宇宙は1つなる生命体であり。福は内、福は外である。現象界は福は内、鬼は外になる。
1つなる生命の現象をあると思う心が鬼を創り出してしまう。
1つなる生命は見えない。生命を顕す媒体として質料を通して自らを顕している。
宇宙は1つなる生命界であり、「すべてのすべてありてあるもの」の本源本質が生命エネルギーなのである。万象万物は1つなる生命の化身である。
見えない生命は何かの媒体がなければ顕すことができない。顕す媒体を自ら造り、その中に宿り、生命活動をしている。この表現媒体に人間と云う名前を付けたものを自分と思い違いをして神の顕現道具を無断で使い、永遠なる生命の中に居ながら有限な現象に生き、迷い人になってしまっている人類。
福は内 福は外であり、内は光 外も光なのである。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年2月2日金曜日
福は内 鬼は外
2024年2月1日木曜日
我は天なる我
天は原因。原因なき、原因、これが宇宙生命体の本源本質である。
見えるものは見えないものの顕われ。
見えるものから見えない原因は見ることはできない。
見えるものは結果である。結果から原因は見えない。今、人類は結果の人生を送っている。見えるものは見えないものの顕れであることを気づかずに。
固体波動の低い波動で様々なものを生み出しているが、現象を豊かに生きるために結果を改良して作っている。この結果で結果を作る方法は地上界のバランスをアンバランスにするやり方である。不完全なるものが不完全なるものを生み出す。完全なるものが完全なるものを生み出す方法ではない。
地上界は文明を発達させ、地球の波動を上げて行くのか?
地上界の波動は現象で上げることではない、現象は結果である。結果で原因の波動を上げることはできない。人間という媒体を使って上げて行かなければならない。
地上界の波動は現象では上げることはできないのである。
現象というザタン
現象は外を見る心が造る顕れである。あると思う心が造り出す迷妄である。
外なるものは内なるものが顕現道具として顕した道具を外念であると思う心で創り出す。
想ったことが顕れる。想うことで何でも創り出してしまう。想念によって思ったものが結果として顕れる。原因、結果である。偶然はない。すべて必然であり、すべて自分が思ったことが顕れてしまう。
現象人間は神の顕現道具として神によって造られているものをこれを自分として見間違って勝手に使ってしまったために、永遠なる生命界に居ながら、神の法則を無視した為に有限的な生き方に自らをしてしまった。開けてはならないパンドラの箱を開けてしまった。
現象に意識を合わせてしまうと波動が低くなり、変化して止まない諸行無常の世界の中で、持て遊ばれてしまう。サタンとは自分で造る悪魔である。宇宙は神1元であり、善のみで、悪は存在しないのである。
宇宙は中性であり。想ったことが顕すことができる世界である。これが人間に神より与えられた自由意志である。この自由意志を本来の使い方をせず、生命界で使わず、現象界で使ってしまった。これは自己責任において、悔い改めをしなければならない。
2024年1月31日水曜日
肉体は生命エネルギーの顕現道具
肉体は細胞の集合体であり、生命が肉体を現象化させている。この肉体をどのように使って生命エネルギーを顕現させて行くのか?
万象万物は生命エネルギーを顕現し、現象化させている。
人間は現象であり実在しない。でも人間は存在している。その事に疑わない。これが大きな間違いになる。
人間はこの世に生を受けて豊かな人生を歩みなさいと親から言われ、自分もそのような人生を送ろうとし、姿、形に生きようとする。この現象を如何に生きるかを殆どの方々が思っている。
この間違い気づいた方々から先に現象界から離脱することで、地上界の波動を上げなければならない。
人間という媒体は神の顕現道具として現象化していることに気づき使命を果さなければならない。
生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと。 という意味は固体波動から気体波動にならなければ使命果せず、原点の気体波動に戻ることはできないということである。
現象界で1人、1人が生きている内に空波動にまで上げることが仮相人間としての使命である。これができるまで再生させられる。
人間は生命の化身として顕れている
何故、人間が現象化しているのか?
意味なくして存在はしていない、現象化している意味がある。
人間は万物の霊長と云われている。人間は神に似せて造られていると。人間は何をする為に現象化されているのか?
人間には自由意志が与えられているが、何故与えられているのか?
天地一体の惑星の中で現象を通して地上界の波動を上げる。生命エネルギーを上げるために人間という神の顕現道具を使って地上界の波動を上げるために人間の姿、形をした顕現道具が造られている。地上界の波動を自由に顕現する為に自由意志が与えられている。
この自由意志である神の顕現道具を自分と錯覚し、自分が生きるために使ってしまった。
この道具の使い方を間違えると、永遠なる生命なる我が、有限なる我の使い方になり、地上界に悪影響を与えることになってしまう。
それが文明が発達すればするほど地上界のバランスを崩し、天変地異となる。人類はこの事に気づかない。人間は神の化身であり、地上界の波動を上げる使命を果さなければならない。
生命によって具現化されたものから敢えてエネルギーを取らなくてもよくなる。
我は生命エネルギーそのものなのだから。
2024年1月30日火曜日
完全発酵と未発酵
宇宙は完全発酵状態、気体状態である。宇宙は1つなる生命であるということは完全なる状態、気体である。光である。これが本源本質である。
すべてこの原点からすべてのものが創造される。全知全能の力、知恵、創造の原理である。
宇宙そのものが中性なる本源本質である。永遠なる原因なき原因である。
現象として見えるものは未発酵のため、現象として見えているに過ぎない。これを完全なる発酵状態にするには人間意識を神意識に変性させなければならない。
その完全なる発酵にさせる種菌、神の種菌が我が裡に内在されている。
この神の種菌を使って人間という神によって造られた神の被造物に戻し、神の顕現道具として造られた本来の被造物としての役目に戻さねばならない。
神の顕現道具を外を見て自分と勘違いをして自分で自分を縛り、自縛しているだけなのであるから。これに気づくまで、輪廻が繰り返される。
形が見えるということは粗雑であり、未発酵なのである。すべては完全なるものが顕現道具として顕しているものを勝手に自分と思って使っているだけなのであるが。
我は原因なり 生命なり
宇宙は1つなる原因、生命なり。結果として万象万物、人間が現象として顕れている。
すべて原因がなければ結果は顕れない。現象化しているものは必ずその原因がある。
人間の原因は父、母ですか?
もし、父、母が造ったのなら、生まれる時も死ぬ時も解かるはずである。心臓は24時間、眠っている時でも止まらない。
宇宙生命体は無休運動であり、常に働き続けている。
人間は現象であり、原因は何か?
宇宙には1つなる生命だけが実在する。すべての万象万物は1つなる生命の顕われである。
人間は万物の霊長であり。現象化しているものはすべて霊なのである。
見えるものは物質と勘違いをしているから、現象なる見えるものは原因なる霊が形を止っていることが理解しづらくなっている、
宇宙は1つの霊体である。全てが霊であることが理解できれば、すべては無形無双に霊が原因であることに気づきやすい。
人間も霊である。霊止と書いて(ヒト)と呼ぶ
霊とは何か怖いイメージに思っていたが霊とは神、仏のことだったのである。今まで間違った解釈をしていただけである。宇宙霊、宇宙は霊であるということである。神、仏が霊であった。