2024年2月26日月曜日

悟空とは


悟空とは

我の心は空であると。人間が人間であれば悟空と云う字はないはずである。
聖書にも人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。宇宙には人間と云うものは実在しないということになる。現象である。仮相である。
宇宙は1つなる不可視の生命体であり、生命エネルギーのことである。万象万物はすべて不可視の生命エネルギーが形態を造り。生命の化身として現象化している。生命エネルギーの表現として顕れている。
表現力とは表現はエネルギーであるということになる。エネルギーの顕れである。
見えるものは生命エネルギーが表現として顕れている。
1つなる生命が見える現象を顕している。宇宙の生命エネルギーが現象として様々な形態に宿り、生命を顕現している。宇宙生命体の本源本質である。
宇宙は1つなる全知全能の見えない生命エネルギー体である。
現象の人間が存在していると信じているものには不可視の生命エネルギーが我であることに理解ができない。すべては意識が肉体を動かしていることは理解しても意識が我であることの理解はできない。生命エネルギーの顕れが現象であり。1つなる生命エネルギーが形を止っている。空エネルギーが形を止っている。全知全能の空エネルギーが実在しているのみである。
無限生命とは1つなる生命ということである。


 

光りは陰を通して顕れる


光りは陰を通して顕れる

1つなる生命、光は陰を通して顕れる。
万象万物は不可視の生命が質料細胞を通して顕れる。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り。息を吹き込まれたと。
不可視の生命は可視の細胞を通して顕れている。
久遠生命の中にある現象である。1つの生命の現象である。実在しているのは1つなる生命のみが実在している。
生命の中にある現象をあると思う心が神の波動を一気に低波動に下げてしまう。
外なるものに意識をむげると波動が低くなり、本来の我に戻れなくなる。
信じたものは顕れる。一度信じてしまうと自分が一番正しいと信じている為、悔い改めができない。
それほど想念意識を取り違えると、迷路に入ってしまう。本人が信じてしまったものはそれでも正しいと思っているために厄介なのである。中々元には戻すことができない。
お釈迦様が日常の中で身口意、憶念の生き方を実践しなさいと。汝の内なる自灯明、法灯明を汝の主としなさいと。法灯明、自灯明とは内なる仏のことなのである。
汝の仏は汝の内のありと云われている。宇宙の中性エネルギーのことである。


 

2024年2月25日日曜日

自由自在なる無限意識


 自由自在なる無限意識

「想念は実現の母」と云われるように思ったことが顕れる世界。何故現れるのか?
宇宙は完全なる中性であり。想ったことが顕れる世界、意識界である。
現象界も宇宙の相似形であり、想ったことが顕れる。夢は叶う。とか目的を持つことで目的が叶う。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えばわるいことが顕れる。
想念したものが現象化する。
今、自分が消え行く現象界に居るということは現象界を意識したために自分は現象化していると云うことになる。現象に生きている証拠なのである。
本来我は1つなる生命であり、現象として顕れていることに気づき。この世の現象界で豊かな生活をする為ではないことを理解し、何故、この肉体が存在するのか?を見極めなければならない。イエスの言葉は非常に重い。

この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し
今の自分は自分で想念した結果として顕れている。すべて自分が創り出したものである。
悩みも恐れも不安は外を見る為に起きる外的なものである。この消極な現象を認めることで現象として顕れる。すべては自分の想念である。
本来の使命は無限生命の顕現であり、仮相の現象に生きることではないのである。
現象に生きようとする為にこの迷妄に憑りつかれてしまう。




生命はエネルギー


生命はエネルギー

宇宙は1つなる生命エネルギーであり、中性なる生命エネルギーである。
この不可視のエネルギーが宇宙の根源である。
すべての現象は不可視のエネルギーが結果として現象化している。見えるものも不可視の生命エネルギーが現象化させている。原因、結果は同じものである。原因と結果は2つで1つであり、同じものなのである。
神の被造物と云うこという言葉があるが、現象界で神と被造物を分離感で見て、神と被造 物を分けてしまった。神は被造物を顕している生命エネルギーのことであり、こ゚の生命エネルギーがなければ現象化されることはない。
生命エネルギーが万象万物を顕している。
現象である人間が死ぬ時、魂が抜けたと云うが、魂と云うのは生命エネルギーのことである。
宇宙は1つなる無限生命、普遍生命である。この不可視のエネルギーがすべての根源になる。
イエスも原因なき原因と云われている。宇宙は1つなる原因なき原因。永遠なる不可視の生命エネルギーである。こ゚の生命エネルギーが形態に宿り、光の陰として現象が顕れている。


 

2024年2月24日土曜日

無邪気 邪気


無邪気 邪気

宇宙は1つなる良心のみの世界である。
この良心しかない世界に邪心は存在しないのである。
宇宙は1つなる生命が様々な形態を顕し、その中に生命が宿っている。
この見える現象を見てあると思う心が分離感を生み、自我という邪心を自ら造ってしまう。これをサタン、悪魔という。すべて自ら造り出してしまう迷妄である。想念は実現の母であり、良いものも悪いものも何でも造り出してしまう。
この邪心が生命の気の邪魔をしてしまう。気枯れである。正常な気のバランスをアンバランスにすることで、気の病、病気になる。
邪気は自らをアンバランスにする外敵要因である。現象をあると信じる心が邪心を造る。
現象は内なる生命の現象であり、生命の顕現道具であり、これをあると信じる心に惑わされてしまっている。
邪気は実在しない現象、変化して止まない偽りの世界を認める心が邪気を造り出す。



神の細胞


神の細胞

宇宙は1つなる細胞体である。無形無双の細胞がすべての本源本質である。
これを神、仏と呼んでいる。愛の細胞である。
これが宇宙の本源本質である。
愛の細胞である。これを魂とも呼ぶ。
1つなる生命が万象万物を顕している。
人間は波動の低い固定観念の波動の世界にいる。この固体波動の中で気体波動を感じることはできない。すべての現象は気体波動であり、創造の原理である。
見えるものは見えないものの現象である。宇宙の原因は見えない生命である。これが神の細胞である。この神の細胞が宇宙の本源本質である。原因なき原因である。
宇宙生命は見えない。見えない生命が現象として万象万物を現象化させている。
このことが理解できれば、すべては1つなるものの顕れであることが理解でき、現象界で争いを起こすことはなくなる。現象は仮相であり、実在しない世界であり、この中で死んでも現象が変化するだけで死ぬことはない。宇宙には死は存在しない。現象我変化するだけである。
原因は神の細胞であり、結果として現象があるだけである。現象はなくなることはない。質料が普遍原質の戻るだけである。宇宙は不変不動、不増不減、不生不滅の永遠なる1つなる生命体である。




2024年2月23日金曜日

天気 元気 やる気


天気 元気 やる気

宇宙は1つなる生命エネルギーだけが独存している。宇宙に実在しているのはプロフェクトバランス。生命エネルギー。愛の法則のみが実在している。
永遠なるフリーエネルギー、生命エネルギーが宇宙の本源本質である。
天気とは天は気エネルギーである。元気とは元は気エネルギーである。やる気とは気によって動いているということである。
すべては気の現象であり、気の顕れとして万象万物は現象化されている。
宇宙は中性エネルギーであり、意識によって何でも顕すことができる世界である。
良いことも悪いことも自由に顕すことができる霊界である。霊界には姿、形は存在しない。
存在しているのは幽界である。霊界は無形無双に空の世界である。光の世界である。
今、姿、象の中に自分がいるということは固体波動の中に居るということになる。
本来の我が外の現象を信じた結果である。この固体波動から空の波動に高め、固体波動から気体波動に意識波動を高めて行かなければならない。自分で落とした波動は自分で上げて行かなければならない。自分の波動は他人が上げることはできない。自分で下げた波動を神様、助けて下さいと物乞いしても上げることはできない。我は神であり、乞食ではないのである。
神の化身なのである。神の自覚とは自分は神であるという意味である。