仮の宿からの離脱
人類は宇宙生命体の中に存在している。見える形があると思う心が、錯覚を生み、人類が迷路の中から抜け出せなくしている。有限な現象をあると信じ、人間は死ぬものであると信じて疑わない。
宇宙は永遠なる死なない生命体ありながら、形が消えることを死と呼んでいる。現象は見えない生命の現われであり、現象が変化しても生命は死ぬことはない。宇宙は1つなる生命体が様々な形態を造り、その中で1つなる宇宙生命が活動をしている。様々な形態に死があるとすると宇宙は永遠ではなくなる。
生命とは生命質料と霊エネルギーの絶対調和、バランスが生命であり、宇宙はこ゚の絶対バランス、中性生命体で永遠なる生命が保たれている。
見える現象は見えない意識で動かされている。肉体が意識を持って動いているのではない。
死ぬ時、意識が無くなったという言葉を使う。肉体と意識が分離する。意識が肉体から離れてしまう。本当の自分は姿、形ではなく、見える姿、形に宿る生命が我であり、肉体が我ではない。肉体に宿る意識が我であることに現象界で気づいて行く。
見えるものに囚われてしまうと見えない生命に気づかなくなってしまう。生命が見える肉体を動かしていることに気づくには心を多く使うことで気づいて行くことができる。この気のエネルギーは無料であり、無限大である。無限大の我であるが故に使えるエネルギーである。使えるということは自分がエネルギーであるということである。本来の我はエネルギー体そのものであったということである。見える我から見えない我に意識を切り替えて行く。仮の宿からに脱皮は意識の切り替えで行う。宇宙は1つである。1つの中には他のものは存在しない。すべて宇宙生命があるのみである。宇宙は1つなる家族、1つなる生命である。すべての国、民は1つなる生命である。すべては1つである。こ゚の中には争いは起きることはない。見えるものをあると思う心が争いを引き起こしている。日本には「おもてなし」と云う言葉がある。表ではなく見えない心でもてなすということである。