肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2023年11月2日木曜日
すべてのすべて
すべては空なり
完全バランスの世界。永遠なる世界。
観自在、無碍自在の無形無双の世界。
見えるものは見えない生命が現象化しているもので、1つの生命の世界である。
見えるものは見えない空によって空が現象化している。見えるものと見えるものと見えないものがあるのではない。原因、結果の法則である。
原因が結果を顕している。2つで1つなのである。
宇宙は1つなる生命。愛の法則、創造の原理であり。1つなる生命は全知全能の力、知恵である。全知全能の知恵が現象に宿り、生命が現象を顕している。
生命は中性であり、宇宙の本源本質である。すべての現象はこ゚の1つなる生命から顕れている。
これから神、仏になるのではない。神、仏の中に居ることに気づき、神、仏として生きるだけである。
2023年11月1日水曜日
卵が我なのか?ひな鳥が我なのか?
卵は食べる為に存在しているのか?それともひな鳥の生命なのか?
人間も外の形が自分なのか?内なる生命が自分なのか? なのである。
キリストは云われるように肉に生きるは死ということはひな鳥にならず、卵のままで孵化しない状態でいたいのか? 卵の殻を自ら破り、ひな鳥になって行くのか?
これは自由意志である。卵の状態ではまた再生されてくる。ひな鳥になるまで。
人間はひな鳥にならず、殆どのものが、卵を選び、現象界で豊かな生き方を追い求める。
仏陀が云われるように、肉体は生命の乗り船であると云われている。乗り船に生きてはならないのである。乗り捨てるものである。
宗教とは何か?
人類は世界中で宗教戦争を巻き起こしている。
人類に取って宗教は必要なのだろうか?
宗教とは何か?
争いをさせる為のものなのか?宗教という字は宇宙を示すと書く。宗教は宇宙の法則のことを知る。この法則によってすべての現象が現れている。
宇宙は1つなる生命体である。永遠なる生命体である。この生命が現象化しているだけである。キリスト、仏陀は宇宙の法則を示されたが、これを引き継ぐものが、出てこなかった。
現象の奥にある法則を理解できなかった。見えるものだけを扱う思想家になってしまった。
宇宙の法則はキリストの愛の法則、ブッタの慈悲の法則、中性の法則が生命であり、こ゚の生命が宇宙の本源本質であり、創造の原理、全知全能の力、知恵であることを理解することで、無限大の世界の中で生きる、現象界はその事に気づく為の仮相界である。
原因、結果の法則であり、見えるものには必ずそれを顕しているものがあることに気づくことで、永遠なる生命が我であることに気づく。神とは1つなる法則、この法則が人類を造っている。人間は現象であることに気づけば争いは起きない。善のみの世界を現象をあると信じるこころが善悪の心を自ら造り上げてしまった。
人類はもう一度宗教を再度見つめ直す時期に来たようである。
見えるものに囚われるとバランスを失う
宇宙は1つなる生命体。こ゚の生命体がすべての現象を顕している。原因結果の法則である。
現象から詮索しても原因は理解できない。
原点から物事を見つめる。これが正しい見方なのである。
見えるものから原点を見ようとする為に理解できない、ずべて原因から見ることで、問題は解決できる。完全なるものを不完全にしているのは自分自身なのだから。自分がやっていると思うから迷い道に入ってしまう。
自分では何もしていない。私という媒体を使って御業を成しているのは生命なのです。生命は神であり、仏である。肉体は生きていない。生命の操り人形なのです。自分と思って居るものも実際には自分ではないのである。勝手に自分と勘違いをしているだけである。
完全なるものを不完全にして自分を縛っているのは自分自身である。
現象から入る今の仏教は釈迦が云われている意味は理解できない。
21世紀はまがい物は消えて行く運命にあると感じます。