万象万物、見えるものは現象である、無形無双の生命の結果として生命が宿り、現象として顕している。
宇宙は無形無双の生命、神が本源本質であり、この本源本質が様々な波動環境において形態を造り、生命活動をしている。
無形無双の原因は見えない生命は見える質料媒体を自ら造り、媒体を通して働いている。
見えるものが生きているように見えるが、実際は見えない生命が見える質料を通して顕れている。知恵、力は生命の御業である。
宇宙は1つなる生命体、1つなる生命の中に見えるものと見えないものは存在しない。
1つの中において2つは存在しないことは小学生でも判ることである。大人は難しく考えてしまう。
すべての真理は1つであり、1つの真理から紐解くとすべてが紐解ける。
原因は1つ、結果は1つの顕われ、見えるものは現象であり、1つのものが顕していることが理解できる。無限生命、不変生命真理から紐解くことですべてが紐解けてくる。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2023年11月15日水曜日
原因は裡にあり
神と現象
宇宙は1つなる神のみが独存する。
万象万物は1つなる神の現象である。現象は神の化身であり、2つで1つである。色心不二である。
神によって造られた被造物に囚われるとバランスを失う為、生老病死の四苦に惑わされてしまう。
常に中心バランスを失わわずに生きなければならない。現象は内なる中心生命によって形態が維持されている。中心バランスを失うと現象の変化して止まない生老病死の四苦に持て遊ばれてしまう。
もし、持て遊ばれていると気づいた時。中心なる神を意識することで、現象が過ぎ去ることを確認して見る。
中心なる神は全知全能であり、この内なる全知全能の我を意識して行くことで、本当の自分に気づいて行く。肉体現象からの判断から、内なる空からの判断に切り替えて行く。
本当の我、空に気づいて行く。
2023年11月10日金曜日
見えるものから見えないものへの切り替え
真理は1つ。真理は見えない。真理の顕われが現象になる。原因、結果法則である。宇宙の真理である。
この真理が宇宙の永遠なる真理である。生命の真理である。
人類はこの宇宙の真理に背き、神への背任行為をし、天変地異を繰り返して来た。
善悪の木の実というのは神への反逆行為である。人間は神への反逆行為をしながら、神に助けて下さいと物乞いをしてきた。
完全の中で不完全を造り出していることが、善悪の木の実を食べるということである。
宇宙は善のみの神の世界なのである。
原因、結果の法則を結果で結果を顕そうとすると完全バランスをアンバランスにしてしまう。
物質中心のアンバランスの世界を創り出してしまうのである。
原因から結果を導き出せばアンバランスにはならない。自然界は原因、結果の法則に従っている。人間は万物の霊長と云いながら、動植物以下の醜い生き方をしている。
これから天変地異を繰り返さない為にも原因、結果の法則を犯してはならないのである。
原因は見えない。結果は見える現象。結果から結果を出す方法は神への反逆であり、神の中に住むものは絶対に行ってはならない行為である。
すべては1つ 真理は1つ
宇宙真理は1つ。2つあるということは真理ではない。キリスト教、仏教に幾つの宗派がありますか?
すべてが1つでなければ間違いであるということです。
1つのものから紐解くと迷い道には入ることはない。
宇宙そのものが真理であり、真理は自分自身そのものが真理であることに気づくことである。人間という結果の仮相は真理によって創造されている。創造されたものの中に必ず真理が宿っている。この真理は汝の手より足よりも近い所にあるとキリストも云われている。
宇宙は永遠なる生命体、フリーエネルギー体であり、他からエネルギーを調達することはない。生命エネルギーそのものが真理であり、我である。生命エネルギーを放射させる為にこの肉体媒体を自ら創造している。この肉体は生命エネルギーの道具であり、神の器である。
神は無所得であり、この世で豊かな生活をするために現象化しているのではないのである。
真理に生きるとは生命に生きるということになる。キリストの生命のパンで生きる。
五感ではなく、直感で生きる。
神が完全であるが如く そなたたちも完全であれと
宇宙は神であり、神は完全なるもの。人間も完全なるものの中に存在しているのである。
姿、形が現象化しているということは完全なる中に存在している証なのである。
この完全なる中に居るのに現象を見てしまう為、不完全であると思ってしまっている。
現象は神の生命エネルギーを放射する為に造られた神の顕現道具であり、これを自分と錯覚してしまう為、生老病死の四苦に悩まされてしまう。完全とは永遠という意味である。外なる現象の顕現道具は消え行く存在であり、これがあると思う心が自分を苦しめている。
宇宙は完全なる1つなる生命体である。宇宙に死は存在しないのである。不増不減。不生不滅の不変不動の中性なる生命体である。
すべて完璧の中で無形無双の生命が生きているのである。
不完全にしているのは自分自身であることに気づく。すべての真理は1つなのである。
神であり、仏陀であるということである。
お釈迦様はこの世の生老病死は迷妄であることを中道という形で示された。これが弟子たちには理解できなかった。真理は無形無双の生命バイブレーションであり、この真理は知識では理解することはできない。直感啓示で実感するしかないものであるから。
水は上から下へ流れる
宇宙真理は1つである。1つなる真理が様々な果相現象を顕している。
真理は本源本質である。宇宙の1つなる真理がすべての原点である。天地一体。天が原点であり、地は現象である。天と地は1つである。見えるもの、見えないものは2つで1つである。
原因があって結果があるのであって結果があって原因があることはない。
水は上から下へ流れるのであって下から上には流れることはない。
現象である人間は下から上に水を流そうとするため、法則違反を犯して自らを自縛している。
結果人間が神によって造られた神の表現媒体を使って何かをしようとする。表現媒体は神の全知全能の力、知恵を顕す媒体として造られている。結果人間がこれを逆に使う為、バランスを崩し、自縛してしまっている。
創始者は能動原理、2代目は受動原理
キリスト、仏陀は自ら悟りを得たが、弟子たちはキリスト、仏陀を自分自身に求めず、外に求めてしまう。これが創始者の意志を受け継げない理由である。引き継ぐのは見えるものではなく、真理である。真理は1つである。この内在する真理をどうしても外に求めてしまう。「キリストがこのように云っているとか、お釈迦様がこのように云っているとか、経典にこのように書いてあるとか
、外なる知識に頼って真理を知ろうとしてしまう。その為の解釈が異なり、沢山の宗派ができ、私の宗派が一番正しいとなってしまう。真理は1つであり、その真理は自分の内にあることを忘れてしまう。お釈迦様は1人なのに沢山の解釈ができ、様々な仏教ができてくる。
会社でも同じである。すべて1代限りですね。
真理を求める方は自分の中に先生を求めなければ求めることはできない。外なる先生は内なる真理に気づく為のアドバイザーでしかなのである。
すべては自分の中にある。青い鳥である。
汝の神は汝の内にあり。汝の仏は汝の内にあり。
外に真理を求めれば求める程真理から離れて行く。知識は人の為ならずである。
神は外にはいない。汝の内に神はいる。仏は外にはいない。汝の内にいるのである。