2023年10月25日水曜日

一息が我なり 神なり


 一息は我なり 神なり

一息は原点なる我

一息は一なる生命なり



神の波動ー2


神の波動ー2

宇宙は1つなる波動。高バイブレーション波動である。中性である。これが創造の原理の波動であり、光りである。
この波動が様々な分子構造を持った質料形態に宿り、様々な形、姿、色、音等を現象化させている。
息も自らの心と書く。心臓の鼓動も神の波動を顕している。故に息という字を当てているのであると感じる。心は神である。神心である。
心音は自らの中で神の顕れを感じることの唯一の手段である。
すべては見えない波動が現象化している。常にこの観点から見えないものを感じ取って行く。
原因が結果を顕している。この観点から常に現象を見つめる。
神というイメージが長年、偶像を植え込みされてきたため、少し原因は掘り下げる今まで思っていた謎が解けてくる。
宇宙すべてが神なのに神をまつる社が本当に必要なのだろうか?
すべてが神なら自分も神ではないのか?
素直に考えるとすぐに答えが出てくる。余り現象の中に居ると気づかない。
敢えてそのようにさせられているのではないが?

この謎を解き鍵は誰が儲けているのかと考えると答えが出てくる。

 

2023年10月24日火曜日

現象界での人間の役割り


現象界での人間の役割り

宇宙は1つなる完全生命体である。
完全なる生命体の中で人間が地球のバランスを崩してしまっているのは、現象を見て現象を実在しているとの勘違いから起きている。
なくなるものへの執着から争い、対立が起きる。
現象をあると信じてしまうと生老病死の四苦に囚われてしまう。この世界を仮の宿、俗世、浮世と呼ぶ。本当の世界ではないということになる。
宇宙は完全なる無限生命である。すべてはここから始まっている。完全なるものの中に不完全は存在しないのである。現象は完全なるものの化身であり、見えるものと顕しているものは1つである。これを見えるものだけをあると思う心が分離になってしまう。
顕和しているものは完全であり、完全の化身であり、化身は消え行く存在であるが、完全なる顕しているものは消えることはないのである。
人間は実在しないが内なる神が宿っている。この内なる神に気づき、神のエネルギーを肉体を通して顕現する為に造られている神の道具である。
人間の現象に生きるは死であり、内なる神として生きる、生命として生きる。
人間は現象界から脱皮し、本来の我に戻り、使命を果たさなけれなならない。



心身一体とは


心身一体とは

大宇宙、人間小宇宙は同じ法則で動いている。
宇宙は1つなる生命体、中性である。
人間も中性である。心と肉体は別々のものではなく、2つで1つで動く。心と肉体が1体で動く。
現象肉体の能力を高めようと筋肉トレーニングを始めるが、心と肉体のバランスで力を使うことができる。宇宙は完全バランスであり、このバランスが力、知恵になる。
このバランスを取ろうとする時、自我からはバランスは取れない。自我という我を捨てた時、初めて無我になり、宇宙力が使える。人間の思考を停止させることで可能になる。
身体の動きも1つの動きである。真理は1つということを肉体の動きから感じとれる。
肥田式強健術は中心を作る動きであるが、すべての動きは1つの動きである。
中心なる意識で肉体を動かして行く。すべては内から外へ。中なる心と一体で動かす。

 

全知全能の力、知恵の引き出し方


全知全能の力、知恵の引き出し方

人間が最大の力を出せるものは、どんな人間なのか?
お金もいらない、地位もいらない、名誉もいらない、命もいらない。人間の固定観念の安全弁を外すことができる人である。
学んで身に付けるものではない。自我の持っているものは自分を守ろうとする為、神の力を使うことができない。
本来はすべて神の子なのであるが、現象の姿、形を見る為に自己保存の法則が働き、本来の持っている力、知恵が使えない。この現象界を生きる為に使う為にあるのではない。人間の媒体を使って全知全能の力、知恵を地上界に放射させるために人間の媒体は造られている。
人間が生きるために造られてはいないのである。すべて真逆なのである。
キリストが弟子を選ぶ時、教養にある者を選らばず、農民や漁民を選んだのは素直な心の持ち主を選らんのです。悟りに必要なのは純真なる心が必要不可欠なのである。
 

神の波動


神の波動

波動が伝わるということは時空間はないということになる。宇宙は1つと云うことになる。
宇宙は質料と光エネルギーの完全調和生命体。
これを原因なき原因とか、処女解任とか云っている。宇宙は中性であると云っているのである。

イエス様だけが処女解任ではない。万象万物はすべて処女解任である。髪の毛一本、処女解任である。創造のエネルギーのことである。
創造エネルギーの波動が神である。
宇宙にはこの神の波動が鳴り響いている。すべてが神の波動である。これを普遍生命、無限生命とも呼んでいる。
神には姿、形はない。中性の見えない波動である。これが全知全能の知恵、力である。

宇宙力である。1つなる生命エネルギーである。こ゚の生命波動がすべての万象万物を現象化させている。宇宙にはこの見えない完全調和の生命エネルギーのみが実在している。
永遠なる生命のなかに有限なる生命は存在しない。
原因、結果の法則から見ると謎が解けてくる。見えるものには必ずそれを顕すものがあると。
実にシンプルに考えるだけで答えが出てくる。素直さだけが必要である。
現象を自分と思っているものには現象が理解できないが、原因から憶念すればすごく簡単である。
 

自我と分離感


自我と分離感

宇宙は完全なる1つなる生命体。こ゚の生命体は見えないミクロの生命がマクロの現象を顕している。
人間はこのトリックに引っかかってしまっている。
完全なる中において死があると信じて宗教家に上納金を収めている。宇宙はすべてが神であり、仏なのである。神、仏とは宇宙の法則のことであり、キリストはこれを愛の法則と云い、仏陀は慈悲の法則と云われている。ブッダも宇宙即我と云われている。ブッダが中道と云われているのはこの法則のことである。すべては1つなる生命である。
人間は1つのものを分離し、現象をあると思い違いをし、自縛している。1つなる神の生命体の中で、人間をやっている。
完全の中に争いも対立も存在しないのである。見えるものは見えない宇宙の本源本質の顕れであることを理解して行く。神1元の中にいるものはすべて神であり、仏である。砂浜の砂1粒、石1つも神である。人間という自分を持ってはならないのである。無我なのであるから。