2023年10月9日月曜日

人間はこの世で何をすべきなのか


人間はこの世で何をすべきなのか

人間は地球という惑星の中に存在している。地球は原因、結果に分けられた天地一体の中に存在している。
天は原因、地は天の現象。2つで1つなのである。
見えるものの中には必ず、顕すものが存在している。これが人間という現象の中に蒔かれた神の種、光の種なのである。
この神の種に気づき、華を咲かせ、本来の我、無我の我、観自在、無碍自在の我に戻って行くことで、地球という波動を上げて行く。
現象に生きることではない。仮相の人類が文明を発達させると地球バランスを崩し、幾度となく繰り返されてきた天変地異。天変地異も最大の気づきのメッセージなのである。
地球がバランスを失うと太陽系に影響を与えてしまい兼ねないのである。

人類は争いなどをしている場合ではないのです。人類は1つなる生命体の中で、現象を見て、あると錯覚しているため、分離感の為、自分で自分を殺しているのである。自他一体、天地一体。色心不二。すべては1つの生命体なのである。

お釈迦様が云われている蓮の花の種は自分の中にある。自分の中に仏の種が蒔かれている。
自分自身が仏であり、宇宙法則のことである。現象を仏の心で生きるのではない。自分自身が仏であることを知ることである。念仏とは自分が仏であることを念じることなのです。
宇宙は霊の生命体であり、人間という仮相は万物の霊長であり、すべてが霊である。


 

2023年10月8日日曜日

神 仏とは何か?

神 仏とは何か?

宇宙の彼方に神様、仏様がいることはない。
宇宙の1つなる法則が生命を顕しているだけである。
キリストはこれを愛と云い、仏陀は慈悲と云っている。
宇宙の1つなる法則が神、仏なのである。これをまた生命とも、霊とも、光とも云っているだけである。すべては1つのことを云っているだけなのである。

宇宙は1つの完全バランスの生命体が宇宙であり。こ゚の生命体が万象万物を顕しているだけである。
この法則は見えないために顕すことばとして神とは仏とか云っているだけである。
大切なことは宇宙は完全バランスの永遠なる生命体であり、現象化しているものはこの完全の中にいるということである。

人間は仮相であり、現象でありながら、無我の我を実在していると思い込み、自我を持ってしまった。この分離感が自分で自分を苦しめている。本当の無我の我に戻れなくしている。

神、仏というのは自分自身のことなのである。宇宙そのものが神であり、仏であり、我である。ブッダは宇宙即我と云われているではないか。


 

人間は地球のがん細胞

人間は地球のがん細胞

宇宙は1つなる生命体であり、1つの細胞体である。
1つの中に時空間は存在しない。
人間も小宇宙と呼ばれている。人間の内部はすべて細胞の集合体である。細胞は様々な形態に形を変え、働いている。1つの細胞は全体の細胞の一部であり、1つの細胞がなければ全体の機能が麻痺してしまう。すべて関連し、動いている。

地球も細胞体の集まりであり。見えるものはこの世に必要だから細胞として存在をしている。
人類は1つの細胞体の中で殺し合いをしている。地球という惑星細胞を裡から壊している。
人間はがん細胞である。

人間は万物の霊長と云われている。地球の指導的立場でありながら、今や動植物以下の生き方をし、醜い争いをしている。


 

2023年10月7日土曜日

生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないとは


生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないとは?

この現象界は三位一体の世界であり、天国も地獄も幽界も同居している。
現象肉体の意識波動で死んだ場合、波動が低い為、幽界止まりで、高バイブレーションの天国には行くことはできないのである。
発酵と腐敗の関係である。発酵することによりエネルギーが高まって行くが、腐敗はエネルギーがなくなり、未発酵のために幽界に浮遊してしまい、また人間に生まれてくる。生まれるということは嬉しいことではなく、不幸なことである。落第生である。天には戻れないということである。成仏すれば人間に生まれてくることはない。死んで形がなくなることは本当は嬉しいことなのであるが。
肉体から意識が離れる時、人間意識なのか、生命意識なのかで決まる。
現象は低バイブレーションである。天国の永遠なる世界に戻るには生きている内にバイブレーションを上げておかなければならないということである。自分も人間の形を持っているということは落第生であるということになる。

キリストが云われるように「この世で富める者はラクダが針の穴を通るが如し」と云われているのはこのことなのである。
人間には自由意志が与えられており、人に強制することはできない。自分で気づき、仮の宿から本宿に帰らなければならない。成仏とは本来の我に帰ることである。


 

2023年10月6日金曜日

瞑想、黙想すると何故心が落ち着くの?


瞑想、黙想すると何故心が落ち着くの?

何か悪いことをすると本心の心が痛む。1つの心、本心の時は落ち着く。善悪の心になる時、心が乱れる。心が1つの時、心が安定する。目を閉じ、外からの情報を遮断することで心が落ち着く。
宇宙には1つなる心しか存在しない。善悪の心は存在しない。外の見えるものを見てあると思う心がもう一つの自我という実在しない心を造ってしまう。
善悪の心は自分で創り出す迷いの心であり、これによって心が乱されてしまう。
身体は心と肉体のバランスで維持されている。心が乱れるとアンバランスになり、気が乱れ、気の病になってしまう。気は心であり、気心である。心が肉体を管理している。
体調が悪くなると栄養なるものを取ったりするが、その原因は気の乱れなのである。
何故、気が落ち着くと心が落ち着くのか?宇宙は1つなる完全なる陰陽の法則の生命体である。この完全なるバランスによって現象化されている。この法則から外れることで、アンバランスになる。法則違反である。病気という気づきの反則切符が切られる。
すべて完全の中に居りながら、不完全にしているのは自分自身なのである。
瞑想で心を落ち着かせることもできるが、瞑想は本当の自分に気づくためのものでもある。



 

人間は生まれながらにして幸せなのである。


人間は生まれながらにして幸せなのである。

宇宙は中性なる生命体である、生命は中性であり、中道なのである。中道が生命なのである。
生命エネルギーが現象を通して顕われている。
現象は宇宙が完全バランス故に姿、形に顕れている。
このバランスを崩しているのは外でもない自分自身なのである。
何故バランスを崩すのかというと表現媒体を自分自分自身と思い違いをしてしまう為に逆にバランスを崩してしまう。
完全なるものをアンバランスにしているのは自分自身であることに気づかないだけである。
この現象は顕現道具であることを知らず、自分のものであると思ってしまう為に諸行無常の四苦に苦しめられてしまう。外を見るから不完全になってしまう、自分で生きようとしてしまう為にバランスを崩してしまう。初めから幸せなのに幸せを外に求める為にバランスを崩しているだけなのである。幸せに青い鳥は内にある。初めから幸せなのです。外に幸せを求めようとするからアンバランスにしているだけである。宇宙は善のみの世界であり、これを善悪の分離感にしているのは自分自身である。

 

見えるものしか信じない人類


見えるものしか信じない人類

人間は目に見えるものだけしか信じようとしないが、見える肉体を動かしているのは想念である、意識である。意識は見えない。肉体が動かしているようにも思えるが、見えない想念が肉体を動かしているのである。
「想念は実現の母」である。
見えない意識が肉体を動かしている。その事に中々気づこうとしない。すべては心が造り出しているがこれを信じるものが少ない。
この見えるものは見えないものによって現象化されていることを知れば争いの世界から抜け出し、不変不動の世界に戻ることができる。実在しない有限の世界から永遠なる実在の自分に戻る。実相の世界は無我の世界、形を持たない世界故に観自在、無碍自在の世界、これを理解して行く。形を持っている我から形を持たない我に意識を切り替えて行く。