2023年11月23日木曜日

現象はバイブレーションの変化


現象はバイブレーションの変化

見える現象は低バイブレーションの為に起きる現象である。現象をあると信じるとその波動になってしまう。想っている波動に同調されてしまう。
その波動を認めるとその波動になってしまう。
この現象は高波動の生命波動が現象化しているのである。造り主は高波動、造られたものは低波動、低波動が故に現象化しているのである。高波動であれば現象化することはないのである。
宇宙の万象万物は高バイブレーションなる波動が万象万物を造っている。
現象だけを見て現象があると思う心が現象の波動同調し、これに囚われ、自分で自分を縛ってしまう。
本来の我は空の高波動なのである。本来の我は現象の低波動の見えるものではない。内なる高波動の空が我である。

 

2023年11月22日水曜日

現象というサタン


現象というサタン

サタンが別におり、サタンに憑りつかれることではない。サタンは存在しない。自分が創り出す迷妄なのである。この世は霊界であり、意識の世界である。意識によって生み出すことのできる世界である。
良いことを想えば良いことが顕れる。悪いことを想えば悪いことが顕れる世界である。
サタンに囚われるのは見える現象をあると思う心が造り出す。現象の動く形があると信じることで、自分が創り出す迷妄なのである。この現象は神の働く場であり、神の器なのである。
動くが故、あると信じ、これに囚われてしまう。これがサタンである。
サタンは自分自身の心が造り出す。現象は生命が外なる現象を通して生命活動をしているだけなのである。
これは外なる現象を見てあると信じる心が波動を下げてしまったために起きる現象である。
外なるものは内なる生命の顕す場である、我は内なる生命が我であって外なる姿、形が我ではないのである。外なる姿、形が自分と思ってしまうとこれに囚われ自縛しててしまう。
サタンはいないのである。
生老病死も現象なのである。あるのは永遠なる生命のみが実在している。
 

全体から見るのか?部分から見るのか?


 全体から見るのか?部分から見るのか?

宇宙は全体で1つであり、その中に小我の我が存在する。小我の我は全我の我によって造られ小我の中に全我が宿っている。
全我が小我を造っているのなら小我は全我であり、全我は小我である。すべては全我の中の顕れである。我は全我であり。小我である。
すべては1つなる生命の化身が小我なる中に宿る全我なる我である。
この小我である現象を自分と見てしまうと内なる生命を見失うことになる。
小我は全我の顕れである。全我が小我を顕している。
小我の部分的な衣装を自分と見てしまうと現象に流されてしまう。内なる全我なる生命からものを見る。


内は天 外は地


内は天 外は地

天が我を造り、我の形態の中に天が宿り、天が現象肉体を顕し、働いている。
内は天、外は地であり、内と外は1つである。
天地一体である。
内は高波動で見えないもの、外は低波動で見えるもの。内なるものが外なるものを顕している。

外だけの見えるものだけが存在することはない、内なくして外はない。内なるものが外なるものを顕している。内なくして外はない。
内は愛なり 外も愛なりである。愛により現象化している。
宇宙は愛の法則によって現象化し、現象という形を通して生命を顕している。
大宇宙は小宇宙であり、小宇宙は大宇宙である。1つなる法則、完全バランスが生命であり、宇宙は永遠なる完全なる生命活動をしている。
 

無限生命 普遍生命


無限生命 普遍生命

すべては1つであり、区切りがない1つの生命体である。
宇宙は1つ。宇宙は1つなる生命であり。天の中に島宇宙があり、島宇宙の中に銀河系宇宙があり、銀河系宇宙の中に太陽系宇宙があり、太陽系宇宙のなかに地球があり、その中に人間という現象体がが存在している。この生命体は1つの宇宙生命体であるということである。1つの生命体の中に様々な形態が顕わてている。これらの現象を顕しているものはすべて1つなる生命であるということになる。
この無限大の生命体の中に万象万物が現象化している。1つの大生命の中に顕れている。宇宙生命が本体であり、その中に様々な形の衣装をつけた生命の化身が顕れている。
宇宙には1つなる生命が多神を顕している。見えるものがあるのではなく、見えない生命が見えるものを顕している。見えない生命は見える衣装を着けているだけである。
宇宙は愛の生命体、中性なる生命体、無限なる生命体、普遍なる生命体。見えない1つなる生命体が実在しているだけである。これを神、仏と呼んでいる。すべては1つ。すべてが神、仏なら、我も神、仏ということになる。すべては1つの宇宙生命体が実在しているだけである。
人間も見えない宇宙生命体が形を止っているだけなのである。

 

生命とは


生命とは

宇宙生命とは生命エネルギーのことであり、すべてはエネルギーのことである。この生命エネルギーが様々な形態を造り。その中に表裏一体で宿って形態を動かしている。
聖書に書かれているように
「すべてのすべてありてあるもの」が神、生命エネルギーである。こ゚の生命エネルギー、中性エネルギーのことを生命、神、仏という名で呼んでいる。宇宙そのものが神、仏なのである。
すべてエネルギー
固体エネルギーは固体はエネルギーであると。液体エネルギー、気体エネルギー。万象万物は生命エネルギーが形を止ったものである。すべては1つの生命エネルギーの化身である。
1つの中には分離するものはない。争いも対立もない。対立があるというのは分離感でものを見ていることになる。戦争を起こしているということは神への反逆行為であると云わざるを得ません。

神への反逆とは自分への反逆である。神なる我が反逆を起こすということは完全なる自分を不完全にしてしまうため、波動を上げることができず、本来の高波動の我に戻るまで再生されてしまう。この現象界で本当の自分に気づき、生命の我に気づく。その為の現象界である。
完全なる生命に対してアンバランスにすることは反逆行為であり、自分で犯した罪は自分で報わなければならない。自己責任である。自分で直さなければならない。誰も手を貸すことはできない。心の問題だからである。罪とは人間同士の罪ではない。神との契約違反のことであり、自分自身だからなのである。自分の悔い改めなのである。自分で犯した罪は自分で償う。神である我が、人間として生きた罪は自分で償う。
肉に生きるは死。生命に生きるは永遠。

 

天地一体とは


天地一体とは

天は生命、地は現象。天地一体。1つのものである。見えないものが見えるものを顕している。顕すものがなければ顕れることはない。
宇宙は1つなる生命体であり、生命とは絶対バランスであり、愛の法則である。見えないものもバランス。見えるものもバランス。すべてはバランス。1つなる生命は永遠なる完全バランス。永遠なるバランスの中に万象万物が現象化している。現象は完全バランスが故、現象を顕している。完全の中に居るのだから、すべては完全である。完全の中に有限は存在しないのである。すべては1つである。様々な形態があるということは現象であり、消えれば元の状態に戻る。故に見えるものは有限なのかと納得できる。
別々にあるということは1つの生命ではなくなる。永遠とは永遠に無くならないものを指す。有限な消え行く現象界には本物はないということである。
本物というのは永遠に消えることのないものを指す。現象の中には1つとして消えないものはない。現象は消えないものによって現象化している。現象から現象を造ることはできない。
故に天地一体であり。実在しているのは天のみが独存している。生命のみが独存している。
現象があると思うことは天地二体になるというこである。この世に自分という姿、形は存在しない。生命の顕す媒体があるだけである。