2023年11月8日水曜日

すべての見えるものは見えない波動が顕している。

 


すべての見えるものは見えない波動が顕している。

宇宙に実在しているのは無形無双の生命のみが実在している。この無形無双のが全知全能の力であり、知恵である。創造の原理である。
空の世界が本当の我であり、これは知識では学ぶことはできない。実感して行く。
見えない生命エネルギーが宇宙の本源本質が本体である。見えるものは本体ではない。
宇宙は霊界であり、光の霊体である。
宇宙はこの1つなる完全バランス、これが我であり、神、仏である。宇宙法則そのものが神であり、仏である。すべてのすべてありてあるもの。これが生命であり、中心生命が宇宙生命であり宇宙波動である。宇宙に遍満する微振動が生命であり、我である。
肉体を顕している無形無双の生命が我であることを実感して行く。



2023年11月7日火曜日

1つなる生命体の中に争いはない


1つなる生命体の中に争いはない

人類は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊である。
本源本質は霊が形を止っているだけである。
形をあると信じ、同じ生命によって霊が現象化しているもの同士が争いを起こしている。
1つの生命の中で争いを繰り広げている。
これって滑稽ですよね。
本来、宗教って争いをするために造られたものなのか?
幸せになる為に宗教があると思うのだけれど。宗教よりも人類は先に造られている。
人類は1つの生命によって現象化している。白人も黄色人も黒人も1つの生命の顕われなのである。同じ息を吸って1つなる生命が生きている。生きているのは姿、形ではない。
生命が環境に応じて肌の色が変化しているだけで、白人も黄色人種も黒人も1つの生命、宇宙生命体であって1つの生命体である。争いのない世界そのものが生命であり、自分なのである。
無形無双の形を持たない我が本当の自分なのである。法則そのものが我である。

 

人類は宇宙法則違反で生きている


宇宙法則の本源本質は天である

天は空であり、気体である。これが宇宙の高生命バイブレーションである。
高微振動である。中性なる微振動である。これが見えない神であり仏である。無形無双の生命体である。天地一体、愛の法則である。
人間は仮相であり、実在はしていない。
人間も居て神もいることは無限生命の中にあり得ない。人間は外なる現象を認めるが故に迷い道から抜け出せないでいる。
人間に生きてしまうと地球をアンバランスを崩してしまうことに気づかななければならない。
すべては1つである。天一元、すべては1つであり、実在しているのは神のみが実在している。様々な形態は顕れているが、1つなる生命が顕しているだけである。
1つの中で争いがあるということは人類は神との分離感を持ち、神への法則違反で生きているということである。

 

生命波動


生命波動

宇宙は無形無双の生命波動。これが宇宙の生命体。永遠なる中性なる生命体。宇宙は生命の波動で鳴り響いている。
この生命波動が質料に宿り、質料を通して生命が生きている。すべては生命波動が様々な形態を顕し、生命が形を通して顕れている。
無形無双の生命波動が質料を通して現象化している。本当の我は無我の生命波動であり、姿、形ではない。姿、形は幻想である。幻想を顕しているのは無形無双の生命波動である。
姿、形は生命が質料が宿り、現象として見えるものになっている。
原因、結果は1つである。原因が本源本質であり、現象に原因が宿り、顕れ形となっている。
形は変化するが、原因は不変不動であり。永遠なる生命波動、神である。

 

肉体は神の御心を顕す表現体


肉体は神の御心を顕す表現体

神は生命体。全知全能の力、知恵、創造の原理。
神は見ることはできない。何かの媒体を使って現わさない限り。肉体は神を表現する為の媒体である。
今、人類は未だ善悪の木の実を食べ続けている。
何故、善悪の木の実を食べ続けている?
善悪の木の実と云うのは実在しない現象をあると錯覚する心である。分離感である。この分離感は対立、抗争を生み出してしまう。
人間は現象を信じているため、善悪の木の実から抜け出すことはできない。
この善悪の木の実から抜け出すにはどうするか?
善悪の木の実というのは見える現象があると思う心であり、意識波動が上がれば善悪の木の実を食べることはなくなる。意識を現象の人間意識から生命意識に切り替えをする。
これだけで善悪の木の実を食べなくても済む。爭い、対立、戦争を防ぐにはお金はかからないのである。
21世紀は原因、結果の法則の1つなる世界。生命の争いのない世界になって行きます。


 

我は原因なる我


我は原因なる我

宇宙は1つなる霊体である。人間は万物の霊長と云われるように見えるもの、見えないものすべて霊である。見えるものも霊なのであるがそれを物質と名付けている。すべて1つの霊体である。
この宇宙霊は全知全能の力、知恵であり、創造の原理である。こ゚の生命体が1つなる宇宙生命霊である。こ゚の生命が様々な形態を顕し、その中に霊が宿って働いている。
見えるものがあるのではなく、見えない生命が肉体を通して働いている。
現象肉体をキリストは乗り馬と云い、仏陀は乗り船と云われている。
宇宙には1つなる霊、1つなる神、1つなる仏、1つなる宇宙のみが実在している。
見えるものは生命の化身である。宇宙は見えないものも霊、見えるものも霊なのである。
すべてが霊でなければ意識を使うことはできない。神意識、想念意識、意識は創造の原理意識である。姿、形は霊が形を止っているだけなのである。水蒸気が雲の形を顕しているように。



 

2023年11月6日月曜日

キリストとは法則のことである


キリストとは法則のことである

宇宙には1つなる法則以外何も存在しない。
キリスト、仏陀とは法則のことであり、姿、形ではない。形に手を合わせているのは偶像崇拝である。
すべてが法則の中にあり、神、仏を祀るものではない。すべての中にキリスト、仏陀が存在しているのである。宇宙そのものがキリスト、仏陀である。
宇宙は1つなる無形無双の霊であり、姿、形を持たない。現象を持たない。
宇宙の現象は生命、キリスト、仏陀、法則の顕われである。
現象を崇め立てているものは神を知らないものである。
神、仏は形を持たない無形無双の宇宙生命体である。宇宙には生命は1つしか実在しない。
宇宙の中に神を祀ることはできない。宇宙そのものが神なのであるから。
1つの中に対立、争いは存在しない。争い、対立するものは神を知らない、自分も知らないということになる。現象を認めるものは原点には帰ることはできない。
すべて天から降りて来ているのに現象の波動の低い状態では高波動の原点には戻ることはできない。生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと云われているのはこの意味である。