人類は宇宙生命の法則違反である。
宇宙は1つなる生命体である。生命が本源本質であるが、人類は生命を忘れ、現象である姿、形に生きてしまっている。
1つなる生命体の中で対立、抗争をさせているのは人間である。
1つなる宇宙の中に現象は生命の化身であることを忘れ、現象をあると信じ、分離感を持ってしまっている。この意識の切り替えを忘れ、法則違反のまま仮相の現象界に留まっている。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
人類は宇宙生命の法則違反である。
宇宙は1つなる生命体である。生命が本源本質であるが、人類は生命を忘れ、現象である姿、形に生きてしまっている。
1つなる生命体の中で対立、抗争をさせているのは人間である。
1つなる宇宙の中に現象は生命の化身であることを忘れ、現象をあると信じ、分離感を持ってしまっている。この意識の切り替えを忘れ、法則違反のまま仮相の現象界に留まっている。
宇宙は無限生命、普遍生命である。
すべてのすべてありてあるものは生命である。
生命は波動であり、姿、形を持たない。
これが宇宙の生命体であり、見えない生命体である。地上界は現象の世界。この見える世界の中に本当の我が存在している。見える現象の中に本質を見いだす。外を見ている者には中々気づくことはできない。
生命は五感では感じることはできない。直感啓示である。こ゚の切り替えが必要になる。
五感の目、耳ではなく、心の目、心の耳で聞いて行く以外にない。実感するのみ。
生命波動は宇宙波動そのものである。
宇宙の高バイブレーションの中性なる生命波動である。
宇宙そのものが創造の原理であり、全知全能の力、知恵である。
この全知全能の力を、知恵を人間が使うのではない。全知全能の力、知恵を顕す媒体として人間の肉体が現象化している。
生命波動が現象化しているものを通して現わす媒体として造られている。
高波動のものは見ることはできないが低波動のものは現象として見ることができる。
見えるものがあるのではなく、見えない生命波動が宇宙に実在として存在している。
宇宙は生命波動が様々な形態を造り、生命波動は宇宙に遍満している。
この遍満する無形無双の生命波動が本源本質であり、これが我である。
宇宙は1つ。想いは1つ。想いは神1つ。
神一元の世界。
全知全能の力、知恵、創造の原理が宇宙神の世界。
宇宙は完全バランス。完全バランスとは1つであるということである。陰陽の中性がバランスであるということである。
天地一体とは1つである。
我は現象の我ではなく、生命の我、中性の我である。現象を自分と見ている我から、現象を顕している我、神我の我に、原因の我に、1つの生命の我を変性させることで、生命の我に生きる。五感の世界ではなく、直感の啓示の世界、法則の世界。
全知全能の力、知恵を顕現させる無所得の世界。神1元の世界が我の世界である。
これが本当の我の世界。
想いとは神の想いであり、其処には人間は存在しない。
宇宙に実在しているのは無形無双の生命のみが実在している。この無形無双のが全知全能の力であり、知恵である。創造の原理である。
空の世界が本当の我であり、これは知識では学ぶことはできない。実感して行く。
見えない生命エネルギーが宇宙の本源本質が本体である。見えるものは本体ではない。
宇宙は霊界であり、光の霊体である。
宇宙はこの1つなる完全バランス、これが我であり、神、仏である。宇宙法則そのものが神であり、仏である。すべてのすべてありてあるもの。これが生命であり、中心生命が宇宙生命であり宇宙波動である。宇宙に遍満する微振動が生命であり、我である。
肉体を顕している無形無双の生命が我であることを実感して行く。
人類は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊である。
本源本質は霊が形を止っているだけである。
形をあると信じ、同じ生命によって霊が現象化しているもの同士が争いを起こしている。
1つの生命の中で争いを繰り広げている。
これって滑稽ですよね。
本来、宗教って争いをするために造られたものなのか?
幸せになる為に宗教があると思うのだけれど。宗教よりも人類は先に造られている。
人類は1つの生命によって現象化している。白人も黄色人も黒人も1つの生命の顕われなのである。同じ息を吸って1つなる生命が生きている。生きているのは姿、形ではない。
生命が環境に応じて肌の色が変化しているだけで、白人も黄色人種も黒人も1つの生命、宇宙生命体であって1つの生命体である。争いのない世界そのものが生命であり、自分なのである。
無形無双の形を持たない我が本当の自分なのである。法則そのものが我である。