2023年10月19日木曜日

すべては生命の御業


すべては生命の御業

宇宙は1つなる生命体、これを神と呼ぶ。神とは宇宙生命体のことである。無形無双の生命エネルギーである。人ではない。すべての創造主である。万象万物の父である。
この宇宙生命体の中に人類は仮相として顕れている。万象万物の御業はすべて生命が行なっている。
地球の地上界には人間が現象化している。この人間にだけ自由意志が与えられている。
人間は生命の仮相でありながら、自分が生きていると勘違いを起こし、地上界を我物顔で荒らしわわって略奪し、同じ生命を殺し、仮相界を生きている。
この使っているエネルギーは神のエネルギーなのである。人間という器は神のエネルギーを器を通して現わす媒体として現象化しているものをその形を見て自分と錯覚し、勝手に使っているだけである。レンタカーを自分の車の如く使っている。ガソリン代も払わず。
人間が行なっている御業はすべて神のエネルギーが行なっている。
御業を行っている神の子が我が中に宿り、働いているのである。人間はこの事の気づかないのである。

 

2023年10月18日水曜日

1つなる生命の分離


 1つなる生命の分離

天地一体。天と地は2つで1つであり、天によって地を顕している。天は創造の父、地は現象の母である。想念は実現の母である。
父と母は2つで1つである。母の中に父が宿っている。
現象は2つで1つであり、父と母で1つであり、完全なのである。これを見えるものだけを見て、見えない造り主を見ない為に分離感が生まれてしまう。見えるものと見えないものは1つであると知れば、すべては1つであることが解れば争いはない。すべてが1つの生命の顕れであることがわかれば、人類皆兄弟となる。
この分離感が克服しなければならない問題である。
これを逆に宗教家に弱みに付け込まれ、利用されている。現象から結果から幾ら治そうとしても治らない。根本はこの分離感である。ないものをあると信じる自分の心が分離感を造る。
分離をすると不安、恐怖、悩みを持ってしまう。原点は完全なのである。不完全にしているのは他でもないっ自分自身なのである。

自分で造った罪を神様のすがって「助けて下さい」というような乞食の真似はしない方がよいと思う。自分の中に助けてくれる神がいるのだから。



外なるものは内なるものの顕れ


外なるものは内なるものの顕れ

見えるものは見えないものによって顕されている。
外なるものの現象は内なる生命意識によって表現媒体として具現化されている。意識は見えないが想念、想ったことを顕わしている。

楽しいと想えば楽しい表現を肉体はしてくれる。悲しいと思うと悲しい表現をしてくれる。
意識に忠実に表現してくれる。

意識の我を表現媒体を自分と勘違いをしてしまうと表現媒体は常に変化して止まないものであり、生老病死の四苦に囚われてしまう。不安、恐怖、悩みに持て遊ばれてしまう。
高波動の我の波動を下げてしまう。高波動であれば生老病死の四苦に巻き込まれないが、低波動になると同調してしまう為に、巻き込まれてしまう。
内なる波動は高バイブレーション、外は低バイブレーション。意識を何処に向けるかで、天国か地獄かが決まる。意識の状態である。


生命は完全バランス


 生命は完全バランス

バランスとは2つのものが1つになっているということです。質料とエネルギーの完全バランスである。この完全バランスが中性なる生命である。
宇宙はこ゚の完全バランス、中性なる生命体である。
この生命体は創造の原理でもある。宇宙はこ゚の原理により万象万物を創造し、生命活動をしている。

この完全バランスがあるが故、現象を顕すことができる。この完全なる生命体の中に現象化している。すべて完全なのです。

人間も完全なる生命の現象であるが、人間は自由意志がある為に、この自由意志を現象を見て自分を持ってしまった。実在しない自我を。
現象は常に変化して止まない無常の世界であり、この現象に意識を置いてしまった。
完全とは見えない高バイブレーションであり、現象界は見える低バイブレーションの世界である。高バイブレーションなる我を低バイブレーションに下げてしまったのは自分自身であり、自分で波動を上げて行かなければならない。現象界で成すべきことはお金儲けではなく、波動を上げることである。自分は蓮の華であり、その種は自分の中に蒔かれている。現象界でこの種を開花させて行く。現象界は種の大切な肥料である。

2023年10月17日火曜日

人間は自分で生きようとするから間違いを起こす


人間は自分で生きようとするから間違いを起こす 

宇宙は完全なる1つなる生命体である、完全なる生命体である。この完全ということが前提である。
完全ということはすべて行うものが完全であるということである。
万象万物はこの完全なる中に生命活動がなされている。人間も宇宙の完全なる中で生命が活動をしている。完全と云うのは生命が完全なのであり、現象は媒体なので、完全ではない。外部の影響に影響されてしまう。
人間には自由意志が与えられており、完全にも不完全にもすることができる。
完全なる生き方をするために自由意志が与えられているが、自分が生きようとして不完全を招いてしまった。肉体は自分のものではなく、神が地上界に生命エネルギーを顕現する為に造られた神の宮を自分のものと勘違いをして神のものを勝手に使っている。盗人である。
故に不完全になってしまっている。現象を見るから自分のものと思ってしまうので、現象は生命が現象を顕していることに気づけば肉体は不完全になることはない。
神として生きれば何の問題はない。人間と思っている自分は神の器なのである。
故に間違いを起こしてしまうのである。
宗教家はこの盗人の悩み相談をして生きている。

人間は神の顕現道具を自分と勘違いをしているだけなのである。自分は姿、形ではなく神そのものが我であるということである。


生命が肉体を通して生きている


 生命が肉体を通して生きている

人間は姿、形が自分だと思っているが、人間は見えない生命の化身なのである。
生命がなければ肉体を動かすことはできない。
生命は高バイブレーションのため見えない為に生命を感じ取ることができないのである。
人間という姿、形を動かしているのは意識である。この高場バイブレーションの見えない意識が肉体を操っている。1人、1人が想念意識を理解し、バイブレーションを上げて行くことで肉体意識から離脱して行く。意識の切り替えをして行く。
キリストが云われているように、肉に生きるは死であると。永遠なる生命の中にいるのだから有限の死に生きてはならないと。



正しい法則に戻す


 正しい法則に戻す

宇宙は1つなる完全法則である。万象万物はこの完全法則に基づいて現象化している。完全の中に居て不完全ということはない。不完全にしているのは人間だけである。人間には自由意志が与えられている。この自由意志を正しく使わない為に不完全を生み出している。宇宙の法則に沿って使えば問題なく、永遠なる生命体で生きることができるものを敢えて法則違反で使っている。その為に自分で自分の首を絞めている。

現象と顕している生命を分離することで不調和を起こす原因になる。この分離感が地上界を修羅場にし、1つなる生命体の人間同士が醜い争いをしている。これは宇宙の法則違反である。
この不完全なる生き方が、この地獄界から抜け出せない原因である。これらの不調和はすべて自分が創り出している。この事に気づけば生老病死の世界、自我の世界から解放される。