2022年4月11日月曜日

何故、文明が発達すると天変地異がくるのか?


何故、文明が発達すると天変地異がくるのか?

天変地異は地球のバランスが崩れる為に起きる。宇宙は完全バランスの生命体である。絶対なる中世バランスで永遠なる生命体である。原因なき原因である。この中にある万象万物は完全の法則の中で現象化している。
地球も完全バランスで現象化している。この中に現象化している万物は永遠の中で生かされている。人間もである。生かされているのである。
人間も生かされているということは何かをしなければならないということである。
何をするのかというとはバランスを崩さず、生きることで地球の波動を上げるお役目があるのである。人間がバランスを崩さず生きることで鉱物、植物、動物の波動を上げることができる。波動を上げることで地球が地の星から光る星になって行く。
今、地球上で争いが起きているのは人間という器を自分と見間違い器を自分として生きている為で、波動が低い状態の為に起きる現象である。見えるものに囚われてしまう為、見えるものは見えないものが現わしていることに気づかないためである。天変地異は人類が地球のバランスを崩す為に起きるものである。完全の中に居りながら自分でバランスを崩し、有限なる生き方をしている。宇宙は全てバランス。陰陽の中心バランス。これが宇宙の生命体の本性である。幾度となく繰り返されてきている天変地異。また危ない状態に来ている。
人間の心が乱れると地球のバランスが乱れる。地球の軸のバランスが狂うと独楽のように回転が乱れる。中心のマグマが乱れ、地震、火山の噴火になってしまう。すべて人間がバランスを崩すが故に起きてしまう。文明が発達すると物質中心になり、陰陽のバランスを乱してしまう。何故そうなるかというと宇宙は見えない高分子の霊体だからである。人間が生きていると思うから問題を起こしてしまう。人間を生かしているのは自分ではなく、宇宙の生命エネルギーなのである。中心バランスが我であり、生命である。肥田式はこのことに気づくためのものである。本来の目的は此処にある。有限の消えてゆく世界で生きる為に鍛錬しても意味がない。宇宙の無限生命の中に有限はない。仮相である。見えるものは俗世、仮の宿の現われである。

2022年4月9日土曜日

中心力によりすべてが動かされている


 中心力によりすべてが動かされている。

1つなる生命(神)が万象万物を現象化させている。
生命とは中心バランス、陰陽のバランス、愛である。宇宙は中性であり、完全バランスである。無限大のバランスであり、このバランスがフリーエネルギーであり、永遠なる生命である。その中に万象万物が現象化している。万象万物の見えるものは実在はしていない。無限の中に有限は存在しないからである。故に人間も存在しないということになる。現象である。故に形が消える。見えてしまうものは実在していないということである。
すべての万象万物はこの見えない生命エネルギーによって造られ、生かされている。八百万の神がいるのではなく、1つの生命が八百万の見えるものを現わしている。でなければ宇宙は無限生命にはならない。有限になってしまう。見えるものと見えないものは1つであり、変化しているだけである。肥田先生がエネルギーは無料であると云われる。現象の人間がいると勘違いをするために分離感を生み、争いが起きる。このことを現象界で教えてくれている。変化の止まない現象界で幾ら働いても豊かな生活をしても一時の幸せである。本当の幸せは死という恐怖の中では味わうことができない。宇宙は無限なる永遠の生命体であり、その中に万象万物は息している。無限なる生命に中に有限なる生命はない。表面の形は、形を生かしている見えないものが形を造り、維持している。見えるものも見えないものも1つである。色心不二である。
宇宙は中性バランスであり、人間も病気も気の病。アンバランスから起きる。死もこのバランスを自分で崩してしまう為に起きる。
肥田先生は秦の始皇帝は自分の中に不老不死の仙薬があるのを知らなかったと云われるのはこのことである。人間が生きているのではなく、生かされているのである。
中心力、フリーエネルギー、愛の法則、陰陽の法則、中性力によってすべての見えるものは生かされている。誰もが中心力を持っている。
肥田先生が神の子、神の器と云われているのは宇宙の生命エネルギーであり、そのエネルギーを受けて流す器を云われている。エネルギーは見えない。見えないものを神と云っているだけなのである。神様がいるわけではないのです。



2022年4月7日木曜日

中心の鉄扉


中心の鉄扉 

中心力から無限のエネルギーを使うことができる。
肥田先生が肉体の中心から無限のエネルギーを引き出すことができることを示してくれた。
何故、そのようなことができるのか?宇宙は中性である陰陽のバランス、ゼロ磁場である。すべてはこの中心に繋がっている。中心というには中性であり、完全ということである。完全の中に不完全はない。無限の中に有限はない。すべては無限生命の現われであり、完全である。肥田先生は学んで能力を出されたのではなく、中心より宇宙の無限大の力、知恵を引き込まれたのである。すべて完全に生まれているにも関わらず、不完全な使い方を勝手にする為、不調和を起こしているだけである。これから身に付けようと思う心からは絶対に身に付かない。無いものからは有は生み出せないのである。完全に生まれているのだから、使い方が悪いだけだと思うことで直るのである。不完全からは完全にはなれない。中心力は完全バランスであり、この中心バランスが宇宙の生命力を引き出すことができるのである。誰もが持っている。只、気づかないだけなのである。これが中心力である。中心に戻れば誰もが自分の井戸から無限大のエネルギーを引き出せることを肥田先生が教えて下さっているのである。肥田式の型は中心力であり、形ではないのです。形は結果であり、結果の背後にある原因に気づく。因果の法則に気づく。1人、1人が自分の中心なる井戸から無限大の力、知恵を汲み出す。そのキッカケを作って頂いていると思っている。この中心力を使い、人類に貢献しようではないか。お金もかからないのである。


2022年4月6日水曜日

結果から結果を得ることはできない。


結果から結果を得ることはできない。

肥田式を学ぶに当たって形を学ぼうとするが、形は造られたものであって幾ら形を真似ても効果は出ない。肥田式を必死の気で学ぼうとする心が形の奥にあるものを引き出すことができるのである。
肥田先生は自分が弱いから強健になろうとしたのではない。父の自分に対する思いによって一大決心をされたのである。すべては内なる心が決めるのである。
形からは肥田式は学ぶことはできない。何故、肥田式は自分の中にあるからです。
見える結果の世界からは得るものはない。見えない原因の世界が内なるエネルギーを引き出す条件になる。必死の気になれる条件です。義務的では効果はあまり期待できない。
肥田式も自分の中の肥田式を引き出すだけなのであるから。
幾ら知識を並べても自分と向き合うことがなければ、意味のないことである。米を抱いて餓死するが如しである。
学びの基本は肥田先生が造られた肥田式を何故という問いかけで学ぶことで自分の身についてくる。誰もが素晴らしい引き出す井戸を持っている。この事が理解できれば戦争のない世界ができるのです。この世は天国であるが人類が地獄にしているだけである。人類はまだ幼児期であるということです。すべての答えは裡にあるということです。この世は生きる世界ではなく、裡から宇宙エネルギーを引き出し、世に放射させる為にあるのである。自分はないのです。無私です。



 

心身強健術について


 心身強健術について

心身強健術という名前を付けているのか?
一般的に肉体鍛錬を主体に考えると思いますが、肥田先生は最初から心身一体により身体を鍛えることを知っておられた。心と肉体は1つであり、共に鍛えて初めて効果があることをご存あり、心のバランスが肉体のバランスである。これは宇宙法則であり、陰陽の法則である。宇宙の中性の法則である。
正中心の肉体鍛錬から聖中心の宇宙エネルギーと一体となる鍛錬へ変化して行く。
すべて中性バランスによってエネルギーが生み出される。見えるものは見えないエネルギーによって動かされる。この中心力による心身の活性法は真理である。
人間という形態を含め、万象万物は1つなる生命によって様々な形態が造られる。
人間、目に見えるモノだけを見てしまうが、見えるモノは見えない1つのエネルギーによって動かされていることに気づくことで1つ目になり、すべてが1つであることに気づけば争いは無くなる。
全ては裡に無限大のエネルギーが存在しており、これを使う時代になれば争いは無くなる。見えるものの背後にある見えないものを肥田式の中心力を使うことで感じ取れるように霊性を高めて行きたいものである。

2022年4月4日月曜日

人間はトランジスタ回路である。

 

人間はトランジスタ回路である。

人間は内なる中心、中なる心からエネルギーが引き出されてくる。外からは入ってこない。すべて内からである。トランジスタも一方方向からである。鍛錬とは肉体を鍛錬するのではなく、肉体を通してエネルギーを入れることである。エネルギーは貯めてはおけない。内なるエネルギーを如何に肉体を通して現すかである。筋肉に力があるのではない。筋肉を鍛えて力を出すのではない。受けて流すのである。肥田式が中心力と云っているのは全ての中心からエネルギーが湧き上がっている。無限大に。中心バランスが生命であり、力であり、知恵である。筋肉を幾ら付けても力は生まれない。力を出す場合、量ではなく、質の筋肉が必要になる。上半身筋肉を付け、力を得ようとしても筋肉の量を付ければ付けるほど上半身の筋肉が固くなり、自由性を失う。中心バランスを失う。
肉体美を見せるならともかく、力を出そうとする場合は筋肉を「伸ばせばバターの如く、縮めれば鋼鉄の如くの筋肉」質の筋肉が必要になる。力は利動力で入ってくる。中心力10、部分力9の割合で使うと絶対に身体を痛めることはないと肥田先生は云っておられる。
すべての力が内にある。「敵は本能寺にあり」です。
キリストが言われるように「得ようとするものは奪われる」この言葉は自分の中にあるのに外に求めるなということを云っている。すべては誰もが持っているのです。外に求めるから自縛するのです。ポケットに永遠なる生命エネルギーがあるのに気づかないだけである。肥田先生が特別ではないのです。崇めててることではないのです。あなた自身に肥田先生と同じものを引き出す力があるということです。何故?宇宙は1つの生命体であるということです。幾ら肥田先生の物まねしても力はつきません。自分の中からしか引き出すことはできないのですから。自分の肥田式、中心力を引き出すこと以外できないのです。
すべて自分の中にあるのです。「得ようとするものは奪われる」自信を持って自分の井戸から汲み出してください。無限大の汲めど汲めない無尽蔵の宇宙力を・・・。




2022年4月3日日曜日

足は発電所、腰は変電所



足は発電所、腰は変電所

雷は上からで来るのではなく、下から起きる。
肥田式は床をどれだけかめるかである。身体の動きは下半身リードで上半身を動かして行く。それぞれ使う所に腰で配分して行く。小手先と云うのは上半身リードという意味になります。武道をされている方は当り前に行っていることであるが。
上半身は反動力、利動力で動かして行く。下半身の反動力で動かして行く。腰椎4番、5番の反折の意味が此処にあります。4番、5番の反折をするのではなく、利動力を使うことで結果的に反折が行なわれる。中心力10、部分力9の割合で身体を動かす時、身体を壊すことはないと肥田先生が云われております。
車はガソリンで動く。ガソリンが車を動かしている。人間もエネルギーによって動く。そのエネルギーは何処から入れるの?食べ物から?肥田先生は「天寵無限」無限なるエネルギーを中心力として使っている。「天寵無限」が意味するものは宇宙には無限の無料のエネルギーが存在しているということを意味している。外部から争ってエネルギーを得なくても良いことになる。エネルギーとは力であり、知恵である。すべては裡にある。21世紀を生きる人類の鍵が此処に隠されている。只の肉体鍛錬でないのである。肉体はエネルギーを引き出す器に過ぎない。