仏陀は肉体を乗り船と例えている。諸行無常の世界を行く乗り船であると。
乗り船の船長は我であるいうことになる。
今の自分の現象には創業者の社長と雇われ社長の二人がいる。これでは会社の運営はうまくいかない。
自我というのは二人の社長がいるということになる。会社を操るには創業者の社長に委ねなければ会社は運営できない。
人間を自分と思っていることは二人の社長がいるということになる。自我が強い人は雇われ社長の権限が強うということである。
創業者の生き方と雇われ社長の生き方が違う為に不具合を起こし会社を存続の危機にしている。人間が病気になるということは会社が不調和を起こしている状態である。
会社の社長は1人にしなければ倒産になる。人間も倒産になるようなもの。
本来の創業の社長に戻すことが自我の克服である。雇われ社長は他から雇ったのではなく、自分で仮相社長を造っているだけである。意識の切り替えである。
すべて自分が創り出した迷妄に自分が悩んでいるだけである。これは自分で造ったものは自分で意識を切り替えなければならない。自己責任である。意識は内にあり、自分でしなければならない。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2023年10月22日日曜日
肉体は乗り船である
結果から原因に戻ることはできない
原因は意識であり、意識が現象結果を顕している。
意識が原因と結果が同じであれば戻ることはできるが、意識が違うと分離感になってしまい、同じにはならない。
現象をあると思う自分で造った意識、自我意識、外念。内なる意識は生命意識、神意識であり、分離してしまう。現象の中には神の意識が現象を顕しているが、外なる現象意識が主になってしまうと分離してしまう。
人間という現象は生命意識、原因によって造らており、実在しない仮相、幻想なのである。
結果の現象から原因に戻ることを昇天というが、結果外念意識から内念、憶念には戻ることはできない。意識の切り替えで戻る時、現象の中にある原因意識から戻らければならない。
只、意識を変えず、瞑想しても原因には戻れない。宇宙は1つなる生命体であり、善のみの世界、善悪の分離感、自我の外念意識の人間からは戻れない。
2023年10月20日金曜日
人間に生きるとは神への反逆行為である
人間に生きるとは神への反逆行為である
宇宙は1つなる生命体である。無限生命体である。生命はエネルギーであり、フリーエネルギー体が宇宙である。エネルギーが様々な形態を顕し、生命活動をしている。万象万物は生命エネルギーの放射媒体である。
人間という神によって造られた放射媒体、被造物を自分と勘違いをして、勝手に使っている。形を見て自分と思っているだけで、神の放射媒体の宮である。全知全能の力、知恵を受け流す宮殿なのである。この中に自我という盗人を入れて掻き回されているのは自分自身が造るサタンである。
この自我との戦いに勝利しなければならない。本当の我と自我の我との戦いである。
この戦いに敗れれば自我という盗人に負け、地獄界を這いまわることになる。
勝利すれば天国の住人になる。この世に天国も地獄も存在している。
死んでから天国に行くことはない。生きている内に天国に行けなければ死んでは天国には行けない。意識の状態が天国か地獄を決めているだけだから。
得ようとするものは奪われる
宇宙は完全完璧なる永遠なる生命体である。
これが原点である。すべての現象はこの原因から発生し、現象として顕れている。
すべて意識が現象を顕している、見えるものと見えない原因は1つであり、これを分離して分けてしまう為、問題を引き起こしてしまう。
現象は様々な 現象を顕しているが、すべて1つなる生命が顕しているに過ぎない。
人間には自由意志が与えられている為、この内なる生命を外に顕す表現媒体を、自分と勘違いをして、自我を持ってしまった、法則違反なのです。自分は存在しないのに自分を持ってしまった。盗人に成り下がってしまった、
これから解脱しようと実在しない自我からは解脱はできない、元々神なのだから。
すべて持っているのにないと思ってしまうと、外に答えを求めてしまうと探すことができない。
青い鳥である。すべては汝の内になり。汝の仏は汝自身なり。汝の神は汝自身なり。
敵は本能寺にありである。外に求めるなかれ。自分の求めるものは外ではなく、裡にある。
現象はすべて生命の化身
現象はすべて生命の化身
現象はすべて神の化身である人間の現象を自分と錯覚して、神の生き方、法則から離れ、神の器を自分と思い違いをして神の道具を勝手に使っている。
その為、知恵、力が使えない。
神の全知全能の力を使おうとしても使えないのは神の器を自分と思っている状態では使うことはできない。一度神によって造られた表現媒体の肉体を一度、神にお返ししてからでないと使うことはできない。神の道具である人間媒体と1つにして使うことで使うことができる。
自我という盗人が使おうとしても使えないのである。
現象を神の道具と認めない限り、使うことができないのである。
悔い改めをしない限り、使うことができない。宇宙は神一元であり、これを認めない限り無理である。神の道具なのだから。一度お返しし、神の道具として神が働くように邪魔をしない環境を作る。神一元の肉体を霊肉一体に霊化させて行く。其処には自分の自我の存在はない。
無我の状態である、
現象に意識を置くことで善悪の木の実を食べることになる。
宇宙には姿、形を持たない生命原理が存在しているだけである
この生命原理を神と呼んでいる。
創造原理である。愛の法則である。
この創造原理が様々な現象を顕している。人間も然り。
人間には自由意志が与えられており、この自由意志を間違って使って法則違反を犯している。法則がげんしょうげんしょうすがらすがらげんしょうものを自分と錯覚し、法則によって造られた姿、形を自分と見てしまったために、生老病死の現象に憑りつかれてしまった。
すべては神である。人間は存在しない。生命の法則が我だったのである。
現象を見ていると意識が肉体を動かしていることに気づく。
すべてのものを見てみるとすべて陰陽の法則で動いているのがわかる。大宇宙は小宇宙であり。同じ法則なので、身近なものを見て感じ取ることができる。
宇宙は神のみが働いて神のみが生きている
宇宙は神のみが働いて神のみが生きている
宇宙は一なる生命体だけが独存している。
宇宙には人間という存在はない。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、其処に息を吹き込まれたと。人間という名前は後づけである。
ここがすべての原点である。
人間は神によって造られた神の被造物である。すべての万象万物も神の被造物である。
神以外、何も存在しないのである。
すべては神の全知全能の力、知恵によって生かされているだけである。すべてです。
人間も人間が自分で知恵を出して動いているのではない。すべて神しかいないのですから。
人間がいると思うから間違いを起こす。争いを起こす。1つの生命の中で殺し合いをする。
このことを理解し、仮相界から実相界に1人、1人が戻って行く。
戻るのにお金はかからない。
生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏できないと偉いお坊さんも云っている。
人間意識で死んで神になることはない。すべて意識の世界だからです。生きている時に神意識でなければ死んで神意識にならないからである。