2024年2月29日木曜日

我は天なり 地は天なり


我は天なり 地は天なり

宇宙は1つなる生命であり、生命は天であり。現象は地である。天と地は1つのものである。
宇宙の本源本質は1つなる生命である。
1つなる生命は永遠なる生命であり、宇宙は永遠なる生命が現象を顕している。
久遠にある現象である。こ゚の久遠にある現象は変化して止まない循環を繰り返している。
この見える質料の変化を顕しているものは生命であり、久遠の現象である。
人間はこの変化して止まない現象をあると信じる心、想念が自らを自縛させている。
これが分離感となって生命とのバランスを崩し、未発酵の状態で消えて行く。未発酵のままであればまた生まれ、完全発酵になるまで、現象界で再生させられる。
天は久遠、地は久遠の現象である。現象は久遠の無限なる生命を現象を通して顕現させる。
これが現象界での人間と云う姿、象に宿る、生命の使命である。
無限生命の顕現道具、神の宮である。



 

2024年2月28日水曜日

見えるものは心の表現媒体


見えるものは心の表現媒体

宇宙には心は1つである。良心が実在するだけである。全知全能の力、知恵、創造の原理である。
心とは生命であり永遠なる常在の無形無双の世界である。
原因、結果の法則であり、見えない原因が見える現象を顕している。原因と結果は1つであり、見えないものも見えるものも1つであり、永遠にある現象を実在していると分離感を持ってしまった。ないものをあると信じ、錯覚してしまった結果、諸行無常の世界に持て遊ばれて、まだそれに気づかない。人類はこれから中々抜け出せない。抜け出そうとする意識も持たない。
見えるものは見えないものの顕れ、原因、結果の法則が理解できれば、現象界で成すべきことが見えてくる。


 

我が息は神の息


我が息は神の息

宇宙は1つなる無限生命であり。無限生命の中に有限な現象なる人間は存在しない。
宇宙の息は1息である。万象万物も1息である。
人間が息しているのではない。神が息している。
心臓の鼓動は神の心音である。宇宙には1息しかない。
初めに言葉ありき。現象はすべて生命エネルギーの現象として顕れている。
不可視のエネルギーを顕している現象界。本来の生命世界に戻る為には、今の現象界の法則を理解しなければならない。原因結果の法則から不可視のエネルギーが可視の現象を顕していることに。
すべて不可視のエネルギーが可視の現象に宿り、現象を顕していることを理解して行く。
無限大の不可視のエネルギーが神であり、すべての本源本質の原点であり、我であることに気づいて行く。現象は原因の顕れである。原因が我であることに気づき、現象の我から原因の我に戻る。神の息の現われが我が息である。



2024年2月27日火曜日

我はキリストであり、仏陀であった


我はキリストであり、仏陀であった

宇宙は1つなる生命体である。宇宙には生命エネルギーのみが実在する。こ゚の生命エネルギーが独存する。天上天下唯我独尊である。生命1元である。
この生命がキリストであり。ブッダである。
この生命によって万象万物は現象化されている。
万象万物はこのキリスト、仏陀、生命の化身なのである。宇宙の本体はキリストであり、仏陀なのである。宇宙はこの1つなる生命界である。
呼び方は様々あるが、すべては1つの実在しか存在しないのである。
宇宙 神、宇宙は神である。仏である。無形無双の生命である。
聖書、仏書はこの無形無双の不可視の生命を実感する為に手引き書としてある。教えではないのである。
改ざんされているものは真理に正し修正して読みなさいと。
外なる知識では内なる生命を実感することはできない。キリスト、仏陀は自分の中にいるのだから。




自分探し


自分探し

自分探し、自己発見、本当の我を知る。
見える自分があるのに自分探しと何ぜそのようなことを云うのだろうか?
宇宙は永遠なる生命体である。その中に居て有限なる死はないのである。
宇宙は1つなる生命エネルギーであり、不変不動の永遠なる生命体である。こ゚の生命が現象を顕し、見える形で生命活動をしている。
人類はこの見える現象だけを捉えて生命と現象を分離してしまった。これが善悪の木の実である。この分離感の現象の中にいると生老病死という仮相の四苦に持て遊ばれてしまう。
自分探しとは生命と現象を分けてしまったことに気づき、1つなる完全なる生命に戻ることである。
すべての本源本質は1つなる生命であり、この完全なる本源本質が自分の中にあることを知り、本来の我に戻ることである。現象は本来の我の仕事場なのである。生命エネルギーを顕現する為に造られ道具なのである。
汝の神は汝の中にあり。汝の仏は汝の内にあり。現象を顕している内なる生命が我であり、現象は我の働くばであることに気づき使命を果す。現象界は無限生命の顕現する為に人間と云う形態の衣装を纏っている。現象界で生命が成さねばならない仕事である。
自分とは姿、形ではなく、無形無双の生命が我であり、完全なる生命を顕現させる為に現象化しているのである。



 

2024年2月26日月曜日

悟空とは


悟空とは

我の心は空であると。人間が人間であれば悟空と云う字はないはずである。
聖書にも人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。宇宙には人間と云うものは実在しないということになる。現象である。仮相である。
宇宙は1つなる不可視の生命体であり、生命エネルギーのことである。万象万物はすべて不可視の生命エネルギーが形態を造り。生命の化身として現象化している。生命エネルギーの表現として顕れている。
表現力とは表現はエネルギーであるということになる。エネルギーの顕れである。
見えるものは生命エネルギーが表現として顕れている。
1つなる生命が見える現象を顕している。宇宙の生命エネルギーが現象として様々な形態に宿り、生命を顕現している。宇宙生命体の本源本質である。
宇宙は1つなる全知全能の見えない生命エネルギー体である。
現象の人間が存在していると信じているものには不可視の生命エネルギーが我であることに理解ができない。すべては意識が肉体を動かしていることは理解しても意識が我であることの理解はできない。生命エネルギーの顕れが現象であり。1つなる生命エネルギーが形を止っている。空エネルギーが形を止っている。全知全能の空エネルギーが実在しているのみである。
無限生命とは1つなる生命ということである。


 

光りは陰を通して顕れる


光りは陰を通して顕れる

1つなる生命、光は陰を通して顕れる。
万象万物は不可視の生命が質料細胞を通して顕れる。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り。息を吹き込まれたと。
不可視の生命は可視の細胞を通して顕れている。
久遠生命の中にある現象である。1つの生命の現象である。実在しているのは1つなる生命のみが実在している。
生命の中にある現象をあると思う心が神の波動を一気に低波動に下げてしまう。
外なるものに意識をむげると波動が低くなり、本来の我に戻れなくなる。
信じたものは顕れる。一度信じてしまうと自分が一番正しいと信じている為、悔い改めができない。
それほど想念意識を取り違えると、迷路に入ってしまう。本人が信じてしまったものはそれでも正しいと思っているために厄介なのである。中々元には戻すことができない。
お釈迦様が日常の中で身口意、憶念の生き方を実践しなさいと。汝の内なる自灯明、法灯明を汝の主としなさいと。法灯明、自灯明とは内なる仏のことなのである。
汝の仏は汝の内のありと云われている。宇宙の中性エネルギーのことである。