気づきは外にはない。内にある。本心は正しい判断を出してくれる。絶対に間違いがない。直感啓示である。
生命は完全完璧である。この生命が肉体の中心に宿っている。中心生命である。これが神、仏である。
神、仏は生命であり、1つなる全知全能の神である。この全知全能の神が自らの住処を自ら造り、生命を顕現している。
すべては完全なる生命の顕現の為に神によって造られた人間、万象万物である。すべて生命の顕現の為に造られている。
気づけば正しいことを顕すことができる。これは自分が行なっていることではない。気づくということはすでにあるということである。生命が顕している。内には無限大に生命エネルギーが泉の如く、湧いている。尽きることのない永遠なる生命エネルギーが。
無限大の生命エネルギーを受け流す媒体として人間と云う表現媒体が造られている。
我は生命によって造られた生命の現現道具である。我は神そのものである。神によって造られた顕現道具を自分と錯覚しているだけなのである。我は現象なる我ではなく、現象を顕している造り主である。
天地一体、天によって地は顕されている。実在しているのは天のみである。
自他一体、すべては1つなる生命現象である。
人間が生きていると思う意識が自己催眠をかけてしまうのである。
現象界で色々と有名人が色々なことを云われているが、現象、仮相から話しても変化させることはできない。
蜃気楼にオアシスを求めて行くようなものである。実在に求めない限り、解決はできないのである。すべての答えは裡にあり。青い鳥である。
外に答えを求めると「得ようとするものは奪われる」とイエスも云っている。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年3月12日火曜日
気づけば正しい答えが出てくる
今、想っている所に今の自分がいる
宇宙は1つである。1つとは完全を意味する。永遠を意味する。この1つなる生命体、完全なる生命体の中に存在している。すべては完全なのである。
完全なる中に居ながら、何故不完全になってしまうのヵ?
現象は久遠にある現象をあると信じる心が不調和を起こしてしまう。現象は変化して止まない、この現象を意識することで不安、恐怖、悩みを自ら持ち込んでしまう。現象は実在しないのである。仮相なのである。変化して止まないものであり、久遠の中の現象なのである。
この現象を認めることで、完全なる細胞体をアンバランスにしてしまう。現象があると思う心がサタンであり、サタンは自ら創り出して、自分でバランスを崩しているのである。
外なるものは現象であり、これに意識があると自ら造るサタンに持て遊ばれてしまう。
すべて意識が造り出す。想念は実現の母である。この世は物質界ではなく、意識界なのである。意識によって現象化させる生命界である。
2024年3月11日月曜日
天上天下唯我独尊
宇宙は1つなる生命である。1つなる生命だけが実在している。万象万物は1つなる生命の化身である。宇宙には1つなる生命のみが実在している。
1つなる生命がすべての万象万物を顕し、その中に1つなる生命が宿っている。全知全能の力、知恵、創造の原理が1つなる生命である。天上天下唯我独尊である。
すべてのすべてありてあるものすべて生命である。天上天下唯我独尊とは宇宙生命体のことである。すべては我である。我以外存在しないのである。1つなのである。
1つなる生命が多神を造る。多神は1つなる生命によって顕されている。すべては1つなのである。1つなる生命が現象を顕しているものを多神だけ見て多神が存在していると錯覚しているのが人類である。
天上天下唯我独尊とは1つなる生命が全知全能の神であり、創造の原理であり、我である。
宇宙即我である。すべては1つなる生命が実在である。1つなる我が本当の我であった。
宇宙の息は1息である
宇宙は1つの生命体であり。1つの生命は1つの息である。
生命の1息が万象万物に宿り、生命活動をしている。
生きているのは表現媒体でなく、表現を顕している生命が生きているのである。
すべては一息によってすべての万象万物は1息の表現体として具現している。本源本質は無形無双の光であるが、現象は宇宙の様々な質料に宿るため様々な形態になって生命が顕れる。
様々な衣装があり、それを纏っているのである。
宇宙は1つの生命細胞体であり、この生命体が宇宙の塵、質料に宿っている。
人間も動植物この生命の1息で形態が顕れている。生命が様々な形態を通して顕れている。
様々な形態は様々な環境において生命活動をすることが出来るのは内なる生命の知恵、力である。形態はその環境に応じて内なる生命が形態を通して活動をしている。形態を動かしているのは内なる生命の力、知恵が動かしているのです。
宇宙生命 宇宙は生命である
宇宙は1つなる生命体。全知全能の生命体。
生命は1つなのである。様々な形は現象として顕わてているが、現象を顕しているものは1つなのである。宇宙は無限生命、普遍生命である。永遠なる生命体である。すべての本源本質、原点、原天である。大海原である。
宇宙には生命が生きているのであって現象は大生命の化身であり、1つなのである。
天地一体。天が生命が地なる現象を顕している。天と地は1つである。意識が天、つくり主が我であり、地は造らたもの、現象、表現媒体なのである。
地には地に内なる生命が宿り、地を表現している。造り主と造られたものは1つである。
宇宙には1つなる生命、全知全能のエネルギー、知恵、創造原理が初めから存在している。
原因なき、原因。生命が独存している。宇宙生命がすべての原天、天のみが実在している。
人間も生命の表現なのであるが、人間は宇宙の中に唯一存在し、一番偉いと信じて疑わない。
仮相だと気づかない。
2024年3月10日日曜日
人に成していることは自分に成していること
宇宙は1つなる生命細胞体である。宇宙は1つなのである。1つの中で悪いことを起こせは全体に影響が及ぶ。1つの中で隣のものを気づ付ければ、自分にも影響が及んでくる。
例えば水をカルキで消毒したとする。人間は細胞体の集まりであり、微生物の集まりである。水を消毒することで人体の細胞が死ぬ、細胞が死ぬことで人間の細胞の微生物が少なくなる。
結果的にエネルギー不足になり、気の病になる、人間だけではない。生命全体に影響が及ぶ。
人間は現象を物質と思い込んでいる為、除菌をする。人間は微生物の集合体であることを忘れている。現象界に生きる人間はこの事が理解できない。
すべては1つなる完全なる生命であり、この完全なる生命体をアンバランスにしているのは他ならぬ仮相なる人間なのである。
完全なる宇宙の法則、自然界の法則を犯しているのは人間なのである。
この救済は原因は完全なのである。宇宙の愛の完全なる法則に戻す。この法則は1人、1人の中に救済の手立てがある。
人間が生きていると思うから働くのである
宇宙は1つなる無形無双の生命体である。宇宙には現象は実在していない。
現象をあると思う心が現象を創り出している。現象がないと思えば、現象は顕れることはない。
現象は外なる外観である。内なるものは生命であり、姿、形はないのである。
原因は内なる無形無双の生命、結果は外なる現象。現象をあると思う心が自我の心になり、それを維持しようとして外部からエネルギーを得ようとして働くことになる。
生命の目的は無限生命の顕現にある。すべての現象は生命の化身である。食べ物は生命エネルギーの化身である。外部からエネルギーを調達することは一度化身とし顕したものからエネルギーを取りだすということである。
我は生命エネルギーそのものであり、敢えて現象化したものから少ないエネルギーを取りださなくても良いのである。生命エネルギーそのものが我なのであるから。
働くということは現象界に生きているという証拠である。
永遠なる宇宙生命の中に居り、わざわざ有限なる生き方をしなくても良いのではないか?
これは絶対に犯すことのできない自由意志がが人間には与えられている。強制はできない。