で言っているに過ぎない。
宇宙には1つなる生命の法則。陰陽の法則があるだけである。言葉の数だけ神がいるのではない。1つなるものだけがあるのみである。生命は見えないため、現わす言葉として使っているだけである。





2022年10月27日木曜日

1つの中に2つは存在しない


 1つの中に2つは存在しない

宇宙は1つである。1つの宇宙のなかに2つの宇宙は存在しない。1つの中にある見えるものは様々に見えるが1つであるということになる。現われているものは現象であるということになる。宇宙生命だけが独存するということである。疑う余地はない。
見えるものは1つなる生命の現われ、見えるものの中には1つなる見えない生命が宿り、現象を維持している。見えるものを生かしているのは1つなる見えない宇宙生命が宿り、見える現象を現わしている。すべては1つなる宇宙生命の化身であり、様々な見えるものの中に1つなる宇宙生命が宿って現象化している。見えるものに生きると間違いを起こし、肉体に生きることになる。人類はこの現象から抜け出さねばならない。1つなる宇宙生命の中に人間という存在はない。現象という神の器に人間という名前をつけているだけである。宇宙には形あるものは何1つ存在することはない。見えない1つなる生命体が存在している。


2022年10月25日火曜日

原点に帰るとは生命に帰ること


 原点に帰るとは生命に帰ること

宇宙は1つなる生命法則によって永遠なる生命活動をしている。宇宙生命体が見える自然界で同じ法則に従って生命活動をしている。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。人間は宇宙生命によって造られた生命の化身である。生命の化身は自分という自我を持ち、宇宙の法則バランスを崩している。法則に沿って生きれば宇宙の無限大の力と知恵が使えるのに自我を持ってしまったために使えなくしてしまっている。現象の人間を生きようとするためバランスを崩し、永遠なる生命体の中に居ながら、自然界の法則に巻き込まれ、病気、死の生老病死の四苦に囚われ、自分で自分を殺している。宇宙の法則は永遠である。その中ですべてのものは現象化されている。すべて永遠である。人間は現象であることに気づくことで、原点に帰ることができる。これが解脱、悟り、昇天である。1人、1人は神の生命エネルギーを受け流す神の媒体、器であり、其処には人間は存在しない。宇宙には見えない形のない生命エネルギーが独存している。見えない生命エネルギーが我であり、絶対バランスの陰陽の法則が我である。これを如何に日常生活での中で波動を上げ、実践、実感して行くかが現象界ですべきことである。




2022年10月24日月曜日

得ようとするものは奪われる


 得ようとするものは奪われる

宇宙は完全バランスの永遠なる生命体である。すべてのものはこの中に存在する。すべては永遠なる生命体である。宇宙は全知全能の力、知恵である。完全であり、すべてが満たされている。人間もこの中に息している。何かを学んで行うことではない。
この全知全能の力、知恵を使う。その為の肉体媒体なのである。
「得ようとするものは奪われる」とはすべて持っているのに使わない。よって使うことができない。知識は外部のものであり、使えないが知恵は内なるものであり、即使える。
人間と云う現象は神の生命エネルギーを肉体媒体を使って全知全能の力、知恵を受け流す為の肉体であり、肉体に生きることではない。肉に生きる時、神の全知全能の知恵と力を使うことはできない。自我を捨て1つなる生命と1つになる時初めて使える。人間の姿、形は神の化身であることを理解することで宇宙と一体になり、本来の我に戻って行く。



2022年10月23日日曜日

天上天下唯我独尊


 天上天下唯我独尊

宇宙は1つなる生命体であり、フリーエネルギーの永遠なる絶対バランスの生命体である。すべての見えるもの、見えないものすべてが1つなる生命体の中に存在する。様々な現象はあるが、1つなる生命の現われである。天上天下唯我独尊であり、すべてが自分であり、すべてが1つの生命の現われ。宇宙即我である。
人間は様々な見えるものがあると思ってしまうことで、分離感が生まれ争いを引き起こす。
すべての人類は1つの生命の現われであり、1つの中で今、人類は自分を自分で殺している。
宇宙はすべてのすべてありてあるものは1つなる生命のみが独尊するだけである。
人類皆兄弟であり、すべての万象万物は同じ生命の現われである。

2022年10月22日土曜日

我は中性バイブレーションなり


 我は中性バイブレーションなり

宇宙は1つなる中性生命体。永遠なる生命体、高バイブレーションの気体の世界。
中性なるバイブレーションは調和のバイブレーションであり、生命原理である。ここから万象万物が現象化されている。
見える現象界は自然界の法則によって生命活動をしている。見える現象は現象の中心に宿る生命によって生かされている。宇宙は無限なる生命体であり、その中に我は存在している。我というのは姿、形を持たない宇宙生命体である。宇宙には1つなる生命以外存在しない。人間は宇宙には存在しない。存在とは実在であり、永遠という意味である。永遠なるものは1つなるものだけである。故に人間は仮相であり、仮相に振り廻されているだけである。
仮相を脱却し、実相の我に帰えらなければならない。


2022年10月21日金曜日

人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。


 人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。

宇宙は1つなる全知全能の生命体である。宇宙生命意識である。意識は想念であり、想ったことが現われる世界である。生命は見えないが故に神と呼ばれている。宇宙には神以外何も存在しない。見えるものはすべて神の現象である。万象万物は神の化身である。生命が神であり、ゴキブリも神である。
人間にだけ自由意志が与えられており、宇宙生命の全知全能の使うことができる。現象の自我を捨てて、肉体に宿る神の細胞と一体になる時、使うことができる。
肉体は意識によって動かされている。肉体は操り人形のピノキオである。
人間は神によって造られた神の子であり、神の器である。神の化身が人間である。
何故、神は万象万物を造られたのか?神は生命エネルギーであり、生命エネルギーを放射させるために媒体として様々な形態が造られている。人間も然りである。人間と云う媒体は本来生命に生きる為に造られている。
人間は自由意志を持たされているため、神によって造られている肉体媒体を自分と勘違いし、勝手に神の造られた神の道具を使っている。現象の仮相の肉体に生きようとする為、宇宙のバランスを崩し、生老病死の四苦に囚われ自縛してしまっている。人間は肉体を波動を持った現象界がら離脱し、生まれた所に帰らなければならない。
宇宙は1つなる生命体であるということは見えるものは存在しないということになるのであるが、人間は存在すると信じて疑わないのが今の現象界に生きている仮相人間である。