人間という媒体が創造されている
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年6月28日金曜日
2024年6月23日日曜日
すべては1つ 原因なき原因
2024年6月21日金曜日
人間の使命は神我顕現である
宇宙生命体は無形無双の永遠なる生命体であり、すべての万象万物はこの永遠なる宇宙生命体の中に現象化している。
現象をさせているのは1つなる本源本質の大霊である。観自在、無碍自在の永遠なる生命体が神我顕現をさせている。1つなる生命は1つなる永遠不滅の神である。神様が他にいるのではない。宇宙生命体そのものが絶対バランス、絶対調和が神であり、人間は神様が人間の他に存在すると教え込まれた来てしまったが故に自分を自縛させてしまった。
神は人格神ではない。
宇宙は一なる生命体である。
人間は神の子であり、神の器である。神の器の中に蒔かれた神の種である。この肉体に蒔かれた神の種を開花させ自分自身が蓮の華の華を咲かす為に現象界が存在する。
働くということは現象に生きることになり、現象の生老病死の四苦から抜け出すことはできなくなる。
誰もが神なのである。髪の毛1本。砂浜の砂粒1つ、神である。
今まで宗教家によって自分が神とあることを遠ざけられてきてしまった。
人間は神の子であり。肉体表現を使って神を顕現させる為に神の道具が肉体という媒体が造られている。
万象万物には逆念はなので、自然界の正常な基本ベースを担当している。
人間には自由意志が与えられているため自由選択権が持たされている。この自由意志を我欲で使う為に自分で自分を自縛させている。神なる我を自縛させているのは自分自身である。今がモーゼの十戒そのものである。今の状態では99.99%モーゼの方に付くものは数少ないであろう。人間に生きようとするから地球磁場をアンバランスにしていることに気づかない。地球は太陽系の一部である。
2024年6月20日木曜日
神は真理なり
2024年6月19日水曜日
造り主と造られたものは1つである
宇宙は1つである。造り主と造られたものは別々ではない、1つである。宇宙は無限生命、普遍生命、すべては1つである。
見える現象は1つなる生命の顕われであり、生命の顕現媒体である。現象の中に1つなる生命が宿っている。
万象万物は1つなる生命の化身、顕現道具である。この見える現象をあると思う心が永遠なる我を有限なる我に自縛している。永遠なる生命の中に有限なるものは存在しない。無限生命、普遍生命にはならない。1つということは絶対調和、絶対バランス、これが1つなる生命の本源、本質である。愛の法則である。宇宙には神、生命は1つなる生命、愛の生命体である。
1つなる中に争いは生じない。見えるものだけを見る為に分離感が生まれ、争いが起き、不安、恐怖、悩みが心を乱し、地上界をアンバランスにさせる。人間の心が地上界をアンバランスにさせている。原点は1つ。1人、1人の心が1つなる生命に戻ることが人間の使命である。すべて原点から発して原点に戻る。天地一体、原因結果、霊肉一体、自他一体。すべて1つである。原点は1つである。原点が我である。
2024年6月17日月曜日
我は1つなる生命
宇宙は1つなる生命体である。こ゚の生命体のみが実在している。万象万物はこの1つなる生命の化身である。生命は化身を通して無限大の生命エネルギーを顕現させる為に自ら化身を造っている。
生命が顕している現象をあると信じ、仮相の神の顕現道具を自分として人間は錯覚してしまった、この錯覚から目が覚めない限り、気づくまで輪廻をさせられる。
現象我の錯覚、形を見て動いてしまう、肉体を動かしているのは想念意識である。
想念が現象を顕し、動かしているのであって、現象が動いているのではない、
宇宙は意識界である。「想念は実現の母」すべて想念によって現象を顕している。
見えるものは想念の結果である。結果があるのではない。想念によって具現されている。
宇宙は1つなり意識、神の意識によって顕されている。
実在しているのは神の意識が実在している。見えるものは結果現象であり、生命の表現媒体である。顕しているのは生命である。1つなる生命だけが万象万物を顕している。宇宙には1つなる生命のみが実在している。1つなる生命が我であり、宇宙である。迷い道に入ってしまった我から脱却しなければならない。この世は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれる意味がこの事である。仮の宿には本宿がある。自分が戻る場所である。
2024年6月16日日曜日
すべては自己責任
宇宙は1つなる生命体。完全完璧な永遠なる生命体。この中にいるものはすべて完全である。
この完全なる中に万象万物は現象化している。人間も然りである。
何故、永遠なる中に居りながら、有限なる人生を送る。死を意識して生きる。
宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が顕現媒体として神によって造られたものを自分と勘違いをしてしまい、実在しない生老病死の四苦に持て遊ばれている。
宇宙には1つなる生命のみが実在している。宇宙には姿、形は存在しない。万象万物は1つなる無形無双の生命の化身として顕れている。この見えるものに囚われ、実在の我を見失っている。
現象は実在の我を現象を通して顕すために顕現媒体として具現している。人間は使命を果たしていない。
現象をあると思う心が自縛させている。実在しない現象をあると信じ、永遠なる我から有限なる我に意識させてしまった。この有限なる我から永遠なる我に戻らなければならない。これは自己責任において行わなければならない。自分で犯した罪は自分で償う。罪とは万物の霊長たる使命を果たさず、現象界を我が物顔で生きている人類。神への反逆行為なのです。完全の中に居て有限なる生き方を当たり前に思っている姿である。
有限なる我から永遠なる我への変性は自らが自己責任で行なわなければならない。人間と思っている姿は本来の使命を果たしていない。それがイエスが云われるように肉に生きるはしであると。
宗教は現象界の行為であり、天上界に導き、助けることはできない。意識は自分の中にあり、宗教でも治すことはできないのである。