2023年10月29日日曜日

人間は現象に囚われず生きなさいと云うが本当なの?


人間は現象に囚われず生きなさいと云うが本当なの?

宇宙は1つなる無限生命であり、生命が姿、形を顕している。現象は変化して止まない諸行無常の世界である。ブッダは諸行無常の世界を生きよとは云っていない。たとえ話の裏のある本質のことを云っているのである。現象から見るとブッタは慈悲の心で他人に接しなないという言葉もその裏にあるを云おうとしているのです。

見えない生命、法則のことを仏陀は慈悲という言葉に置き換えているだけなのです。
1つなる宇宙の法則、永遠なる我が本当の自分なのである我。それは中性であり、この現象界はこれを理解し、本当の我に戻る為の仮相界なのである。仮の宿、俗世、浮世なのである。
現象から脱皮する場所なのである。
素直に考えて、決められた時間の中で、人間に生まれ、現象の諸行無常の世界に囚われて生きる為に生まれてきたのですか?諸行無常の世界の中で何を学ぼうとしておりますか?それともお金も儲けですか?


 

2023年10月28日土曜日

空は法則なり


空は法則なり

宇宙は完全なる1つなる生命体であり、万象万物はこの生命によって存在している。現象は仮相であり、生命の化身である。宇宙生命は完全であり、被造物も完全であるから形を顕している。
顕われているものは変化して止まないがそれを顕している生命は完全なのである。
現われているものだけを見てしまうと変化して止まないものをあると思う心が現象、生老病死の四苦に囚われてしまう。宇宙は完全なる永遠なる生命体であり、この完全体の中に不完全は存在しないのである。宇宙で生きているのは生命であり、現象は生きてはいないのである。人間は現象であり、存在していないことを認めないで、現象に囚われないで生きなさいとと仏陀が云っていると思っているが、現象に囚われないで生きよということを云わないで存在しないものに囚われずに生きよと言った方が現象に悩まずに済むではないか?
これが仏教が迷妄から抜け出ない大きなネックである。
仏陀の例え話は宇宙は中性であることを云っているのであって人間を生きよと云っていない。
故に人間の肉体は乗り船と云っているではないか?
宇宙即我とも云っていますね。
宇宙は無限生命であり、人間は生命の放射媒体に過ぎないのである。
人間が生きているのではなく、生命が生きる住処が人間の形をした仏の宮なのである。
生命は法則であり、見えない空である。



 

2023年10月27日金曜日

人間は肉体に生きることではない


人間は肉体に生きることではない

宇宙は1つなる生命体だけが存在している。宇宙生命の中に人間は存在しない。
人間はこの世にお金を稼ぎにきているのではないのです。
やるべき使命があるのです。地球は波動の低い現象界である。生命は何かの媒体がなければ現象化することができない。人間の肉体は霊体であり、エネルギーを放射させる為に造られている。
霊体はバランスによって姿、形を顕している。現象界を生きる為には造られてはいない。
内なる生命を顕す媒体として造られている。宇宙はすべて霊体なのである。
人間は自分で生きていると思っているが、実際には自分では生きてはいないのである。
肉体は内なる自分の働く場であり、働く道具である。
肉体を通して生命エネルギーを放射させる媒体として存在しているのである。
現象を生きようとする為の迷いの道に入ってしまう。

 

生命は現象を通して現れている


 生命は現象を通して現れている

言葉も生命の顕れ

息も生命の顕われ

色も生命の現われ

笑顔も生命の顕われ

雨も生命の顕われ

雲も生命の顕われ

万象万物はすべて生命の顕われ

人間も生命の顕われ

生命は神なり


我は全我なる我


 我は全我なる宇宙生命であり

宇宙生命細胞体の一部であり全体である 




天地一体


天地一体

天は原因、地は現象。
見えるものはすべて天の創造原理によって形態が現象化され、地上界に現象化されている。
天がなければ地の現象は現わすことはできない。
天と地は別々ではない。天が地を顕しているだけなのである。
天が地を顕しているものを現象である人間は自分で生きていると勘違いをしてしまっている。
この分離感が対立、争いを起こしている。
この分離感が迷いの根源である。対処療法で治そうとしても治すことはできない。
この善悪の木の実を食べ続ける限り、対立、争いはなくならない。
この善悪の木の実を食べなければ、対立、争いはなくなる。
お金はかからないのである。意識の切り替えだけが必要なのである。                                                                                                                                                                                                                                                                                         
 

人間はピノキオである


人間はピノキオである

宇宙には原因、結果の法則がある。
見えるものは必ずそれを顕すものが存在している。
万象万物はすべて現象。その現象を顕しているものは宇宙の1つなる生命である。神とも云う。仏とも云う。
この生命によって形態が造られ、現象化している。この生命が形態に宿り、生命稼働をしている。生きているのは見えるものではなく、見えない生命が生きている。
人間も死ぬ時、生命と肉体は分離するが、生きている内は生命によって肉体は動かされている。肉体には何の力はない。ピノキオのように生命によって操られているのである。
生まれる時も死ぬ時も自分では決めることはできない。生命が引く時が死になる。
決定権は生命にある。生命は死ぬことはない。離れるだけである。