修道二種 あり
- 一は至高至大の理想を立て、反省、克己、精進、向l上、神に結び、天に合し、聖人の境に入らずんば息まず。入って更に悟後の修行を怠らず。自然に道を行い、自然に人を導き、自然に世を化し、自然に命を楽しむに至らんとするものなり。
- 一は非凡、卓越の士をを自己競争の相手となし、鞭撻、奮闘、克己、猛進、心を錬ること、恰も武者修行の如く、今年、甲に勝ち、明年、乙に勝ち、年々勝ち、勝ちて対比無きを至らんとする者なり。この二者はその人、生来の性格、その立志、その方向、その行路の相違に由りて、その結果、亦同一に非らず。一は天に向かい、神に向かい、大原に向かい、本性に随い、自然に順ずるが故に、その真と善と美と自ら天為の如き者なり。二は多く地に住し、人と対するが故に、その真善美、なんとなく人工の如き者あり。是察せざるべからず所なり。
聖中心道No21より
聖中心道肥田式強健術で中心力を身につけると云うことは神に結び、天に合して行く学びであることを自覚し修練するものであることを肥田先生は語っておられる。自分自身が主人公になることで人間に与えられた脳力を使えることを実験で証明された。その脳力は虚になることで引出されてくることを。