発酵と輪廻転生
納豆は大豆が納豆菌により発酵をさせたものであり、大豆が納豆になって行く。一度納豆になってしまうと大豆に戻ることはできない。
宇宙は1つの細胞体であり、常に発酵している。よりきめ細かになっている。空である。空は何もないわけではない。見えない発酵体である。更に発酵し続けている。更に微細になって行く。細かくなればなるほどエネルギーが高まって行く。見えないということはエネルギーが高いということである。見えるものはエネルギーが低いということである。
人間は見える存在であり、見えるということは低波動ということである。低波動の為に見えるものがあると信じ、自己保存の為に消えて行くものに囚われ、争いを起こしているのが人間である。宇宙は無限生命であり、1つである。1つの中に有限は存在しないことを人間は認めない。キリストが云われている。死ぬものはまた生まれると。人間の現象が個体からバイブレーションが上がれば納豆が元の大豆に戻ることができない。人間に生まれることは無くなる。戻れるということは大豆がまだ発酵していないということになる。私を含めて形ある物はまた人間として生まれてくる。
虫達を見ると幼虫から変化して蝉になり、カブトムシになり、蝶になって行く。人間も脱皮しなければならないのに芋虫から脱皮しようとしない。青虫も幼虫の時には野菜を食べ周りに迷惑をかけるが脱皮して蝶になれば自分が植物との共存の中で生きることができる。共存共栄が法則であり、万物の霊長たる人間だけがこの法則を犯し、地球のバランスを崩している。人類は今、動植物以下の生き方をしている。仮の宿で何をすべきかを今、問われている。答えは1人、1人の裡にある。
意識を発酵させることで争いをなくすことができる。空は無限大のエネルギーの宝庫であり、誰でも使うことができる。物質を追い求める時代から空を求める時代に変化してくる。