2022年6月5日日曜日

生命はバランスである。


 生命はバランスである。

中心とはバランスのことであり、この見えないバランスが根源なるものである。肥田先生が、中心の鉄扉を開かずして生きることは生きていても意味がないと云われている。これだけハッキリと云われている。肥田式は肉体鍛錬ではない。中心力の鍛練である。肉体を通して宇宙の中心力を知り、理解する為の器が人間としての現象の形である。
中心力が肉体を動かしている。無我の境地とは自分は存在しないということである。肥田先生が大悟徹底されているということは肉体離脱をしているということになる。一般の人にはこのことを理解できないために目に見えることだけで色々なことを云われている。
肥田先生の生き方を見れば最初から自分はない。大学に行かれる時も自分の為に大学には行ってはいない。自我の人間には無我の真理は理解できない。中心力という意味を理解することで宇宙の真理を理解し本来の我に気づいて行く。天寵無限という言葉は人間が天から無限大のエネルギー引き出すということではない。無限大のエネルギーが自分であるということに気づくことである。人間は存在しない。無我なのである。肥田先生はこのことを知っていたと思う。書に中心という文字を書かれる。その下に円相を描かれている。宇宙の真理を理解しているということである。また「誠」「真我」の書もある。これはすべて宇宙の真理である。宇宙の真理とは生命である事を理解されていた。真理はバランス。愛である。愛の中に争いはない。


2022年6月4日土曜日

肉体が自分なのか?息が自分なのか?

 


肉体が自分なのか?息が自分なのか?

宇宙は無限大である。無限の中に有限は存在しない。見えるものは現象であって形は変化してしまうものである。
創世記に「人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」と書かれている。すべての万象万物は1つなる息の現われ、現象であるということになる。人間は宇宙の相似形であり、小宇宙であると云われている。人間は細胞体であるように宇宙も1つの細胞体である。その宇宙細胞体の中の一部が地球であり、人間である。地球も宇宙細胞体の中の1つの宇宙の臓器のようなものである。細胞体に隙間は存在しない。宇宙は1つの隙間のない細胞体である。1つの細胞体の中に時空間は存在しないということになる。
地球は空に浮いているように見えるが、ぎっしり詰まった細胞体である。見えない細胞の中に浮いているように見えているだけである。
人間は息が止まると死を意味する。肉体が生きているのなら、息が止まっても生きているはずである。息が止まると肉体があっても動かなくなる。息が肉体細胞を動かしているということになる。
宇宙は中性であり。完全バランスである。これが宇宙の陰陽の法則であり、こ゚の法則が愛であり、息であり、神である。仏である。生命である。宇宙の中に現象化されているものはすべて1つの中の出来事である。すべては1つの息でつながっている。

2022年5月27日金曜日

今の意識状態が現象化している。


 今の意識状態が現象化している。

今、地球上で現れている現象は人間の想いの結果が現れている。良いことも悪いことも人間の想いが造り出している。想念は実現の母である。
想念シナリオが具現している状態である。現れているものは現象なので、想いが象に顕れている。質料が象になって顕れているだけでまた形が変化し、見えなくなって行く。氷が水になって行くようなものである。
地球は地の星であり、自然界は見える世界、万物も地に這って生きている。人間も。波動の低い世界から人間の根源、原点、空に戻る。1つなる空がすべての万象万物を現わしている。現わしているものが自分であり、すべては1つの現われであるということは万象万物全て1つであるということになる。宇宙は1つなる生命なら我も宇宙生命、万象万物も宇宙生命、すべては1つである。天上天丅唯我独尊。すべては1つであり、すべては我である。
すべてのすべてありてあるものすべて生命であると聖書に書かれている。
宇宙の法則は1つの法則、陰陽の法則、愛の法則があるのみであるということになる。人間は1つの生命体であることを知らず、見えるものに自縛している。波動が上がれば争うことはなくなる。波動を上げる為に想念という意志力与えられている。想念は人間に与えられている何でも叶えてくれる魔法の杖である。波動の低い人間を生きるのか?波動を上げて本宿に戻るのか?の選択は本人の自由に任されている。


2022年5月26日木曜日

空の世界と現象世界


 空の世界と現象世界

1つなる生命(神)が八百万の神を現象化させている。現象化されているものはいずれ消え行く存在である。
現象界は1つなる見えない生命が意識によって具現される世界である。「想念は実現の母」。この世は思ったことが現われる世界である。自分の中の想念がシナリオを描き、自分という器がそれを演じている。脚本家であり、俳優であるが、人間という器が自分で脚本をつくり、動いていると思っている。俳優という器にはシナリオはつくることはできない。現す媒体の器である。良いことを思えば良いことが現われ、悪いことを思えば悪いことが人間という器を通して現われている。現象界は想いのままの世界。今の自分が現象しているということは自分は人間であるという想いが人間の形を現わしているということになる。
宇宙は生命意識であり、1つなる空意識が想念によって現象化される世界。見えるものは見えない生命エネルギーが宿り、現象化している。現象化するということは波動が低いということである。見えるものは波動が低く、見えないものは波動が高い。
空生命は高バイブレーション、高バイブレーションの見えないものが波動が下がると見える形になる。
氷を温めると水になり、水を温めると水蒸気になり、見えなくなる。
人間も水子であり、意識バイブレーションを上げれば空になる。見えるものすべては空から生まれている。また空に戻る定になっている。
人間は今の姿、形を意識しているため波動を上げることができない。その為に消極な形に囚われ、生老病死の四苦の仮相の世界、又無いものをあると想う心が分離感を生み、争いの元になり闘争に明け暮れる。仮の宿、俗世から本宿に戻る為には意識圧を上げて行かなければならない。見える世界は見えないものの現われの結果の世界、見えない世界は本源本質の原因の空の世界。



2022年5月25日水曜日

原点(天)は中心バランス


原点(天)は中心バランス

中心バランスが宇宙の万象万物を現象化させている。中心とは1つということである。宇宙には中心は1つの絶対バランスの中心があるということである。完全バランス、中性である。この中性バランスが見えない生命循環システム、陰陽の法則、愛の法則、調和の法則が1つなる宇宙である。
万象万物は見えない生命法則によって現象化されている。宇宙は調和体であるということは2つはない。1つしかないということである。見えるもの、見えないものはすべて1つであるということになる。現れているものは1つなるものの現われということになる。1つの見えないものが現象化しているということになる。お釈迦様が云われる色心不二である。見えるものは見えないものの現われであるということである。様々な現象は1つなる見えないものの現われであると。
宇宙は1つなる見えないものの中に見えるものが現象化 している。見えるものは単独で存在してるのではなく、見えない生命が現象化させている。すべては1つなる見えない生命が様々な波動領域のなかで生命が宿り、見えない生命が質料形態に宿り、見える形の生命活動をしている。宇宙は中心バランスが故、生命活動を行うことができる。生命とはバランスのことである、


2022年5月23日月曜日

神、仏とは何ぞや?


 神、仏とは何ぞや?

神、仏とは何か?を知らなければ、何の為に生きるのかが分からなくなってしまう。人間の身体は小宇宙と云われ、宇宙と同じシステムで動いている。
宇宙はたった1つの法則で動いている。自然界も同じ法則で動いている。宇宙は完全なる陰陽の法則で永遠なる生命体である。すべてはこの完全なる生命体の中での出来事である。こ゚の陰陽の法則、愛の法則を神と呼んでいる。完全なる、永遠なる生命循環システム。これを神と呼んでいる。こ゚の生命エネルギーは見えない為、神と呼んでいる。神は宇宙の至る所に存在している。宇宙そのものが神の御神体である。すべてが此処から始まる。すべては完全から始まる。完全の中に不完全は存在しない。不完全というのは現象という存在しない消え行くものを、実在すると信じる心が不安、恐怖を持ち込み、バランスを狂わしてしまう。消えてしまう仮相をあると思う心が、心を惑わしてしまう。現象の諸行無常の世界をあると信じ、生きることで自縛してしまう。
宇宙のすべてのすべてありてあるものすべて神であり、仏であると云われている。
神、仏とは永遠なる見えない生命を言っているのであって神様、仏様がいるわけではない。
人間という現象の器はどのように使わなければならないのか?人間の中心には無限なる生命エネルギーが眠っている。この内なる宇宙の無限なる生命エネルギーを引き出す為の器が人間である。人間はエネルギーを受け流す媒体器である。この器を自分と思うと自縛する。見える万象万物は見えない無限大のエネルギーを放射させる道具である。自分は存在しない。無我である。乗り物が消えてしまえば、次の乗り物に乗り換えるだけである。
生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏できないと云われているのは乗り船が自分ではなく、乗り船を動かしている生命が神であり、仏であり、自分であることに気づくことである。仏は汝の内にあり。これに気づく。全てが1つなら全ては自分ではないか。これを実感することが今生で成さねばならないことであるということである。その為の現象界であり、生きる世界ではなく、理解、悟る世界である。
善、悪は仮の宿から本宿に戻る為に用意されたバネである。鳥が向かい風に飛び込み、その奥にある神の上昇気流を捕まえる為に仮相の人間に用意されたものである。現象を実在と見るか、仮相と見るかは本人の自由意思に任されている。



2022年5月22日日曜日

宇宙は1つ、すべては1つ、絶対調和なり。


 宇宙は1つ、すべては1つ、絶対調和なり。

宇宙は初めから完全であり、絶対調和である。その中で生かされているものは全て完全である。
万象万物は宇宙の1つなる生命が万象万物をつくり、その中で1つなる生命が息をしている。すべては1つの息が万象万物の中に宿り息している。万象万物の息は1つの宇宙の息である。すべては兄弟姉妹なのである。
1つなる生命が様々な形態に宿り、息している。すべて1つの息である。地球上に様々な形態の生きるものがあるがすべて1つの息を吸っている。
今、人間同士で争いを起こしているが、1つの息がすべての形態に宿り、形態を動かしている。見えるものは1つの見えない生命エネルギーによって動かされている。人間は1つのエネルギーで動いているが、それに気づかず人間同士で争いを起こしている。見えるものはすべて同じ生命エネルギーによって生かされている。自分が自分で殺していることに気づかないまま、争いを続けている。宇宙は無限生命であり、無限の中には有限なるものは存在しない。万象万物は現象である。従って人間も存在しない。見えるものは全て現象であり、存在しないということになる。見えるものはすべて仮相であることが理解できれば争うことはなくなる。
人類だけに自由意志が持たされている。与えられた想念力を使って自分の波動を上げることでこの現象界、存在しない世界から解脱して行く。人類を救うということは現象界から1人、1人が本当の自分に気づき、自分の力で這い上がることが人類救済である。見える世界を生きることは自縛である。肉に生きるは死であるとキリストも云われている。