2022年5月23日月曜日

神、仏とは何ぞや?


 神、仏とは何ぞや?

神、仏とは何か?を知らなければ、何の為に生きるのかが分からなくなってしまう。人間の身体は小宇宙と云われ、宇宙と同じシステムで動いている。
宇宙はたった1つの法則で動いている。自然界も同じ法則で動いている。宇宙は完全なる陰陽の法則で永遠なる生命体である。すべてはこの完全なる生命体の中での出来事である。こ゚の陰陽の法則、愛の法則を神と呼んでいる。完全なる、永遠なる生命循環システム。これを神と呼んでいる。こ゚の生命エネルギーは見えない為、神と呼んでいる。神は宇宙の至る所に存在している。宇宙そのものが神の御神体である。すべてが此処から始まる。すべては完全から始まる。完全の中に不完全は存在しない。不完全というのは現象という存在しない消え行くものを、実在すると信じる心が不安、恐怖を持ち込み、バランスを狂わしてしまう。消えてしまう仮相をあると思う心が、心を惑わしてしまう。現象の諸行無常の世界をあると信じ、生きることで自縛してしまう。
宇宙のすべてのすべてありてあるものすべて神であり、仏であると云われている。
神、仏とは永遠なる見えない生命を言っているのであって神様、仏様がいるわけではない。
人間という現象の器はどのように使わなければならないのか?人間の中心には無限なる生命エネルギーが眠っている。この内なる宇宙の無限なる生命エネルギーを引き出す為の器が人間である。人間はエネルギーを受け流す媒体器である。この器を自分と思うと自縛する。見える万象万物は見えない無限大のエネルギーを放射させる道具である。自分は存在しない。無我である。乗り物が消えてしまえば、次の乗り物に乗り換えるだけである。
生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏できないと云われているのは乗り船が自分ではなく、乗り船を動かしている生命が神であり、仏であり、自分であることに気づくことである。仏は汝の内にあり。これに気づく。全てが1つなら全ては自分ではないか。これを実感することが今生で成さねばならないことであるということである。その為の現象界であり、生きる世界ではなく、理解、悟る世界である。
善、悪は仮の宿から本宿に戻る為に用意されたバネである。鳥が向かい風に飛び込み、その奥にある神の上昇気流を捕まえる為に仮相の人間に用意されたものである。現象を実在と見るか、仮相と見るかは本人の自由意思に任されている。