2024年3月1日金曜日

宇宙は1つなる生命法則


宇宙は1つなる生命法則

宇宙は無限生命、普遍生命であり、不変不動の生命界。
この無限生命、普遍生命が化身として万象万物が現象化している。
エネルギーは見えないが現象に宿り、現象を通して顕現している。生命エネルギーは質料形態を自ら造り、その中に宿り、形態を通して顕れている。
見える現象には何の力もない。現象に宿る生命エネルギーが御業を成している。実在しているのは1つなる生命である。
生命が自ら造った顕現媒体を使って顕れている。見えるものは見えない生命が、全知全能の力、知恵、創造の原理が現象を通して御業を顕している。
生命が肉体媒体を通して顕れている。
生命は光であり、光を顕す質料が陰である。光陰は1つであり、陰は光を顕す媒体である。
人間も陰であり。光、生命を顕す媒体である。鉱物、植物、動物も光の生命の陰として現象化している。
すべての現象は神の被造物であり、生命は被造物と1つである。
原因が神なら結果も神である。それを生命、神と被造物を神によって造られたものであることは認めても神そのものを分離させてしまう。それで神を祀る。社を作る。神は自分の中に宿り、顕しているのに。また自分の中に神、仏があると云いながら、祖神様と自分の中に居る神を分離させてしまう。宇宙は神1元であり、すべてが神の化身なのであるが。
自分自身が神なら社は必要はない。宇宙そのものが神であれば祀りようがない。
原因、結果は1つである。原因が神なら結果も神である。宇宙は神一元であり。見えるものは神の化身であり、敢えて現象の中に社は作ることはない。神は人なり、人は神なりである。
すべては1つである。
現象は生命の顕われであり、外なる自分を顕しているのは内なる神である。神は無形無双のせいめいたいであり、祀ることはできないのである。宇宙が神なのだから。


 

2024年2月29日木曜日

我は自分の中にあり


我は自分の中にあり

中心、中なる心が外なる現象を顕している。
顕している中なる心が宇宙生命の分霊であり、分霊が分身を顕している。
すべてのすべてありてあるものは生命であり、生命は永遠なる不変不動のエネルギーなのである。すべて久遠の生命が現象道具を自ら造り、その中に宿り、久遠なる生命が媒体を造り、顕現させている。すべて神1元なのである。
神1元の宇宙の中で、人間にだけ、自由意志が与えられており、この自由意志を勝手に解釈し、宇宙の法則を犯し、自らを自縛させている。
現象を自分と勘違いをしてしまうと現象は非常に波動が低い。波動が低い為に汚れを引き付けやすくなる。病気も気の病。エネルギー不足である。エネルギーが高ければ病気にはかかりづらい。
人間を顕しているものは神である。全知全能の神である。神は完全であり、完全を不完全にしているのは外なる現象の自分である。自ら造る自我の心である。本当の我の心の邪魔をしている。自ら造る迷妄に誘惑されている。


 

我は天なり 地は天なり


我は天なり 地は天なり

宇宙は1つなる生命であり、生命は天であり。現象は地である。天と地は1つのものである。
宇宙の本源本質は1つなる生命である。
1つなる生命は永遠なる生命であり、宇宙は永遠なる生命が現象を顕している。
久遠にある現象である。こ゚の久遠にある現象は変化して止まない循環を繰り返している。
この見える質料の変化を顕しているものは生命であり、久遠の現象である。
人間はこの変化して止まない現象をあると信じる心、想念が自らを自縛させている。
これが分離感となって生命とのバランスを崩し、未発酵の状態で消えて行く。未発酵のままであればまた生まれ、完全発酵になるまで、現象界で再生させられる。
天は久遠、地は久遠の現象である。現象は久遠の無限なる生命を現象を通して顕現させる。
これが現象界での人間と云う姿、象に宿る、生命の使命である。
無限生命の顕現道具、神の宮である。



 

2024年2月28日水曜日

見えるものは心の表現媒体


見えるものは心の表現媒体

宇宙には心は1つである。良心が実在するだけである。全知全能の力、知恵、創造の原理である。
心とは生命であり永遠なる常在の無形無双の世界である。
原因、結果の法則であり、見えない原因が見える現象を顕している。原因と結果は1つであり、見えないものも見えるものも1つであり、永遠にある現象を実在していると分離感を持ってしまった。ないものをあると信じ、錯覚してしまった結果、諸行無常の世界に持て遊ばれて、まだそれに気づかない。人類はこれから中々抜け出せない。抜け出そうとする意識も持たない。
見えるものは見えないものの顕れ、原因、結果の法則が理解できれば、現象界で成すべきことが見えてくる。


 

我が息は神の息


我が息は神の息

宇宙は1つなる無限生命であり。無限生命の中に有限な現象なる人間は存在しない。
宇宙の息は1息である。万象万物も1息である。
人間が息しているのではない。神が息している。
心臓の鼓動は神の心音である。宇宙には1息しかない。
初めに言葉ありき。現象はすべて生命エネルギーの現象として顕れている。
不可視のエネルギーを顕している現象界。本来の生命世界に戻る為には、今の現象界の法則を理解しなければならない。原因結果の法則から不可視のエネルギーが可視の現象を顕していることに。
すべて不可視のエネルギーが可視の現象に宿り、現象を顕していることを理解して行く。
無限大の不可視のエネルギーが神であり、すべての本源本質の原点であり、我であることに気づいて行く。現象は原因の顕れである。原因が我であることに気づき、現象の我から原因の我に戻る。神の息の現われが我が息である。



2024年2月27日火曜日

我はキリストであり、仏陀であった


我はキリストであり、仏陀であった

宇宙は1つなる生命体である。宇宙には生命エネルギーのみが実在する。こ゚の生命エネルギーが独存する。天上天下唯我独尊である。生命1元である。
この生命がキリストであり。ブッダである。
この生命によって万象万物は現象化されている。
万象万物はこのキリスト、仏陀、生命の化身なのである。宇宙の本体はキリストであり、仏陀なのである。宇宙はこの1つなる生命界である。
呼び方は様々あるが、すべては1つの実在しか存在しないのである。
宇宙 神、宇宙は神である。仏である。無形無双の生命である。
聖書、仏書はこの無形無双の不可視の生命を実感する為に手引き書としてある。教えではないのである。
改ざんされているものは真理に正し修正して読みなさいと。
外なる知識では内なる生命を実感することはできない。キリスト、仏陀は自分の中にいるのだから。




自分探し


自分探し

自分探し、自己発見、本当の我を知る。
見える自分があるのに自分探しと何ぜそのようなことを云うのだろうか?
宇宙は永遠なる生命体である。その中に居て有限なる死はないのである。
宇宙は1つなる生命エネルギーであり、不変不動の永遠なる生命体である。こ゚の生命が現象を顕し、見える形で生命活動をしている。
人類はこの見える現象だけを捉えて生命と現象を分離してしまった。これが善悪の木の実である。この分離感の現象の中にいると生老病死という仮相の四苦に持て遊ばれてしまう。
自分探しとは生命と現象を分けてしまったことに気づき、1つなる完全なる生命に戻ることである。
すべての本源本質は1つなる生命であり、この完全なる本源本質が自分の中にあることを知り、本来の我に戻ることである。現象は本来の我の仕事場なのである。生命エネルギーを顕現する為に造られ道具なのである。
汝の神は汝の中にあり。汝の仏は汝の内にあり。現象を顕している内なる生命が我であり、現象は我の働くばであることに気づき使命を果す。現象界は無限生命の顕現する為に人間と云う形態の衣装を纏っている。現象界で生命が成さねばならない仕事である。
自分とは姿、形ではなく、無形無双の生命が我であり、完全なる生命を顕現させる為に現象化しているのである。