2022年10月23日日曜日

天上天下唯我独尊


 天上天下唯我独尊

宇宙は1つなる生命体であり、フリーエネルギーの永遠なる絶対バランスの生命体である。すべての見えるもの、見えないものすべてが1つなる生命体の中に存在する。様々な現象はあるが、1つなる生命の現われである。天上天下唯我独尊であり、すべてが自分であり、すべてが1つの生命の現われ。宇宙即我である。
人間は様々な見えるものがあると思ってしまうことで、分離感が生まれ争いを引き起こす。
すべての人類は1つの生命の現われであり、1つの中で今、人類は自分を自分で殺している。
宇宙はすべてのすべてありてあるものは1つなる生命のみが独尊するだけである。
人類皆兄弟であり、すべての万象万物は同じ生命の現われである。

2022年10月22日土曜日

我は中性バイブレーションなり


 我は中性バイブレーションなり

宇宙は1つなる中性生命体。永遠なる生命体、高バイブレーションの気体の世界。
中性なるバイブレーションは調和のバイブレーションであり、生命原理である。ここから万象万物が現象化されている。
見える現象界は自然界の法則によって生命活動をしている。見える現象は現象の中心に宿る生命によって生かされている。宇宙は無限なる生命体であり、その中に我は存在している。我というのは姿、形を持たない宇宙生命体である。宇宙には1つなる生命以外存在しない。人間は宇宙には存在しない。存在とは実在であり、永遠という意味である。永遠なるものは1つなるものだけである。故に人間は仮相であり、仮相に振り廻されているだけである。
仮相を脱却し、実相の我に帰えらなければならない。


2022年10月21日金曜日

人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。


 人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。

宇宙は1つなる全知全能の生命体である。宇宙生命意識である。意識は想念であり、想ったことが現われる世界である。生命は見えないが故に神と呼ばれている。宇宙には神以外何も存在しない。見えるものはすべて神の現象である。万象万物は神の化身である。生命が神であり、ゴキブリも神である。
人間にだけ自由意志が与えられており、宇宙生命の全知全能の使うことができる。現象の自我を捨てて、肉体に宿る神の細胞と一体になる時、使うことができる。
肉体は意識によって動かされている。肉体は操り人形のピノキオである。
人間は神によって造られた神の子であり、神の器である。神の化身が人間である。
何故、神は万象万物を造られたのか?神は生命エネルギーであり、生命エネルギーを放射させるために媒体として様々な形態が造られている。人間も然りである。人間と云う媒体は本来生命に生きる為に造られている。
人間は自由意志を持たされているため、神によって造られている肉体媒体を自分と勘違いし、勝手に神の造られた神の道具を使っている。現象の仮相の肉体に生きようとする為、宇宙のバランスを崩し、生老病死の四苦に囚われ自縛してしまっている。人間は肉体を波動を持った現象界がら離脱し、生まれた所に帰らなければならない。
宇宙は1つなる生命体であるということは見えるものは存在しないということになるのであるが、人間は存在すると信じて疑わないのが今の現象界に生きている仮相人間である。





2022年10月20日木曜日

宇宙エネルギーを現象界で使うには


 宇宙エネルギーを現象界で使うには

宇宙エネルギーは中性なる生命エネルギーであり、
こ゚の中性なる調和生命エネルギーを現象化したものが自然界である。
自然界も宇宙の法則で動かされている。鳥たちは自然界の作用、反作用を利用して生命を維持させている。ヒマラヤ越えをするアネハツルも下降気流の奥に流れる上昇気流を捉え、8000mのヒマラヤの山を越えて行く。ヨットも向かい風を捕らえ、前に進んで行く。人間も作用、反作用の利動力を使うことでエネルギーを使うことで、生命を維持している。この反作用に力は宇宙力であり、無限大である。お金のかからないエネルギーであり、知恵である。
肥田式強健術は自然界の法則、宇宙の法則を知ることで誰でもこのフリーエネルギーの使い方を身に付ける鍛錬である。肉体を動かしているのはこの見えない宇宙エネルギーなのである。
肉体は宇宙エネルギーを受けて流す媒体である。現象界は消え行く世界であり、生きる世界ではないのである。生きるのは永遠なる生命に生きることであり、現象界は生命に気づき本来の我に戻る為の気づきの為の現象界である。
この現象界で平和を作ろうとしても作れない。1人、1人の波動を上げることで争いは亡くなる。1人、1人が自分の波動を上げ、この波動の低い現象界から抜け出すことが地上界を平和にできる唯一の方法である。


2022年10月19日水曜日

自分の想念意識が天国、地獄を決めている。


 自分の想念意識が天国、地獄を決めている。

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命体が様々な形態に宿り、現象化している。すべては1つの現われである。
「想念は実現の母」と云われるように想念の仕方で天国に住むのか、地獄にすむのかが決まる。すべて自分の想念の仕方で自分で決めている。
人間には自由意志が与えられており、天国の切符と地獄の切符を渡されている。
地獄の切符は自分が創り出す切符である。
人間は今、天国の切符を使わず、自ら作った地獄の切符を使っている。
地獄の切符とは現象である人間を実在していると思う心であり、天国の切符とは宇宙生命が我であるという意識である。
すべては自分の意識をどの意識レベルに置いて置くかである。
すべては1つなる生命から発露している。元々1つなる神から発生している。原因が神なら結果の現象はすべて神である。原因と結果は同じものである。色心不二である。
宇宙は気体の世界であり、バイブレーションの違いによって現象が変化する世界である。原因世界は気体である。気体が様々な形態に宿り、生命活動をしている霊界、気体の世界である。
想念、意識、心によって変化する気体の世界。


2022年10月18日火曜日

見えるものは宇宙法則の中で具現化されているだけに過ぎない。


 見えるものは宇宙法則の中で具現化されているだけに過ぎない。

宇宙法則は陰陽の法則であり、1つなる中性バランス、永遠なる生命バランス、これが宇宙の見えない生命体である。こ゚の生命が様々なバイブレーションによって様々な形態の中に生命が宿り、現象化している。人間も現象であり、宇宙の中に人間は存在しないのである。存在しているとすると宇宙は成り立たない。1つなる生命の中に有限なる人間は存在はすることはない。人間は実在すると勝手に思っているだけである。ないものをあると思う心が不安、悩み、恐怖を持ってしまう。本当なるもののなかでは不安、悩み、恐怖持つことはない。なくなることを知っているから不安、悩み、恐怖を持ってしまう。なくなるものをあると信じる心が造り出す。
現象の自分を捨てる時、不安、悩み、恐怖はなくなる。
本当の自分とは何か、本当の自分をこの現象界の仮の宿で探すことが生きることの意味である。空海も生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと云われている。


2022年10月17日月曜日

肥田式の型と形


 肥田式の型と形

一般的にものを学ぶ時、形から入るが、形から入ると本質を見極めることはできない。何事にも原因と結果の因果の法則がある。形は表面的なものであり幾ら上手にできても本質を捉えることはできない。
見えるものは見えない本質によって形に現れている。肥田先生は肥田式を中心力を何故、型の中心に据えたのかを理解しなければならない。
すべての見えるものの中には中心が存在する。この中心がなければ形に現れることはない。
この中心より生命が発露してくる。生命は無限大である。肥田先生が云われる「天寵無限」である。1人、1人の中に無限大の力、知恵が宿っている。この力を機械的に中心を作り、引き出す方法を作り上げたのが肥田式強健術である。正中心なる強健術である。正中心から聖中心になることで人間の仮相から実相の宇宙心に変容させている。
肥田先生が人間は神の子であり、神の器であると云われていることである。
「中心の鉄扉を開かずして 生涯を終るものは  
   米を抱いて 餓死するが如し」
と云われている。別の解釈をすると中心を開かずして生きるものは生きていても意味がないということである。
中心力が我であり、肉体は中心力を現わす媒体である。人間と云う姿、形は宇宙生命エネルギーによって造られ、生かされている。
肉体を鍛えてこの世を生きることではない。宇宙の無限大の生命エネルギーを引き出す為に肉体の媒体を使う。生命エネルギーはバランス生命である。無限大の生命エネルギーは1つなるものである。1つなるものの中には争いは生じない。人間と云う姿、形の現象をあると思うアンバランスの心が争いを引き起こしてしまう。
宇宙は1つなる生命体である。中心力は誰でも無料で使える生命エネルギーである。
宇宙は無限大のお金のかからないフリーエネルギーの世界である。人間は何1つ創り出すことはできない。全知全能の生命が造り出しているのである。すべて中心力が現象化させている。
生かされている人間が自分が生きようとする為に分離感を持ち、自己保存の為に争いを起こす。肥田式の中心力により自らの波動を上げることで、争いの起きる低い波動から争いの起きない高波動に上げることである。