宇宙で太陽系惑星の地球に現象化している人間が本当の我を知らず、我物顔で地球を荒しまわっている。宇宙はバランスで生命活動をしている。
地上界に現象している人間は実在していないことに気づかず、自分が一番偉いと思い込み、この消え行く世界に君臨しているが、現象であるため、消えてしまう存在なのである。
本来の我は永遠なる生命体であり、この世に本来は現象化することはない。
この世に現象化された人間の中に蒔かれた神の種が我であり、この神の種を発芽させ、華を咲かせ、本来の我に帰って行くための現象界なのである。本来の我は愛なのである。
地上界に現象している人間は実在していないことに気づかず、自分が一番偉いと思い込み、この消え行く世界に君臨しているが、現象であるため、消えてしまう存在なのである。
本来の我は永遠なる生命体であり、この世に本来は現象化することはない。
この世に現象化された人間の中に蒔かれた神の種が我であり、この神の種を発芽させ、華を咲かせ、本来の我に帰って行くための現象界なのである。本来の我は愛なのである。
この現象を実在と見てしまうと現象に囚われ、自縛し、愛のバランスから離れてしまう。
この果相界で人間は生命エネルギーを無所得でこの地上界に愛を放射させる為の世界である。
この果相界で人間は生命エネルギーを無所得でこの地上界に愛を放射させる為の世界である。
その為に造られ,自由意志を持った人間という神の道具なのである。人間は神の道具であり、実在はしていないのである。実在しているのは人間を顕して居る生命、神なのである。
神様が別にいるのではないのです。生命が神であり、神は我が中に実在している。生命が肉体を顕している。神を外に求めると使われるものになりバランスを失う。神である自分が奴隷になってしまう。これがモーゼの十戒である。あの映画は自分の邪な心のことを奴隷と云っているのである。自分で自分を奴隷にしている。現象に生きることが奴隷の生活なのである。
神なる我、神我が我である。宇宙は1つなる生命だけが実在している。すべてが神なのである。
神なる我、神我が我である。宇宙は1つなる生命だけが実在している。すべてが神なのである。