分離感が人類を縛っている。
今、人類は争いに明け暮れている。人類は何故、争わなければならないのか?
宇宙は1つなる生命であり、1つの中で争いが起きてしまうのか?
これが善悪の木の実である。1つなるものの中には善悪は存在しない。宇宙は気体の世界であり、物質の世界ではない。見えないものがバイブレーションを下げることで見えるものに具現化している。具現化されたものだけを見てしまう為、分離感を抱いてしまう。元は1つなるものである。1つなるものの現われである。
現れをあると思う心が争いを引き起こしてしまう。見えないものが見えるものを現わしていることが理解できれば、見えないものからものを具現することができる。この事に気づくために人類は争いを起こしているように感じる。人を殺し、戦いに勝っても幸せになることはできない。本当の幸せは争いの中ではなく、自分の中にあることを知る為の学びである。本当の自分は肉体が死んでも死なない。仮相の我に死んでも本当の自分には死ぬ事はない。この世は実在しないバーチャルの世界である。我は宇宙の永遠なる生命が我であるから。
この分離感が人類を縛ってしまっている。この分離感からの解放が人類の解放である。そこには争いはなくなる。人類の使命は宇宙生命エネルギーを肉体の媒体を使って放射させることであり、現象の世界を生きることではないのである。宇宙は無限大の全知全能の力であり、知恵である。すべて持って生まれているのである。
「十で神童、十五で天才、二十過ぎれば只の人」人間と云う現象に生きると全知全能の知恵も力も使えないということである。生きているのは生命であって人間ではないのである。
人間と云う幻想に生きるから全知全能の力が使えない。
この世で一番怖い人間は「地位もお金も命もいらない」人間である。自分を捨てられる人間が1番強い人間である。何かを身に付けて強くなることではないのである。誰も持っているものである。自分を捨てる。無我になることである。無我になると何故強くなれるのかと云うと宇宙の力が使える。中心力、宇宙力が使える。宇宙力が肉体を通して現れる。無限大のエネルギーが本当の我である。本当の我は見えない生命である。人間は生命の化身である。人間が消えても生命は消える事はない。永遠である。