生命はバランスである。
中心とはバランスのことであり、この見えないバランスが根源なるものである。肥田先生が、中心の鉄扉を開かずして生きることは生きていても意味がないと云われている。これだけハッキリと云われている。肥田式は肉体鍛錬ではない。中心力の鍛練である。肉体を通して宇宙の中心力を知り、理解する為の器が人間としての現象の形である。
中心力が肉体を動かしている。無我の境地とは自分は存在しないということである。肥田先生が大悟徹底されているということは肉体離脱をしているということになる。一般の人にはこのことを理解できないために目に見えることだけで色々なことを云われている。
肥田先生の生き方を見れば最初から自分はない。大学に行かれる時も自分の為に大学には行ってはいない。自我の人間には無我の真理は理解できない。中心力という意味を理解することで宇宙の真理を理解し本来の我に気づいて行く。天寵無限という言葉は人間が天から無限大のエネルギー引き出すということではない。無限大のエネルギーが自分であるということに気づくことである。人間は存在しない。無我なのである。肥田先生はこのことを知っていたと思う。書に中心という文字を書かれる。その下に円相を描かれている。宇宙の真理を理解しているということである。また「誠」「真我」の書もある。これはすべて宇宙の真理である。宇宙の真理とは生命である事を理解されていた。真理はバランス。愛である。愛の中に争いはない。