2022年5月5日木曜日

この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか?仮の宿で何をすべきなのか?


 この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか 仮の宿で何をすべきなのか?

仮の宿があるということは本宿があるということである。
宇宙は霊界であり、人間を万物の霊長と呼ぶ。宇宙は無限の質料とエネルギーの絶対バランスで、絶対の生命循環、陰陽のバランス、中性である。
此処がすべての根源であり、見える姿、形はバイブレーションの低い状態である。この低いバイブレーションを上げることで本宿の見えない本当の自分に戻る。今は本宿から生まれ、個体という姿の中に住み、バイブレーションを上げ、霊肉一体にさせ、見えない本宿に戻る途中にいるのである。
人間という仮の宿に囚われてしまうと本宿には戻れなくなり、戻れるまで輪廻を繰り返す。
本来の我は人間の裡に本当の我が宿っている。こ゚の我に目覚める為に仮の宿がある。この世で一生懸命に働いて財を成しても死んでは持って行けないことを知り、本来の使命に気づくことで本来の我に気づく。
見えるものは不完全であり、人間のすることは完全なことは行えない。人間が生きると必ず自然界のバランスを崩す。争いを引き起こす。同じ生命同士で争いする。見えるものに囚われて生きてはいけないことを知る。人間、万象万物は神の化身であることを知り、1人、1人の意識を上げることで人類が争いのない世界をつくって行く事で本宿に戻って行く。人類を変える力は1人、1人の中にある。バランスがすべてを変える力になる。見えるバランスではなく、見えないバランスを取って行く。中心力、中なる心は全ての人の中にある。