宇宙は1つなる生命体である。宇宙には生命エネルギーのみが実在する。こ゚の生命エネルギーが独存する。天上天下唯我独尊である。生命1元である。
この生命がキリストであり。ブッダである。
この生命によって万象万物は現象化されている。
万象万物はこのキリスト、仏陀、生命の化身なのである。宇宙の本体はキリストであり、仏陀なのである。宇宙はこの1つなる生命界である。
呼び方は様々あるが、すべては1つの実在しか存在しないのである。
宇宙 神、宇宙は神である。仏である。無形無双の生命である。
聖書、仏書はこの無形無双の不可視の生命を実感する為に手引き書としてある。教えではないのである。
改ざんされているものは真理に正し修正して読みなさいと。
外なる知識では内なる生命を実感することはできない。キリスト、仏陀は自分の中にいるのだから。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年2月27日火曜日
我はキリストであり、仏陀であった
自分探し
自分探し、自己発見、本当の我を知る。
見える自分があるのに自分探しと何ぜそのようなことを云うのだろうか?
宇宙は永遠なる生命体である。その中に居て有限なる死はないのである。
宇宙は1つなる生命エネルギーであり、不変不動の永遠なる生命体である。こ゚の生命が現象を顕し、見える形で生命活動をしている。
人類はこの見える現象だけを捉えて生命と現象を分離してしまった。これが善悪の木の実である。この分離感の現象の中にいると生老病死という仮相の四苦に持て遊ばれてしまう。
自分探しとは生命と現象を分けてしまったことに気づき、1つなる完全なる生命に戻ることである。
すべての本源本質は1つなる生命であり、この完全なる本源本質が自分の中にあることを知り、本来の我に戻ることである。現象は本来の我の仕事場なのである。生命エネルギーを顕現する為に造られ道具なのである。
汝の神は汝の中にあり。汝の仏は汝の内にあり。現象を顕している内なる生命が我であり、現象は我の働くばであることに気づき使命を果す。現象界は無限生命の顕現する為に人間と云う形態の衣装を纏っている。現象界で生命が成さねばならない仕事である。
自分とは姿、形ではなく、無形無双の生命が我であり、完全なる生命を顕現させる為に現象化しているのである。
2024年2月26日月曜日
悟空とは
我の心は空であると。人間が人間であれば悟空と云う字はないはずである。
聖書にも人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。宇宙には人間と云うものは実在しないということになる。現象である。仮相である。
宇宙は1つなる不可視の生命体であり、生命エネルギーのことである。万象万物はすべて不可視の生命エネルギーが形態を造り。生命の化身として現象化している。生命エネルギーの表現として顕れている。
表現力とは表現はエネルギーであるということになる。エネルギーの顕れである。
見えるものは生命エネルギーが表現として顕れている。
1つなる生命が見える現象を顕している。宇宙の生命エネルギーが現象として様々な形態に宿り、生命を顕現している。宇宙生命体の本源本質である。
宇宙は1つなる全知全能の見えない生命エネルギー体である。
現象の人間が存在していると信じているものには不可視の生命エネルギーが我であることに理解ができない。すべては意識が肉体を動かしていることは理解しても意識が我であることの理解はできない。生命エネルギーの顕れが現象であり。1つなる生命エネルギーが形を止っている。空エネルギーが形を止っている。全知全能の空エネルギーが実在しているのみである。
無限生命とは1つなる生命ということである。
光りは陰を通して顕れる
1つなる生命、光は陰を通して顕れる。
万象万物は不可視の生命が質料細胞を通して顕れる。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り。息を吹き込まれたと。
不可視の生命は可視の細胞を通して顕れている。
久遠生命の中にある現象である。1つの生命の現象である。実在しているのは1つなる生命のみが実在している。
生命の中にある現象をあると思う心が神の波動を一気に低波動に下げてしまう。
外なるものに意識をむげると波動が低くなり、本来の我に戻れなくなる。
信じたものは顕れる。一度信じてしまうと自分が一番正しいと信じている為、悔い改めができない。
それほど想念意識を取り違えると、迷路に入ってしまう。本人が信じてしまったものはそれでも正しいと思っているために厄介なのである。中々元には戻すことができない。
お釈迦様が日常の中で身口意、憶念の生き方を実践しなさいと。汝の内なる自灯明、法灯明を汝の主としなさいと。法灯明、自灯明とは内なる仏のことなのである。
汝の仏は汝の内のありと云われている。宇宙の中性エネルギーのことである。
2024年2月25日日曜日
自由自在なる無限意識
「想念は実現の母」と云われるように思ったことが顕れる世界。何故現れるのか?
宇宙は完全なる中性であり。想ったことが顕れる世界、意識界である。
現象界も宇宙の相似形であり、想ったことが顕れる。夢は叶う。とか目的を持つことで目的が叶う。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えばわるいことが顕れる。
想念したものが現象化する。
今、自分が消え行く現象界に居るということは現象界を意識したために自分は現象化していると云うことになる。現象に生きている証拠なのである。
本来我は1つなる生命であり、現象として顕れていることに気づき。この世の現象界で豊かな生活をする為ではないことを理解し、何故、この肉体が存在するのか?を見極めなければならない。イエスの言葉は非常に重い。
悩みも恐れも不安は外を見る為に起きる外的なものである。この消極な現象を認めることで現象として顕れる。すべては自分の想念である。
本来の使命は無限生命の顕現であり、仮相の現象に生きることではないのである。
現象に生きようとする為にこの迷妄に憑りつかれてしまう。
生命はエネルギー
宇宙は1つなる生命エネルギーであり、中性なる生命エネルギーである。
この不可視のエネルギーが宇宙の根源である。
すべての現象は不可視のエネルギーが結果として現象化している。見えるものも不可視の生命エネルギーが現象化させている。原因、結果は同じものである。原因と結果は2つで1つであり、同じものなのである。
神の被造物と云うこという言葉があるが、現象界で神と被造物を分離感で見て、神と被造 物を分けてしまった。神は被造物を顕している生命エネルギーのことであり、こ゚の生命エネルギーがなければ現象化されることはない。
生命エネルギーが万象万物を顕している。
現象である人間が死ぬ時、魂が抜けたと云うが、魂と云うのは生命エネルギーのことである。
宇宙は1つなる無限生命、普遍生命である。この不可視のエネルギーがすべての根源になる。
イエスも原因なき原因と云われている。宇宙は1つなる原因なき原因。永遠なる不可視の生命エネルギーである。こ゚の生命エネルギーが形態に宿り、光の陰として現象が顕れている。
2024年2月24日土曜日
無邪気 邪気
宇宙は1つなる良心のみの世界である。
この良心しかない世界に邪心は存在しないのである。
宇宙は1つなる生命が様々な形態を顕し、その中に生命が宿っている。
この見える現象を見てあると思う心が分離感を生み、自我という邪心を自ら造ってしまう。これをサタン、悪魔という。すべて自ら造り出してしまう迷妄である。想念は実現の母であり、良いものも悪いものも何でも造り出してしまう。
この邪心が生命の気の邪魔をしてしまう。気枯れである。正常な気のバランスをアンバランスにすることで、気の病、病気になる。
邪気は自らをアンバランスにする外敵要因である。現象をあると信じる心が邪心を造る。
現象は内なる生命の現象であり、生命の顕現道具であり、これをあると信じる心に惑わされてしまっている。
邪気は実在しない現象、変化して止まない偽りの世界を認める心が邪気を造り出す。