2023年10月10日火曜日

生命の自覚、神の自覚、仏の自覚


 生命の自覚、神の自覚、仏の自覚

人間は霊というものにさんざん振りまわされてきた。霊という言葉には余り触れたくない。悪い印象しかない。
霊は見えないものを指しているが、この世は三位一体の霊界である。見えるものも霊、見えないものも霊、霊能者達が云っているのは幽界のことである。
霊は姿、形は持たない。宇宙は霊体であり、宇宙の本源本質であり、宇宙創造に原理である。

万象万物は霊の被造物であり、神、仏のことを霊と云い、生命と云い、宇宙の法則と云っているのである。

霊は宇宙の法則のことであり、人間そのものである。人間は霊であり、神であり、仏である。
現象だけを見るため、本当の我を忘れ、現象の仮相の我に持て遊ばれているだけなのである。
本来の我は有限の我ではなく、無限の我、無我の我、神であり、霊であり、仏であり、宇宙の法則のことなのである。
人類はすべて天照大神、天照大神の子孫であり、天照大神そのものである。神様がいるのではない。完全なる法則が神なのである。

自分とは何か


 自分とは何か

宇宙の中に万象万物が現象化している。その中に人間という小我が顕れている。万象万物は神の分霊として顕れている。
人間は神の分霊として現象化している。只顕れているだけなのであるのか?
顕れているものはすべて使命が与えられている。
人間には万物の霊長としての使命を与えらている。人間という現象には自由意志を持った神の種が蒔かれている。地上界でこの神の種、光の種を発芽させ、華を咲かせ地球の波動を上げる使命が与えられている。この地の星から光る星にするために蒔かれた光の種が人間の形をした現象の中に蒔かれている。自分とはこの光の種に気づき、自覚し、華を咲かせる。
ブッタは云われる蓮の花である。蓮の花の種は一人、一人の中に蒔かれている。


内が光なら 外も光なり



裡が光りなら

外も光なり

宇宙は光なり

光りは愛なり

愛は法則なり

法則は神なり


宇宙法則に生きよ


宇宙法則に生きよ

宇宙法則に生きよと言っても現象をあると信じているものには99.99%信じることはないだろう。
宇宙は完全なる法則に基づいて永遠なる生命体が存在している。永遠なる生命、無限生命の中に有限は存在しない。素直な心の持ち主なら、なるほとと言うと思うのだが?
お母さんのお腹から生まれたと信じ、お母さんが私を造ったと思っている。それ以上は考えることはしない。見えるものは見えない生命エネルギーによって姿、形を顕しているが、現れたものは独立して動くことはできない。見えないエネルギーによって生かされているのであって単独行動はできないのである。
人間だけに自由意志が与えられているため、自由にこれを使うことができるが、人間はこの自由意志を間違って使ってしまった。その為に永遠なる生命が有限なる生命として生きるようになった。この生き方を元に戻すことをしなければならないが、人類は未だ生命に生きようとしないで、反逆の人生を送っている。宇宙法則違反の生き方をしている。
地球を我物顔で自分の住処を荒しまわっている。その中で幸せを求めようとしている。
小学生でもわかることが、大人には解らない。
生きているエネルギーは自分で創り出しているのではない。宇宙法則の生命エネルギーを無断で使っているだけなのです。
宇宙法則は生命科学である。キリスト、仏陀は宗教学者ではなく、生命科学者であったのです。心と物理は2つで1つなのです。宇宙法則は1つであり、真理は1つである。
2つに分離するから争いを起こしてしまう。この気づきのために26000年に一度起きる天変地異の気づきであり、法則違反の代償である。

これを誰がするのか?一人一人の心の切り替えで防ぐことができるのです。人間の意識の切り替えで可能である。お金はかからないのである。これに気づいたものから始めて行く。




2023年10月9日月曜日

宇宙の原点は霊である


宇宙の原点は霊である

人間は自分が霊の化身であることを信じない。
宇宙は固体、幽体、霊体の三位一体なのである。
固体世界が今の仮相界、固体が見えなくなる世界が幽界、生命世界の本源本質の世界が霊界、これが三位一体で存在している。生命の世界が万象万物を現象化している。これが宇宙生命体である。
生命は見えないが、見えないものが現象化しているだけなのである。
人間はこの見えるものに囚われて見えるものに使われてしまっている。奴隷になってしまっている。この世で生きようとすることが奴隷で動くことになる。
仮相は本当の我が生きる道具なのである。宇宙の生命エネルギーを顕現しなければならないのである。生命は霊であり、人間という媒体を使って生命エネルギーを顕現する為に地上界に蒔かれた光の種なのである。霊の顕現するための道具が人間という姿、形の媒体なのである。


 

生命はエネルギー


生命はエネルギー
中心エネルギー
霊エネルギー
気体エネルギー
液体エネルギー
固体エネルギー
すべてはエネルギーが形を止ったもの
すべて見えるものはエネルギーの化身
人間もネルギーの化身
人間は見えるものに囚われてしまって
本来の我を見失っている
故に争いを繰り返して
自分自身を殺していることに気づかない
サタンという自分で造った悪魔に
エネルギーを与え、自ら自縛している
サタンは人間という仮相からエネルギーを
調達している

人間はこの世で何をすべきなのか


人間はこの世で何をすべきなのか

人間は地球という惑星の中に存在している。地球は原因、結果に分けられた天地一体の中に存在している。
天は原因、地は天の現象。2つで1つなのである。
見えるものの中には必ず、顕すものが存在している。これが人間という現象の中に蒔かれた神の種、光の種なのである。
この神の種に気づき、華を咲かせ、本来の我、無我の我、観自在、無碍自在の我に戻って行くことで、地球という波動を上げて行く。
現象に生きることではない。仮相の人類が文明を発達させると地球バランスを崩し、幾度となく繰り返されてきた天変地異。天変地異も最大の気づきのメッセージなのである。
地球がバランスを失うと太陽系に影響を与えてしまい兼ねないのである。

人類は争いなどをしている場合ではないのです。人類は1つなる生命体の中で、現象を見て、あると錯覚しているため、分離感の為、自分で自分を殺しているのである。自他一体、天地一体。色心不二。すべては1つの生命体なのである。

お釈迦様が云われている蓮の花の種は自分の中にある。自分の中に仏の種が蒔かれている。
自分自身が仏であり、宇宙法則のことである。現象を仏の心で生きるのではない。自分自身が仏であることを知ることである。念仏とは自分が仏であることを念じることなのです。
宇宙は霊の生命体であり、人間という仮相は万物の霊長であり、すべてが霊である。