2022年11月2日水曜日

争いは生き方が間違っているというメッセージ。


 争いは生き方が間違っているというメッセージ。

宇宙は1つなるものである。1つなる宇宙の中に存在している。1つの中に争いは存在しない。争いがあるということは1つではなく2つが存在するということである。宇宙は1つなる宇宙である。その中で何ぜ争いが生じてしまうのか?それは1つの中で分離感を持つために争いが生じてしまう。宇宙は1つなる生命が独存するだけである。1つなる生命体の中で見えるものと見えないものが存在するが、見えないものが見えるものを現象化させている。すべては1つなるものの現われである。1つなるものの様々な現われをあると思う心が分離感を生み、自己保存の為に争いを引き起こす。本来は永遠なる1つなる生命体であるが分離感のため有限な意識になってしまう。永遠なる生命体の中に居ながら争いを起こすことで有限な生き方に波動を下げ、自ら進んで地獄に落ちてしまう。一度波動を下げると上げることは困難である。我々は永遠なる天国にいながら、見えるものに囚われ、仮相の地獄界に生きてしまっている。天国、地獄は意識の状態である。目に見えるものを追い求めて生きるものは地獄界の住人ということになる。宇宙は1つなる天国の世界である。誰もが1つなる永遠なる天国に存在しているのであるが、実在しない仮相の地獄を自らつくり、仮相の世界でしか使えない財産、幸せを求め、不安、恐怖、悩みの生老病死の世界を楽しんでいる。不安、恐怖、悩みがあるということは生き方が間違っているというメッセージなのである。本来は永遠なる平安があるのみである。この世を俗世、仮の宿と云われているのはこの世は本宿ではないということである。この世の争いは生き方の間違いを見つめるメッセージである。争いでは両方が良くなることはない。争いはアンバランスなる波動が起こしてしまう。1人、1人の心の波動を上げることで争いはなくなる。そろそろ人類の波動を上げようではないか。宇宙は永遠なる生命体である。幾ら見えるもの、現象を破壊しても本質の生命はなくなることはない。死んでも死なないのである。仮相界を自ら作って争いを起こし、演じているだけに過ぎないのである。
すべてのすべてありてあるものは1つなる永遠なる法則であり、1つなる宇宙生命である。
人間は宇宙の中には存在はしない。見える万象万物はすべて仮相である。幻影なのである。
実在するのは永遠なる1つなる生命、陰陽の法則だけが実在する。









2022年11月1日火曜日

すべては1つ


 すべては1つ

すべてのすべてありてあるものは1つなる無限なる生命である。永遠なる宇宙生命があるのみ。全て完全の中にいる。これが原点である。この原点からものを見ることですべての問題が解決できる。
すべてが1つなら見えるもの、見えないものすべて1つである。1つの中に時空間は存在しない。この原点から考えることですべてが解決できる。
完全の中に不完全はありえないのである。これが宇宙の法則である。
様々な言葉、様々な現象、様々な形、すべて1つなるものの現象ということになる。日本の国旗も1つ目である。
原因は1つ。結果は様々な現象、原因は1つ。この原因のことを、神、仏、霊光、天照大神と呼んでいる。すべては1つなる宇宙生命体のことである。真理は1つ。宇宙は陰陽の法則である。結果から原因は探ることはできない。真理は1つ。宇宙は1つ。見えない生命を神と呼んでいるだけである。1つの見えない宇宙生命体を見えるものだけで分離感で判断してしまう為に様々な神を打ち立ててしまう。人類がこの現象界から抜け出す為にキリスト、ブッタが現れたが、その道を宗教と言う思想が閉ざしてしまったが、またこの人類の根源の1つなる宇宙の法則の道を開こうとする方々が現れて来ている。
すべての原点は1つである。原点は2つはない。これは真理である。見えるもの、見えないものすべて神である。神一元、仏一元、天照大神一元である。すべては1つなる生命である。
物事を簡単に考えよう。真理は1つである。宇宙は1つなる永遠なる生命、これが原点である。限りなく小さく、限りなく大きい宇宙。これ以外何もない。我も見えない生命である。
真理は単純である。1つの中に争いはない。争いがあるのは2つがあると思ってしまう為に起きてしまう。色心不二。見えるものも見えないものも同じもの。見えない空には無限大の質料が存在する。争わなくても空より自由に取り出す時代になってくる。物質の取り合いで争いを起こしている人類。無限大の空より取り出せば争いは必要なくなる。
宇宙は1つなる完全なるものであり、全知全能の力、知恵である。人間は現象であり、実在していない。人間という媒体を使って知恵を出しているのは見えない生命という神である。
人間は宇宙生命体の媒体であり、神の受信機である。無限大の力、知恵を受け流す媒体が人間という神の器である。肉体が自分であれば死ぬ時、自分で決められるはずであるが、決められないといういう事は自分のものではないということになる。全ては1つなる宇宙生命体の現象、見える万象万物は実在しない仮相、幻影である。地球も空に浮いている。地球からロケットが宇宙に飛び出す時、宇宙と地球との境目はないではないか。全ては1つの現象である。宇宙は見えない気体の世界である。1つなる空の世界。見えるものはバイブレーションが低い為に見えているだけである。見えないものがバイブレーションを下げ、見えているだけであり、全ては1つである。宇宙は1つの細胞体であり、万物万物もその中の同じ細胞体である。人間の中も細胞体であり、細胞体の中は空間は存在しない。宇宙も同じであり、時空間は存在しないのである。



2022年10月31日月曜日

呼吸と息づかい


 呼吸と息づかい

一般的に呼吸法と云うと吸って吐く動作を連想される方が多いとと思いますが、肥田式で行う腹胸式呼吸法を見ても胸は解放状態で行う。
肥田先生は横隔膜の大緊張と云う言葉を使う。何故大緊張なのか?息づかいとは内圧をかけることで酸素を取り込むということである。深層部呼吸筋は不随筋であり、随意筋で動かして行く。故に夜、寝て居ても息している。
自然界の法則は宇宙の法則を作用、反作用という形で生命が息している。魚が上流に進むのも、鳥が風に乗って飛ぶのも同じ法則である。肥田式ではこの法則を利動力と呼ぶ。
これは中心バランスの作用、反作用の見えない力である。これの中心生命力を神と呼ぶ。この無形無相の中心力が神の子であり、肉体は神の器である
この中心力は宇宙バランスであり、自然界はこ゚の中性なる法則が働いている。この無限大の力を如何に使うかである。
息とは自らの心と書くように生命である。生命の使い方が息づかいである。息とは意識でもある。この力は無限大である。この無限大の力が肉体を動かしている。肉体が自分なのか?動かしているエネルギーが自分なのか?
肥田先生は新陳代謝に目を付けられ、身体を強健体に戻された。新陳代謝は細胞のことであり、細胞の集合体が人間という形を現わしている。息しているのは細胞が息している。人間は外観であり、その形の名前が人間と名付けている。
細胞は心のバランスによって左右される。「必死の気」という積極的な心、意識によって変わってくる。意識が変われば変わるのである。肉体が変わるのではなく、意識のバイブレーションが肉体細胞をより細かく変化させて行くのである。肉体が自分ではなく、意識が自分なのである。肉体は意識によって動かされるピノキオである。意識は中心力である。


2022年10月30日日曜日

争いは何故起きるのか?


 争いは何故起きるのか?

争いの原因は諸行無常の現象界を生きようとする為、自己保存の法則が働き、モノの奪い合いが起きる。ないものをあると信じる心が争いを起こす。
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。1つの永遠なるものの中に争いは存在しない。生命エネルギーの放射体の神の器を自分と勘違いをして神の器を自分と思って生き、争いを起こしている。また自己保存のために見えるものを自分のもとに集めようとし、地球の生態系のバランスを崩している。人間がいると錯覚しているために起きる現象である。
人間が宇宙の中には存在しないことを理解できる時に争いはなくなる。無限生命の中に有限なる人間は存在しないことを理解することが争いをなくすことである。人間という迷妄から脱皮することが21世紀の意識の世界に入る前段階である。



2022年10月29日土曜日

この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?


 この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?

宇宙は1つなる無限生命体である。完全完璧な平安な永遠なる世界である。永遠なる世界の中に存在しながら幸せを求めようとしている。キリストが云われている。「得ようとするものは奪われる」すべて持っていると。
宇宙の中の万象万物は1つなる生命の現われであり、完全なる生命が様々な形態を現わしている。初めから完全であり、幸せなのである。
何故幸せを求めようとしてしまうのか?1つなる生命の現象をあると思う自我の心が分離感を生み、消え行く現象をあると信じ、生老病死の諸行無常の変化の止まない現象に囚われてしまう為に不安、恐怖、悩みを抱えてしまう。
この分離感が消え行く現象を維持しようとし、争いを引き起こす。この分離感の中で幸せになろうとしてもなることはできない。現象界の中では平和になることも絶対にない。現象の仮相の自分から本来の実在の我に戻らなければ平和になることはない。平和は1人、1人の裡にある。宇宙は初めから平和なのである。平和を壊しておいて平和になろうとするのが人間である。
現象界で国々が争いを起こしているように見えるが、1人、1人の心の現われであり、国は人間1人、1人の集合体が国になっているだけである。
地球の中で地球のバランスを崩しているのは誰でもない、万物の霊長たる仮相の人間である。
地球の汚れは人間の心の汚れであり、現象界に生きようとする為に起きる現象である。



2022年10月28日金曜日

見えるものから見えないものへ


 見えるものから見えないものへ

宇宙は1つなる無限生命体であり、見えるものは現象であって実際には存在していない。見えるものはあるではないか?実在とは永遠を意味する。見えるものはすべて消え行く存在であり、変化してしまうものである。人間は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊体であり、気体である。宇宙は意識体であり、想念によって変化する世界である。
1つの見えない宇宙生命体が実在している世界。見えるものは見えない宇宙生命体の現象である。本当の我は見える我ではなく、見える我を現わしている我である。
どちらでも良いではないかという人がいるだろう?
見えないものが自分であると意識を持つことで永遠なる生命体で生きることができる。
見えるものに生きようとすると有限なる生き方になり、キリストが云われるように死ぬものはまた生まれる。お釈迦様が云われているように生老病死の四苦の諸行無常の世界の中で生きなければならくなる。本来の我は1つなる無限生命であり、宇宙には1つなる無限生命だけが独存しているだけである。すべては1つであり、1つの中に2つは存在しない。見える自分は本来の我ではなく本来の我は1つなる見えない宇宙生命体である。1つなる宇宙生命体は永遠なる生命体であり、その中にある見えるものも永遠である。見えないものをあると思う心が有限なる自分にしてしまう。現われているものは1つなるものの現われであると思うことで永遠に生きることができる。意識の切り替えで可能になる。本来1つなる生命の現象であって、その現われをあると思っているだけである。現象と思うことで、有限から永遠なる本来の我に戻すことができる。これが解脱であり、悟りであり、昇天であり、神であり、仏であり、天照大神である。
宇宙は1つなる生命体であり、1つの生命体を様々な言葉で言っているに過ぎない。
宇宙には1つなる生命の法則。陰陽の法則があるだけである。言葉の数だけ神がいるのではない。1つなるものだけがあるのみである。生命は見えないため、現わす言葉として使っているだけである。





2022年10月27日木曜日

1つの中に2つは存在しない


 1つの中に2つは存在しない

宇宙は1つである。1つの宇宙のなかに2つの宇宙は存在しない。1つの中にある見えるものは様々に見えるが1つであるということになる。現われているものは現象であるということになる。宇宙生命だけが独存するということである。疑う余地はない。
見えるものは1つなる生命の現われ、見えるものの中には1つなる見えない生命が宿り、現象を維持している。見えるものを生かしているのは1つなる見えない宇宙生命が宿り、見える現象を現わしている。すべては1つなる宇宙生命の化身であり、様々な見えるものの中に1つなる宇宙生命が宿って現象化している。見えるものに生きると間違いを起こし、肉体に生きることになる。人類はこの現象から抜け出さねばならない。1つなる宇宙生命の中に人間という存在はない。現象という神の器に人間という名前をつけているだけである。宇宙には形あるものは何1つ存在することはない。見えない1つなる生命体が存在している。