2022年10月28日金曜日

見えるものから見えないものへ


 見えるものから見えないものへ

宇宙は1つなる無限生命体であり、見えるものは現象であって実際には存在していない。見えるものはあるではないか?実在とは永遠を意味する。見えるものはすべて消え行く存在であり、変化してしまうものである。人間は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊体であり、気体である。宇宙は意識体であり、想念によって変化する世界である。
1つの見えない宇宙生命体が実在している世界。見えるものは見えない宇宙生命体の現象である。本当の我は見える我ではなく、見える我を現わしている我である。
どちらでも良いではないかという人がいるだろう?
見えないものが自分であると意識を持つことで永遠なる生命体で生きることができる。
見えるものに生きようとすると有限なる生き方になり、キリストが云われるように死ぬものはまた生まれる。お釈迦様が云われているように生老病死の四苦の諸行無常の世界の中で生きなければならくなる。本来の我は1つなる無限生命であり、宇宙には1つなる無限生命だけが独存しているだけである。すべては1つであり、1つの中に2つは存在しない。見える自分は本来の我ではなく本来の我は1つなる見えない宇宙生命体である。1つなる宇宙生命体は永遠なる生命体であり、その中にある見えるものも永遠である。見えないものをあると思う心が有限なる自分にしてしまう。現われているものは1つなるものの現われであると思うことで永遠に生きることができる。意識の切り替えで可能になる。本来1つなる生命の現象であって、その現われをあると思っているだけである。現象と思うことで、有限から永遠なる本来の我に戻すことができる。これが解脱であり、悟りであり、昇天であり、神であり、仏であり、天照大神である。
宇宙は1つなる生命体であり、1つの生命体を様々な言葉で言っているに過ぎない。
宇宙には1つなる生命の法則。陰陽の法則があるだけである。言葉の数だけ神がいるのではない。1つなるものだけがあるのみである。生命は見えないため、現わす言葉として使っているだけである。





2022年10月27日木曜日

1つの中に2つは存在しない


 1つの中に2つは存在しない

宇宙は1つである。1つの宇宙のなかに2つの宇宙は存在しない。1つの中にある見えるものは様々に見えるが1つであるということになる。現われているものは現象であるということになる。宇宙生命だけが独存するということである。疑う余地はない。
見えるものは1つなる生命の現われ、見えるものの中には1つなる見えない生命が宿り、現象を維持している。見えるものを生かしているのは1つなる見えない宇宙生命が宿り、見える現象を現わしている。すべては1つなる宇宙生命の化身であり、様々な見えるものの中に1つなる宇宙生命が宿って現象化している。見えるものに生きると間違いを起こし、肉体に生きることになる。人類はこの現象から抜け出さねばならない。1つなる宇宙生命の中に人間という存在はない。現象という神の器に人間という名前をつけているだけである。宇宙には形あるものは何1つ存在することはない。見えない1つなる生命体が存在している。


2022年10月25日火曜日

原点に帰るとは生命に帰ること


 原点に帰るとは生命に帰ること

宇宙は1つなる生命法則によって永遠なる生命活動をしている。宇宙生命体が見える自然界で同じ法則に従って生命活動をしている。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。人間は宇宙生命によって造られた生命の化身である。生命の化身は自分という自我を持ち、宇宙の法則バランスを崩している。法則に沿って生きれば宇宙の無限大の力と知恵が使えるのに自我を持ってしまったために使えなくしてしまっている。現象の人間を生きようとするためバランスを崩し、永遠なる生命体の中に居ながら、自然界の法則に巻き込まれ、病気、死の生老病死の四苦に囚われ、自分で自分を殺している。宇宙の法則は永遠である。その中ですべてのものは現象化されている。すべて永遠である。人間は現象であることに気づくことで、原点に帰ることができる。これが解脱、悟り、昇天である。1人、1人は神の生命エネルギーを受け流す神の媒体、器であり、其処には人間は存在しない。宇宙には見えない形のない生命エネルギーが独存している。見えない生命エネルギーが我であり、絶対バランスの陰陽の法則が我である。これを如何に日常生活での中で波動を上げ、実践、実感して行くかが現象界ですべきことである。




2022年10月24日月曜日

得ようとするものは奪われる


 得ようとするものは奪われる

宇宙は完全バランスの永遠なる生命体である。すべてのものはこの中に存在する。すべては永遠なる生命体である。宇宙は全知全能の力、知恵である。完全であり、すべてが満たされている。人間もこの中に息している。何かを学んで行うことではない。
この全知全能の力、知恵を使う。その為の肉体媒体なのである。
「得ようとするものは奪われる」とはすべて持っているのに使わない。よって使うことができない。知識は外部のものであり、使えないが知恵は内なるものであり、即使える。
人間と云う現象は神の生命エネルギーを肉体媒体を使って全知全能の力、知恵を受け流す為の肉体であり、肉体に生きることではない。肉に生きる時、神の全知全能の知恵と力を使うことはできない。自我を捨て1つなる生命と1つになる時初めて使える。人間の姿、形は神の化身であることを理解することで宇宙と一体になり、本来の我に戻って行く。



2022年10月23日日曜日

天上天下唯我独尊


 天上天下唯我独尊

宇宙は1つなる生命体であり、フリーエネルギーの永遠なる絶対バランスの生命体である。すべての見えるもの、見えないものすべてが1つなる生命体の中に存在する。様々な現象はあるが、1つなる生命の現われである。天上天下唯我独尊であり、すべてが自分であり、すべてが1つの生命の現われ。宇宙即我である。
人間は様々な見えるものがあると思ってしまうことで、分離感が生まれ争いを引き起こす。
すべての人類は1つの生命の現われであり、1つの中で今、人類は自分を自分で殺している。
宇宙はすべてのすべてありてあるものは1つなる生命のみが独尊するだけである。
人類皆兄弟であり、すべての万象万物は同じ生命の現われである。

2022年10月22日土曜日

我は中性バイブレーションなり


 我は中性バイブレーションなり

宇宙は1つなる中性生命体。永遠なる生命体、高バイブレーションの気体の世界。
中性なるバイブレーションは調和のバイブレーションであり、生命原理である。ここから万象万物が現象化されている。
見える現象界は自然界の法則によって生命活動をしている。見える現象は現象の中心に宿る生命によって生かされている。宇宙は無限なる生命体であり、その中に我は存在している。我というのは姿、形を持たない宇宙生命体である。宇宙には1つなる生命以外存在しない。人間は宇宙には存在しない。存在とは実在であり、永遠という意味である。永遠なるものは1つなるものだけである。故に人間は仮相であり、仮相に振り廻されているだけである。
仮相を脱却し、実相の我に帰えらなければならない。


2022年10月21日金曜日

人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。


 人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。

宇宙は1つなる全知全能の生命体である。宇宙生命意識である。意識は想念であり、想ったことが現われる世界である。生命は見えないが故に神と呼ばれている。宇宙には神以外何も存在しない。見えるものはすべて神の現象である。万象万物は神の化身である。生命が神であり、ゴキブリも神である。
人間にだけ自由意志が与えられており、宇宙生命の全知全能の使うことができる。現象の自我を捨てて、肉体に宿る神の細胞と一体になる時、使うことができる。
肉体は意識によって動かされている。肉体は操り人形のピノキオである。
人間は神によって造られた神の子であり、神の器である。神の化身が人間である。
何故、神は万象万物を造られたのか?神は生命エネルギーであり、生命エネルギーを放射させるために媒体として様々な形態が造られている。人間も然りである。人間と云う媒体は本来生命に生きる為に造られている。
人間は自由意志を持たされているため、神によって造られている肉体媒体を自分と勘違いし、勝手に神の造られた神の道具を使っている。現象の仮相の肉体に生きようとする為、宇宙のバランスを崩し、生老病死の四苦に囚われ自縛してしまっている。人間は肉体を波動を持った現象界がら離脱し、生まれた所に帰らなければならない。
宇宙は1つなる生命体であるということは見えるものは存在しないということになるのであるが、人間は存在すると信じて疑わないのが今の現象界に生きている仮相人間である。