2022年3月11日金曜日

宇宙も我もフリーエネルギーなり 永遠なり

人類は宇宙エネルギーの中に存在し、宇宙エネルギーの中に生かされている。
宇宙は無限生命、無限とは限りが無い。1つである。その中に万象万物は息をしている。すべては1つの生命であり、1つの息であり、1つの意識である。宇宙は陰陽の吸引の法則であり、愛の法則、すべてはフリーエネルギーの中に存在し、フリーエネルギーで万象万物は生かされている。自然界も外部からの影響がなければ永遠に生命活動をすることができる。屋久島の杉が何千年も生きているように。何故、人間は永遠なる生命でありながら、死というものを信じて生きているのだろうか?
生命が生きて現象化しているものをあると信じ、消え行くものに囚われ、変化の中にある現象を本物と信じ、物質(エーテル質料)に生きている。故に現象の消え行く形の中に生きてしまう。
この現象は実在しない。これが善悪の木の実である。人間はこの現象を中々見破ることができない。
宇宙の完全なる中に居るのに敢えて消え行く見える不完全の中に安住している。消えて行くものにしがみついている。外からエネルギーを略奪しなくても生きられる。宇宙はフリーエネルギーの法則であり、人間もフリーエネルギーで生きられるようになっており、実際にフリーエネルギーで生きていることに気づかない。
自然界はそれを教えてくれている。地球で一番の悪人は誰ですか?人間だけが地球を汚し、自分の生きる環境をも
壊し、生きていることに気づかない。自然界の法則を無視してアンバランスを作り、それをお金に変えてお金中心に生きている。それが豊かさだと信じて。自然界は中性の法則で動いているので、それを自然界が修正しようとしているものに対して災害と呼ぶ。アンバランス結果であることに気づかない。文明が発達すると地球のバランスを失い、失速し、天変地異が起きてしまう。幾度どなく繰り返されている天変地異。この世は俗世、仮の宿と云われ、外部からエネルギーを取り、生きる世界ではないのである。宇宙のエネルギーが無限大であり、このエネルギーを放射させる使命が人間に与えられている。万物の霊長である人間に課せられた使命なのである。見えるものは実際にない。見えないものが見えるものを現わしている。宇宙は陰陽の循環システムで動いている。見えないものが見えるものを通して生命エネルギーの循環をしている。色心不二。すべて持っている自分に気づく。人間は現象であり、現象は内なる生命エネルギーを放射させる器に過ぎない。





 

2022年3月7日月曜日

力は裡から

 
肥田式日程表(東京会場/つくば会場)へ

力は裡から

一般的に肉体鍛錬をして能力を出そうとする人が多いと思いますが、力は裡から、中心から湧き上がってくる。
肥田先生も云われているように「天寵無限」エネルギーは宇宙には無尽蔵に存在し、それを使うことができる。
宇宙は1つなる無限の生命体、陰陽の絶対調和の永遠なる宇宙バッテリーである。使っても減らないフリーエネルギーである。宇宙は1つなるエネルギー体であり、人間も宇宙の中に生まれているエネルギー体であるということである。人間はエネルギーの子であり、人間は宇宙エネルギーが親で自分は子である。人間は今まで現象の形を自分だと思い違いをして人間を演じてきたが、天寵無限という言葉は天の恵みによって人間は生かされていることに気づく。肉体には何の力もない。宇宙のエネルギーを引き込むには自分の中心を取ることで宇宙の中心につなげることで無限大のエネルギーと一体となり、引き込むことができるということになる。無限という字は限りが無いと書く。1つであるということである。故に肥田先生は自分は神の子であり、神の器であると云っておられる。
第3次世界大戦に備えて書かれたと云われる宇宙倫理の書の骨子は此処にあると強く感じます。我々は肥田先生の造られた鍛錬方法を使って自分の肉体鍛錬だけをしていて良いのだろうか?中心力を身に付け、自分のできることをしなければならないのではないかと。肥田式は中心力を引き出す為のものであり、肥田式によってそれぞれの中心力を引き出し、宇宙エネルギーを社会に還元して行きましょう。

2022年3月1日火曜日

肥田先生が云われる天寵無限とは



天寵無限を使われる意味とは?

肥田先生がこの言葉を何故使われるのか?
人間は中心力を使うことができれば、宇宙の無限なるエネルギーを使うことができると云っているのか?
それとも宇宙は1つであり、無限なる生命体が我であると云うことを言われているのか?
肥田先生は第3次世界大戦を防ぐ為に宇宙倫理の書を描かれたと云われている。この中で何を言おうとされたのか?
今、焼失して見ることはできないが、宇宙は1つの生命体であり、人間はすべて1つの生命体であることを書かれているのではないかと思います。
キリスト、仏陀が云われるすべては1つであることを云われていると確信をする。
一般的には当時理解しづらいので、このような言葉になっていると思う。
インドのサイババが今、自分が神だと言ったら殺されると云っていたが、本当のことはこの言葉の裏にあると思う。
一所懸命に国に尽し、天真療法、強圧微動術を本に顕しながら、困っている人に尽し、病人に尽し、無私の状態で人生を送っている。
今、自分は何をすべきなのかを問われている。この天寵無限の言葉の裏の想いを見つめている。肥田式は確かに肉体鍛錬の中心を取ることでブレない生き方ができる。問題はそれを使って何をしなければならないのかである。個人は存在しない。存在しない人間に執着して生きるのか?宇宙の無限なるエネルギーを使って地上界の波動を上げて行くのか?
中心力が宇宙力である。お釈迦様が云われる宇宙が我である。肥田式を学ぶものよ。すでに持っている中心力を使い、人類の為に貢献しようではないか。目先のちっぽけな消えてしまうものに執着しないで。人類救済は自分の裡にある。中心にある。

2022年2月28日月曜日

天真療法と治癒力

 天真療法の絶対安静

肥田強健術の中の天真療法がある。どのような療法なのか?簡単に言ってしまえば絶対安静ということである。人間知識で思っていても中々できるものではない。只、寝ているだけなのですが?余程の覚悟が必要である。好転反応で少し様子が悪くなると医者に飛び込んでしまう。
天真療法は宇宙の法則に即した治療法であり、中性力を使っている。宇宙の永遠なる生命の法則である。人間は宇宙のバランスの中で生かされている。この事を忘れ、自分勝手に生きて不調和を自分で作り出している。
自然体休養姿勢でいると宇宙とつながると肥田先生は云われている。天真療法は宇宙力を使う療法であるということである。カミナリも地下の中心から起こるように人間のエネルギーも自分の裡から、中心から起こってくるのである。治癒力とはバランスのことであり、陰陽のバランス、中性力が生命力であり、生命力はこのバランスから無限大のエネルギーが生まれてくる。形あるものにはすべて中心を持っている。其処がエネルギーの根源になる。肥田式はこのエネルギーの根源にタッチしようとする鍛錬である。只の肉体運動ではないのである。
肥田先生が教えてくれているのは自分の中に無限の生命エネルギー、知恵が眠っている。これを自分で内なる井戸を掘り、人生に使いなさいというメッセージが託されている。
この井戸は枯れることはない。永遠の井戸であると。中心力が肉体を動かしている。自分は肉体なのか?中心力なのか?中心なるものが自分であると気づけば悟りである。
幻の肉体を幾ら鍛えても現象であり、現象の裏にある本質を理解することである。
肉体を自分だと思ってしまうから悩むのであって、中心力、生命が我だと知れば悩むことは無くなる。


2022年2月27日日曜日

肥田式で何を学ぶのか?

肥田式で学ぶべきものは何か?

肥田先生が自分で編み出した強健術を他人が同じように真似ても肥田先生と同じように能力は出ることはない。型、形の中には何の力もないからである。肥田先生は必死の覚悟で実験し鍛錬を行い、生み出されたものだからです。肥田式は肉体鍛錬の正中心と宇宙の法則の聖中心道の2つの体系を造られている。肉体は意識で動かされるもので、肉体だけを幾ら鍛練しても効果は期待できない。どのように鍛錬に臨むのかの初動で決まってしまう。肥田式だけではなく、すべてにおいて同じである。本人の意識レベルで上達するか、しないかは決まる。
幾らわかりやすく本に書いたとしても理解できない。習う姿勢が決めるのであって幾ら型を正確にしたとしても身につかない。著書に書かれている内容はその波動領域に入って理解できるものである。
肥田式の骨子は肉体の中心を作ることで無限なる生命エネルギーを機械的に取り込もうとするものである。エネルギーは外ではなく、裡にある。
宇宙の中心は裡にある。すべての見えるもの、見えないものの生命エネルギーは裡に無限大のエネルギーを秘めている。
肉体には何の力もない。内なる生命エネルギーによって動かされている。
生命エネルギーが自分なのか?肉体が自分なのか?である。自分で自分を確認をして行く。
キリストが云っている。
肉に生きるは死  生命に生きるは永遠。
肥田先生も同じようなことを云われている。
中心の鉄扉を開かずして 生涯を終わるものは
  米を抱いて餓死するが如し。
肥田式は人それぞれの想いで無限なる中心の井戸から全知全能の知恵と力を汲みだす。人それぞれの肥田式で中心の井戸から無限大の知恵と力を汲み出す。エネルギーとは知恵であり、力である。その力は内からしか汲みだせない。故に肥田式は万芸の泉なのである。
形を真似ても身につかない。腹は作るのではなく、造られてくるのである。言葉の背後にあるものを感じ取って頂ければ幸いです。

 

2022年1月20日木曜日

息づかい

息づかい、呼吸操練法

息は自らの心、生息、息の乱れは心の乱れ。
息と心は密接な関係がある。息は見えない。見えないが息を吸わなければ息が止まり、肉体は動かなくなる。息は見えない空である。悟空、息は悟りにつながって行く。
見えない息は心臓の鼓動を通じ感じることができる。息が乱れると心臓の脈拍が乱れる。心が乱れる。肉体を動かしているのはこ゚の息である。息が乱れると肉体を自由に動かすことができなくなる。肉体は息の状態によって変化してしまう。
息を安定して使う為には身体の動き方を知っておく必要がある。呼吸操練法の中に腹胸式呼吸法がある。こ゚の呼吸操練法は腹式呼吸と胸式呼吸を同時に行う呼吸法である。寝て行う為、余分な所に力が入らずバランスが取りやすい。また寝て行うため全身の血液が1分間で循環させることができる。
この腹胸式呼吸の時、胸式呼吸は胸をより大きく広げ、胸郭を広げることが目的になる。胸は大きく開いたままの状態で更に大きく拡張させる。ということは肺で外から酸素を入れて吐き出しているという一般的な呼吸ではなくなる。胸は常に解放状態である。肥田先生は息づかいは横隔膜の大緊張と云われている。酸素を入れているのは肺からではなく、皮膚、内臓、全身から酸素を入れる為に横隔膜を使い、内圧を上げることで全身から酸素を入れているということになる。肺は汚れた血液を綺麗な血液に変える場所であるということになる。
腹胸式呼吸法はそのことを教えてくれている。そのまま鵜吞みにするのではなく、本当かな?と疑って自分で確認をして見て下さい。呼吸という字も吐いて吸うと書く。吸呼とは書かない。また「真人は踵で呼吸をする」と云われているが、息づかいは肥田先生の云われる横隔膜呼吸、横隔膜の大緊張と同じことである。
本来、人間には呼吸法はない。神は人間が作った呼吸法を使わななければ生きられないようにはなっていない。腹胸式呼吸法は別々の呼吸ではなく、一体で動く全身呼吸である。肉体が主ではなく、息が主である。息は全知全能の知恵、力である。
横隔膜は人間の意志では動かない。その為に全身の呼吸筋を使い、横隔膜をコントロールする。これが理解できれば日常生活の息づかいが変化する。肥田式の腰腹同量である。ホントかな?と思われた人は試して見て下さい。





2022年1月18日火曜日

五色沼と人間の肉体

原因と結果の法則(見えるものと見えないもの)
福島に五色沼がある。綺麗な沼である。水の色が変化して美しく見えるが水に色がついているのではない。水に含まれる質料が光により変化している。
人間も光の陰によって映し出された影の現象である。人間という形は光の陰である。肉体は質料であり、エネルギーによって生かされている。人間は細胞体であり、物質ではない。エーテル質料であり、細胞の集合体であり、その見える形を人間と名付けているに過ぎない。人間の姿、形は光の陰であり、実在していない。幻影である。
この幻影に本当の自分が惑わされている。この幻影は諸行無常で常に変化して止まない。これをお釈迦さんは心が造り出す迷妄であることを突き止めた。見えるものに惑わされ、不安、恐怖の生老病死に悩まされる。その原因を突き止めた。人間の肉体は現象であって実在しないことを。見えるものは見えないものの現われであり肉体と心のバランスが生命であり本来の我であることに。中心バランスが我であり、このバランスが崩れることが不安、恐怖を持ち込む。中心バランスで肉体は現象されている。こ゚の使い方を正しく使えば生老病死を持ち込まない。中心バランスを取ることは元の我に戻ることになる。