2023年10月16日月曜日

完全の中に不完全は存在しない


完全の中に不完全は存在しない

宇宙は完全なる永遠なる愛の生命体である。
この完全の中に不完全はあり得ないのである。
不完全にしているのは自らがバランスを崩しているだけである。
人間は宇宙生命体の中に存在する。完全なる中に存在する。完全であれば不安、悩み、恐怖はなく、不変不動の世界の中にいることができる。人間というものが不安、恐怖、悩みが生じているのは変化して止まない現象を見て、これをあると思う心が、完全なる心を不完全なる心にしているだけである、完全意識が、外なる現象に向くと意識の波動が下がり、諸行無常の不完全な中に陥ってしまう。
完全なる意識を不完全な心に下げてしまったのは自分自身なのである。
生老病死の四苦から解放するには意識を元の完全なる意識に戻さなければならない。
すべて自己責任である。すべて法則通りに動いているだけである。
法則違反をしておいて神様にお願いしても自分自身が直さない限り、元には戻らない。
宇宙は愛の法則の中で永遠なる生命活動をしているだけである。
人間が何かをしようとすると必ずアンバランスを起こす。
人間が文明を発達させればさせるほと、地球の波動は下がり、地球をアンバランスにしている。結果から発想するからアンバランスを起こす。原因は完全である。完全からの発想でなければ、バランスを崩してしまう。

 

人間の自由意志


人間の自由意志

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が様々な形態を造り、生命活動をしている。
生命が生きているだけである。人間は生命のはたらく場であり、人間だけには自由意志が与えられている。意識を自由に使うことができる。

想念は実現の母であり。想念意識で想ったことを顕すことができる自由意志が与えられている。
良いことも悪いことも好きなことができる権限が与えられている。この想念力を人間は外なる現象に使ってしまっている。その為、諸行無常の世界をあると思い、この四苦の囚われ人になっている。本来の生き方から外れてしまっている。自分で選び、自分で自縛している。
自分で自分を縛り、苦しめている。

 

高気圧と低気圧


 高気圧と低気圧

自然界は高気圧と低気圧が同居している、高気圧は晴れているが、低気圧はその中で、曇り、雨、雪、様々な現象を顕す。雨、雪は見えるが1つのものが変化しているに過ぎない。
人間も低バイブレーションになると様々な表現が顕れる。1つのものが変化して顕われてくる。高気圧は気圧が高い為、安定している。
形があるということは低バイブレーションであるということである。
バイブレーションが高くなれば、様々な現象に惑わされなくなる。

山岡鉄舟の言葉の中に

晴れてよし  曇りてもよし 富士の山

         もとの姿は変わらざりけれ

現象は様々なものが顕れる。諸行無常の世界。外の意識は低バイブレーション。
この低バイブレーションの波動を高バイブレーションに上げることで、低バイブレーションで起きる現象には左右されなくなる。
すべては1つのバイブレーション変化で起きてしまう。低バイブレーションの世界は何が起こっても不思議ではない世界である。
心は高バイブレーションであり、この心の波動を下げてはならないのである。
見えない高バイブレーションの世界が生命の世界であり、不変不動の世界が我の世界である。
この世界に戻らなければならない。1つなる生命にならなければ使命を果たすことはできない。


天地一体とは


 天地一体とは

天地一体、見えるもの、見えないものは1つである。人類はこの天地二体で見ている。分離感で見ている。
1つのものを分離してしまうとどうなるのか?
見えない天が見える地を顕している。現わされている地だけを見てしまうと見えるものは現象であり、変化の止まない無常の世界に囚われてしまう為、自己保存の法則により、争いが起きる。
1つなる生命は永遠なる生命でであり、永遠なる生命の現象なるものに囚われてしまい、本来の我は永遠なる生命である事を忘れてしまっている。現象の見える姿、形が自分ではなく、見えない生命が我であることに気づく。この気づくために現象界、地の世界の現象の中に蒔かれた光の種である。蓮の華のように、自分の光の種に気づき光の華を咲かせて行く。
天地一体、すべては1つの生命体が存在している、分離感は自分自身を自ら不調和にしてしまっている。すべての悩み、不安は現象だけを見て自分で自分を縛ってしまっている為に起きる現象である。これは意識の切り替えて修正できる。自分で造ったカルマは自分で取るしかないのである。意識の切り替えで即、取ることができる。



宇宙は創造原理


宇宙は創造原理

宇宙は1つなる生命体である。原因なき原因、これが宇宙生命体の本源本質である。すべての現象を生み出す創造原理、全知全能の力、知恵である。
自然界の様々な形態はこの創造の原理によって顕されている。様々な地球環境の中で、生命は形態を造り、その場の環境に合わせ、知恵を出し、生命が生きている。過酷の環境の中でも生命は知恵を出し、生きている。
万象万物は生命の全知全能の知恵、力によって生かされている。鉱物、植物、動物、人間、すべての形態の中で生きる生命、これが生命の法則、神の法則、愛の法則である。
生命が形態を造り、その中に宿り、顕している。生命の化身が現象である。生命と現象は2つで1つである。
この見える現象と見えない生命を分離してしまうと不完全になる。そのため人間は争い、自分で自分を殺してしまう。すべては1つなる生命によって造られていることを理解し、現象界から永遠なる生命に戻って行かなければならないのに、エネルギーの使い方を逆に使う為、低バイブレーションの現象界から抜け出すことができない。
生命は宇宙の本源本質であり、これがすべての原点、原天である。これが我である。


 

姿、形の誘惑


 姿、形の誘惑

天地一体、色心不二、霊肉一体、これはすべて1つであるという意味でもある。
1つと云う中は調和、バランス、中性、愛の法則、生命ということである。
1つなる生命は法則であり、見ることはできない。この法則が現象を顕している。
これを如何にすべては1つなるものの顕れであることを理解して行くかが課題である。
すべての見方、考え方が現象から物事を見てしまっている。

この結果から結果を出そうとすると地球のバランスを崩す、バランスを崩すと人間も病気になる。地球の病気は異常気象であり。最終通告が天変地異である。
形態に生きるアンバランスに人類は気づかなければならない。
これは1人、1人の意識の切り替えで可能にすることができる、宇宙は意識体であり、想念により、現象化している事実があるからである。




2023年10月15日日曜日

個人意識は存在するのか


個人意識は存在するのか

宇宙に個人は存在するのか?
人間が存在するのか?
宇宙は無限大の宇宙であり、1つなる中に見える人間、個人は存在しない。存在しない人間がいると信じてここをベースに人間は生きている。人間中心である。人間が居て、宇宙があると信じている。
宇宙は1つなる生命(高バイブレーション)が低バイブレーションの見える現象を顕している。人間が居るという錯覚により、人類は未だに仮相に世界に留まっている。
仮相を信じているため、実際の本宿に戻ることができないでいる。
宇宙は生命体であり、生命には姿、形はない。法則があるだけである。
法則が現象を顕しているだけに過ぎない。
宇宙には見えないものがあって見えるものはないのである。
人間はこの見える現象にまんまと騙されている。実在しない生老病死の四苦に囚われ、持て遊ばれている。現象を絶対に疑わない人間。
宇宙に個人は存在しない、姿、形は生命の現象であり、これを分離する為、未だに善悪の木の実を食べ続けている。