2023年11月25日土曜日

人間は現象であるが故 消え行く存在なのである


人間は現象であるが故 消え行く存在なのである

人間は実在していると勘違いをしている。
人間は見えない生命の現象、働く場なのである。
現象は人間は造ったのではなく、生命によって造られている。造られたものだど知らず、自分と思って生きている。見えるものは見えない生命によって造られていることに知らない。
宇宙は1つなる生命のみが独存する。1つなる生命によって万象万物が現象化している。
原因、結果の法則である。人間というのは形に名前を付けただけである。人間は最初から存在はしていない。形に名前を付けただけなのである。動物、植物の名前も同じである。
見えるものはすべて現象である。現象は消えて行く存在なのです。実在するものは消えることはない。人間という名の現象をこれを自分と思い違いをして現象の消えるものに囚われてしまっている。一番大きいのは生老病死である。人間が生きていると思うからこの四苦に悩まされてしまう。この生老病死からの迷いから解放するには今の人間意識から波動を上げることで解放させることができる。意識の切り替えで可能である。
イエス様、お釈迦様はこの事を伝える為に現象界に降りて来られた。残念ながら、これを伝えるものが現れなかった。宇宙は1つなる生命体であり、善のみの世界、善悪の分離感の世界ではない。善悪は人間の果相が造り出す迷妄であることに気づかなければならない。
1人、1人は神の子であり、宇宙そのものは神なのです。神は外には居ないのである。
神は自分の中にいるのです。騙されないで下さい。私はあなたのお母さんですよとオオカミに騙されてはなりません。


 

すべてのすべては神である


すべてのすべては神である

すべてのすべては神である。1つなる生命、神である。神のみが実在している。これが大宇宙である。
大宇宙の中にある小宇宙も神である。髪の毛1本も、神である。すべてのすべてありてあるものは神である。宇宙生命である。
人類も様々な人種がいるがすべて神の顕れなのである。人間は存在しないのである。
人類は現象面だけを見てしまう為、分離感を起こし、1つの生命からすべての現象が起きている同じものに優劣をつけている。現象だけを見て分離感を持つものは本来の我に戻ることはできない。大統領であり、首相であり地獄から這い上がることはできない。
イエスが云われるように「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」ということになる。
すべては1つであることを理解した時、人間という現象から離脱する自由意志が与えられている。
この世で幾ら財を残しても死んでは持って行けない。現象で使う道具なのである。道具はすべて霊であり、大切に貯めようとしているお金も霊なのである。
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如しとキリストが云われている。
本来の我は気体であり、固体波動では天国の気体波動には重すぎて戻れない。
この現象界で気体波動を上げて行く。日常の身口意において実感して行く。



 

人間は生命の現象であり。果相である

 

人間は生命の現象であり。果相である

宇宙は永遠なる1つなる生命体であり、この中で万象万物は生命の働く場として顕れている。すべては1つの生命体である。
何故、1つの生命の中で現象に生きてはならないのか?
現象は消え行く存在であり、現象を造っている本源本質は永遠なる生命である。現象に生きてしまうと消え行くものに生きることになる。
本来の我は現象界に無限大の生命エネルギーを受けて流す使命を持って現象化しているのである。この現象界で生きるということは本来の使命を果たさないで、放蕩息子のように生きるようなものである。生命の自覚を持って現象界に生命エネルギーを放射させる。神と1体となり、放射させる。このために人間という姿、形の中に神の種、光の種が蒔かれている。
与えられている自由意志を間違って使ってしまっている。人間は生命の働く宮である。神の宮である。どのように使おうと自由意志を犯すことはできないのである。



2023年11月24日金曜日

生命と現象


生命と現象

生命と現象は原因、結果の法則である。見えるものは必ずそれを顕わすものが存在する。
現象が存在しているが、これは実在しない果相であり、幻、幻想である。
現象が何ぜあるのかというと生命が無限大の生命を現象を通して流す為に現象が一時的に顕れているに過ぎない。生命の循環である。
人間は万物の霊長である。現象化しているものは物質ではなく、霊が形を止っているだけである。人間を霊が止まると書く。(霊止でヒトと読ませる)
宇宙は1つなる生命体が実在している。これ以外何もない。生命と現象は2つで1つなのである。
現象に生きる人間は見える現象だけを見る為、幻想の生老病死の四苦に憑りつかれる。
今の宗教家はこの四苦を少しでも少なくしようと頑張っている。悩み相談所になっている。
イエスが云われるように肉に生きるは死と云われている。現象に生き、死ぬものはまた生まれ、何度でも再生させられると。


 

肉体は心の表現体


肉体は心の表現体

見えるものには必ず中心がある。これが中なる心である。心はエネルギーであり、中心力であり、力、エネルギーは外ではなく、内にある。
この内なるエネルギーを外に顕現するだけである。
この神の表現媒体を殆どの人間が自分と思い違いをしてしまっている。内なる中心なる力、知恵を外に顕現する神の道具を勝手に使っている。
この道具には使い方があり、その通りの使わなければ、壊れてしまう。
内なるものと外なるものをバランスによって使わなければならない。バランスとは1つで使わなければならない。1つとして使うことで内なる生命エネルギーが外に顕現することができる。
この表現媒体が主導権を持ってしまうと分離感を起こし、現象を認める為、生老病死の四苦を持ち込み、囚われ、アンバランスを起こし、生命エネルギーを遮断することになり、バランスを失い、肉体が不調和を起こし、死に至る。
キリストが云われるように肉に生きるは死であると。

 

神を外に求めるなかれ、汝の神は汝自身なり


神を外に求めるなかれ、汝の神は汝自身なり

神とは何ぞやである。神とは宇宙生命体であり、宇宙生命体により、万象万物が創造されている。
万象万物は神の被造物である。宇宙には神一元、神によって人間も造られている。造り主は別にいるのではなく、造られたものの中に宿っている。
原因、結果の法則であり、原因である生命が形態に宿り、生命活動をしているから形態が保持されている。原因が生命なら結果も生命なのである。原因が神なら結果もは同じ神なのである。
宇宙は1つなる生命であり、生命は神であり、仏であり、神、仏によって造られた被造物の中に神、仏が宿らなければ形態を顕すことはできないのである。神様、仏様が別にいる訳ではないのです。人間はこ゚の生命が見えない為に神、仏を外に求めてしまったのです。
生命が内に宿っていなければ姿、形が顕れることはないのである。
神、仏とは生命エネルギーのことである。
人間が死ぬ時、魂が抜けたという云い方をするが魂とは生命エネルギーのことである。
生命エネルギーが肉体から引いただけなのです。生命は死ぬことはない、普遍不動であり、永遠である。生命は宇宙生命、愛の法則、愛光である。



 

大宇宙は小宇宙 小宇宙は大宇宙


大宇宙は小宇宙 小宇宙は大宇宙

大宇宙の中に小宇宙は存在する。小宇宙と大宇宙は同じもの。相似形である。
同じ生命体である。大宇宙は1つなる生命体であり、中性なる生命体である。人間という生命体も宇宙の生命体の一部であり、全体である。
人間というのは小宇宙の細胞体であり、1つなる法則によって創造されている。
生命は1つであり、小宇宙の人間も大宇宙の中の同じ生命体である。
生命が万象万物を顕している。人間も生命によって顕れた現象である。姿、形の現象は消えても形態質料は消えることはない。生命は普遍不動の宇宙生命は消えることはない。永遠である。我も永遠なる無限生命なのである。この1つなる生命以外、宇宙には存在していないのであるから。我は宇宙生命の一部でありながら、宇宙生命そのものであった。