2023年11月28日火曜日

宇宙は1つなる霊体である 我も霊なり


宇宙は1つなる霊体である 我も霊なり

人間は万物の霊長である。万物はすべて霊の化身である。すべてのすべてありてあるものは霊であり、気体である。宇宙は1つなる霊体である。
プロフェクトバランス、完全バランス、完全調和、陰陽の法則、宇宙は永遠なる中性なる生命体である。
1つなる生命の中の現象として見えるものは存在しない。故に1つの気体の顕れということになる。
万象万物はすべて現象である。霊の現象であることが理解できる。見えるものと見えないものの違いはバイブレーションの違いである。
鉱物、植物、動物には自由意志は与えられてはいないが、人間にだけ自由意志が与えられている。この自由意志は神の生命エネルギーを顕現する為に使うように与えられているが、これを現象の果相に使ってしまった為に現象の実在しない生老病死の四苦に囚われている。
宇宙には1つなる霊、生命の気体エネルギーが存在するだけであるが、現象が存在すると意識してしまったためにこの四苦に惑わされている。
現象は細胞体の集合化したもので、低波動になっている。これを意識するとこの波動に同調してしまう。本来は気体波動なのであるが、意識することでその波動になってしまう。
宇宙は意識界であり、想ったことが顕れる世界である。良いことも悪いことも顕れる世界。
下げてしまった波動のことをカルマと云い、このカルマの刈り取りは自分で下げてしまったものは自分で上げ上げる為の意味である。神様、助けて下さいと叫んでも助けることはできない。自分の意識の問題だから、他人が肩代わりはできないのである。
我は霊であり、姿、形の現象ではない。宇宙には神一元であり、宇宙そのものが神である。
すべて神の中に住んでいる神である。髪の毛一本、すべてが神であるということである。
神は特別な存在ではなく、すべてのすべてありてあるものである。仏も1つなる生命体を顕す意味である。1つしかないのであるから。神、仏という呼び名の他に波動、バイブレーション(バイブル)生命、大霊、霊光、大気、空と様々な云い方で見えない法則を顕している。

 

2023年11月27日月曜日

原因は神 現象は人間


原因は神 結果は人間

宇宙で太陽系惑星の地球に現象化している人間が本当の我を知らず、我物顔で地球を荒しまわっている。宇宙はバランスで生命活動をしている。
地上界に現象している人間は実在していないことに気づかず、自分が一番偉いと思い込み、この消え行く世界に君臨しているが、現象であるため、消えてしまう存在なのである。
本来の我は永遠なる生命体であり、この世に本来は現象化することはない。
この世に現象化された人間の中に蒔かれた神の種が我であり、この神の種を発芽させ、華を咲かせ、本来の我に帰って行くための現象界なのである。本来の我は愛なのである。
この現象を実在と見てしまうと現象に囚われ、自縛し、愛のバランスから離れてしまう。
この果相界で人間は生命エネルギーを無所得でこの地上界に愛を放射させる為の世界である。
その為に造られ,自由意志を持った人間という神の道具なのである。人間は神の道具であり、実在はしていないのである。実在しているのは人間を顕して居る生命、神なのである。
神様が別にいるのではないのです。生命が神であり、神は我が中に実在している。生命が肉体を顕している。神を外に求めると使われるものになりバランスを失う。神である自分が奴隷になってしまう。これがモーゼの十戒である。あの映画は自分の邪な心のことを奴隷と云っているのである。自分で自分を奴隷にしている。現象に生きることが奴隷の生活なのである。
神なる我、神我が我である。宇宙は1つなる生命だけが実在している。すべてが神なのである。







 

2023年11月26日日曜日

現象はバランスで現象化している


現象はバランスで現象化している

宇宙は中性なる生命エネルギー体である。
生命エネルギーは中性である。愛のエネルギーである。この絶対バランンスが宇宙生命体の本源本質である。これがすべてのすべてありてあるものである。人類1人、1人がこの現象の正体を知り、善悪の木の実を食べて波動を下げてしまった事実を理解し、自分で下げた波動は自分で上げなければならない。モノなら上げることはできるが、意識の問題は自分で直さねければならない。自己責任である。
争いは分離感から起きるため、1人、1人がこれに気づくことで争いはなくなる。分離感の中には争いはあるが、1つの中には争いはないのである。
1つの生命を分離感を持ってしまった意識を1つ目の意識に戻すことで、この現象界がら抜け出し、華を咲かせることで、人間界には生まれてはこなくなる。
今、人間が現象化しているということはまだ物質意識であり、波動が低いということで戻されたということである。アンバランスであるということである。物質を意識すればするほど重たくなり、空には戻れないということである。


 

2023年11月25日土曜日

人間は現象であるが故 消え行く存在なのである


人間は現象であるが故 消え行く存在なのである

人間は実在していると勘違いをしている。
人間は見えない生命の現象、働く場なのである。
現象は人間は造ったのではなく、生命によって造られている。造られたものだど知らず、自分と思って生きている。見えるものは見えない生命によって造られていることに知らない。
宇宙は1つなる生命のみが独存する。1つなる生命によって万象万物が現象化している。
原因、結果の法則である。人間というのは形に名前を付けただけである。人間は最初から存在はしていない。形に名前を付けただけなのである。動物、植物の名前も同じである。
見えるものはすべて現象である。現象は消えて行く存在なのです。実在するものは消えることはない。人間という名の現象をこれを自分と思い違いをして現象の消えるものに囚われてしまっている。一番大きいのは生老病死である。人間が生きていると思うからこの四苦に悩まされてしまう。この生老病死からの迷いから解放するには今の人間意識から波動を上げることで解放させることができる。意識の切り替えで可能である。
イエス様、お釈迦様はこの事を伝える為に現象界に降りて来られた。残念ながら、これを伝えるものが現れなかった。宇宙は1つなる生命体であり、善のみの世界、善悪の分離感の世界ではない。善悪は人間の果相が造り出す迷妄であることに気づかなければならない。
1人、1人は神の子であり、宇宙そのものは神なのです。神は外には居ないのである。
神は自分の中にいるのです。騙されないで下さい。私はあなたのお母さんですよとオオカミに騙されてはなりません。


 

すべてのすべては神である


すべてのすべては神である

すべてのすべては神である。1つなる生命、神である。神のみが実在している。これが大宇宙である。
大宇宙の中にある小宇宙も神である。髪の毛1本も、神である。すべてのすべてありてあるものは神である。宇宙生命である。
人類も様々な人種がいるがすべて神の顕れなのである。人間は存在しないのである。
人類は現象面だけを見てしまう為、分離感を起こし、1つの生命からすべての現象が起きている同じものに優劣をつけている。現象だけを見て分離感を持つものは本来の我に戻ることはできない。大統領であり、首相であり地獄から這い上がることはできない。
イエスが云われるように「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」ということになる。
すべては1つであることを理解した時、人間という現象から離脱する自由意志が与えられている。
この世で幾ら財を残しても死んでは持って行けない。現象で使う道具なのである。道具はすべて霊であり、大切に貯めようとしているお金も霊なのである。
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如しとキリストが云われている。
本来の我は気体であり、固体波動では天国の気体波動には重すぎて戻れない。
この現象界で気体波動を上げて行く。日常の身口意において実感して行く。



 

人間は生命の現象であり。果相である

 

人間は生命の現象であり。果相である

宇宙は永遠なる1つなる生命体であり、この中で万象万物は生命の働く場として顕れている。すべては1つの生命体である。
何故、1つの生命の中で現象に生きてはならないのか?
現象は消え行く存在であり、現象を造っている本源本質は永遠なる生命である。現象に生きてしまうと消え行くものに生きることになる。
本来の我は現象界に無限大の生命エネルギーを受けて流す使命を持って現象化しているのである。この現象界で生きるということは本来の使命を果たさないで、放蕩息子のように生きるようなものである。生命の自覚を持って現象界に生命エネルギーを放射させる。神と1体となり、放射させる。このために人間という姿、形の中に神の種、光の種が蒔かれている。
与えられている自由意志を間違って使ってしまっている。人間は生命の働く宮である。神の宮である。どのように使おうと自由意志を犯すことはできないのである。



2023年11月24日金曜日

生命と現象


生命と現象

生命と現象は原因、結果の法則である。見えるものは必ずそれを顕わすものが存在する。
現象が存在しているが、これは実在しない果相であり、幻、幻想である。
現象が何ぜあるのかというと生命が無限大の生命を現象を通して流す為に現象が一時的に顕れているに過ぎない。生命の循環である。
人間は万物の霊長である。現象化しているものは物質ではなく、霊が形を止っているだけである。人間を霊が止まると書く。(霊止でヒトと読ませる)
宇宙は1つなる生命体が実在している。これ以外何もない。生命と現象は2つで1つなのである。
現象に生きる人間は見える現象だけを見る為、幻想の生老病死の四苦に憑りつかれる。
今の宗教家はこの四苦を少しでも少なくしようと頑張っている。悩み相談所になっている。
イエスが云われるように肉に生きるは死と云われている。現象に生き、死ぬものはまた生まれ、何度でも再生させられると。