2024年2月25日日曜日

自由自在なる無限意識


 自由自在なる無限意識

「想念は実現の母」と云われるように思ったことが顕れる世界。何故現れるのか?
宇宙は完全なる中性であり。想ったことが顕れる世界、意識界である。
現象界も宇宙の相似形であり、想ったことが顕れる。夢は叶う。とか目的を持つことで目的が叶う。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えばわるいことが顕れる。
想念したものが現象化する。
今、自分が消え行く現象界に居るということは現象界を意識したために自分は現象化していると云うことになる。現象に生きている証拠なのである。
本来我は1つなる生命であり、現象として顕れていることに気づき。この世の現象界で豊かな生活をする為ではないことを理解し、何故、この肉体が存在するのか?を見極めなければならない。イエスの言葉は非常に重い。

この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し
今の自分は自分で想念した結果として顕れている。すべて自分が創り出したものである。
悩みも恐れも不安は外を見る為に起きる外的なものである。この消極な現象を認めることで現象として顕れる。すべては自分の想念である。
本来の使命は無限生命の顕現であり、仮相の現象に生きることではないのである。
現象に生きようとする為にこの迷妄に憑りつかれてしまう。




生命はエネルギー


生命はエネルギー

宇宙は1つなる生命エネルギーであり、中性なる生命エネルギーである。
この不可視のエネルギーが宇宙の根源である。
すべての現象は不可視のエネルギーが結果として現象化している。見えるものも不可視の生命エネルギーが現象化させている。原因、結果は同じものである。原因と結果は2つで1つであり、同じものなのである。
神の被造物と云うこという言葉があるが、現象界で神と被造物を分離感で見て、神と被造 物を分けてしまった。神は被造物を顕している生命エネルギーのことであり、こ゚の生命エネルギーがなければ現象化されることはない。
生命エネルギーが万象万物を顕している。
現象である人間が死ぬ時、魂が抜けたと云うが、魂と云うのは生命エネルギーのことである。
宇宙は1つなる無限生命、普遍生命である。この不可視のエネルギーがすべての根源になる。
イエスも原因なき原因と云われている。宇宙は1つなる原因なき原因。永遠なる不可視の生命エネルギーである。こ゚の生命エネルギーが形態に宿り、光の陰として現象が顕れている。


 

2024年2月24日土曜日

無邪気 邪気


無邪気 邪気

宇宙は1つなる良心のみの世界である。
この良心しかない世界に邪心は存在しないのである。
宇宙は1つなる生命が様々な形態を顕し、その中に生命が宿っている。
この見える現象を見てあると思う心が分離感を生み、自我という邪心を自ら造ってしまう。これをサタン、悪魔という。すべて自ら造り出してしまう迷妄である。想念は実現の母であり、良いものも悪いものも何でも造り出してしまう。
この邪心が生命の気の邪魔をしてしまう。気枯れである。正常な気のバランスをアンバランスにすることで、気の病、病気になる。
邪気は自らをアンバランスにする外敵要因である。現象をあると信じる心が邪心を造る。
現象は内なる生命の現象であり、生命の顕現道具であり、これをあると信じる心に惑わされてしまっている。
邪気は実在しない現象、変化して止まない偽りの世界を認める心が邪気を造り出す。



神の細胞


神の細胞

宇宙は1つなる細胞体である。無形無双の細胞がすべての本源本質である。
これを神、仏と呼んでいる。愛の細胞である。
これが宇宙の本源本質である。
愛の細胞である。これを魂とも呼ぶ。
1つなる生命が万象万物を顕している。
人間は波動の低い固定観念の波動の世界にいる。この固体波動の中で気体波動を感じることはできない。すべての現象は気体波動であり、創造の原理である。
見えるものは見えないものの現象である。宇宙の原因は見えない生命である。これが神の細胞である。この神の細胞が宇宙の本源本質である。原因なき原因である。
宇宙生命は見えない。見えない生命が現象として万象万物を現象化させている。
このことが理解できれば、すべては1つなるものの顕れであることが理解でき、現象界で争いを起こすことはなくなる。現象は仮相であり、実在しない世界であり、この中で死んでも現象が変化するだけで死ぬことはない。宇宙には死は存在しない。現象我変化するだけである。
原因は神の細胞であり、結果として現象があるだけである。現象はなくなることはない。質料が普遍原質の戻るだけである。宇宙は不変不動、不増不減、不生不滅の永遠なる1つなる生命体である。




2024年2月23日金曜日

天気 元気 やる気


天気 元気 やる気

宇宙は1つなる生命エネルギーだけが独存している。宇宙に実在しているのはプロフェクトバランス。生命エネルギー。愛の法則のみが実在している。
永遠なるフリーエネルギー、生命エネルギーが宇宙の本源本質である。
天気とは天は気エネルギーである。元気とは元は気エネルギーである。やる気とは気によって動いているということである。
すべては気の現象であり、気の顕れとして万象万物は現象化されている。
宇宙は中性エネルギーであり、意識によって何でも顕すことができる世界である。
良いことも悪いことも自由に顕すことができる霊界である。霊界には姿、形は存在しない。
存在しているのは幽界である。霊界は無形無双に空の世界である。光の世界である。
今、姿、象の中に自分がいるということは固体波動の中に居るということになる。
本来の我が外の現象を信じた結果である。この固体波動から空の波動に高め、固体波動から気体波動に意識波動を高めて行かなければならない。自分で落とした波動は自分で上げて行かなければならない。自分の波動は他人が上げることはできない。自分で下げた波動を神様、助けて下さいと物乞いしても上げることはできない。我は神であり、乞食ではないのである。
神の化身なのである。神の自覚とは自分は神であるという意味である。


 

人間は神の顕現道具


人間は神の顕現道具

宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が様々な現象を顕している。様々な現象があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕しているのです。
宇宙は無限生命であり、1つなる生命体である。
1つの生命体の中に2つは存在しない。見えるものは現象であり、存在しないということになる。
すべては1つの無限生命、普遍生命である。生命は見えない。見えない生命は何かの媒体を使わないと顕すことができない。顕す媒体が現象である。見えるものの中には必ず生命が宿り、形態を顕している。見えるものは生命の顕われとして現象化している。
見えるものは見えない生命の表現として現象している。見えるものは生命によって生命の住処として顕れている。現象は物質ではなく、細胞体である。細胞は新陳代謝を常に繰り返し、常に入れ替わり、形態を維持させている。生きているのは肉体ではなく、細胞が生きているのである。細胞は1つなる細胞が集合化して形を顕している。外観は細胞に集合化されたものであり、人間が居るのではなく、細胞体があるのである。
宇宙は1つなる細胞体であり、人間は1つなる宇宙細胞体の一部の細胞体である。太陽系も銀河系も、島宇宙もすべて宇宙細胞体の中の一部である。
現象はすべて1つなる宇宙細胞体の化身である。宇宙は無限生命、普遍生命体のみが実在している。




 

人間が現象界で成すべきこと


人間が
現象界で成すべきこと

1つなる生命の中に2つは存在しない。見えるものは存在しないということになる。
何故、現象が顕われているのか?
現象は無限なる生命エネルギーが現象を通して顕現させる為に顕れている。
問題なのは人間が神の無限大の生命エネルギーを顕現する媒体を自分と錯覚し、神の顕現道具を勝手に使って、勝手に自縛している。
本来は永遠なる生命体であり、神以外、何も存在しないものを人間が存在すると勘違いをしてしまっている。それは人間には自由意志が与えられている為に間違いを起こしている。
本来の使命は天の無限大のエネルギーを人間と云う形態を使って地上界に生命エネルギーを顕現させる為の顕現道具として現象化させている。
人間は神によって造られた顕現道具を神にお返しし、神の道具として肉体を使って行く。
人間と云う名前は顕現道具を人間と名付けているだけで、人間は生まれる時、命名と書くのは肉体の名前ではなく、内在する生命、神の名前なのである。
人間は神であり、神の器である。人は神なり、神は人なりである。