宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に区切りは存在しない。普遍である。普遍の中に見えるのはバイブレーションの低い方から見るから見えないだけで高バイブレーションの方から見れば見える。自分の立ち位置で見えるものが違ってくる。
会社であれば。社長の見る位置、部長の見る位置、平社員の見る位置、自分の立つ位置ポジションによって見えるものが変わる。社長は会社全体が見得るが、平社員は目先の仕事しか見えない。社長は平社員との誓いは意識の違いである。最初から企業をする人は意識の違いである。意識の持ち方で即、社長にもなれるし、平社員にもなれる。意識次第で何にでもなれる。
内なる思いが具現してくる。「想念は実現の母」である。
人間は意識の持ち方で自由に物事を具現することができる。人間は神の化身を神によって造られている。神の想念によって全知全能の知恵、力を引き出す。その為に造られた神の被造物なのである。
神と被造物は2つで1つである。顕すものがなければ神は表現することはできない。
人間は神の働く道具であり。働く器である。すべて神のもの。見えるものは神の顕現道具であり、人間は神によって造られた神の道具を自分と勘違いをしているだけなのである。人間は形の名前で存在していないのである。勝手に人間と思っているに過ぎない。
人間と思っていることは神への反逆行為なのである。
本来の我は観自在、無碍自在の自由なる空である。人間という枠を外さないと元の自分に戻ることはできない。すべては意識の状態である。今、何を意識しているかが今の自分の位置ポジションである。それ以上、以下でもない。その意識の状態が天国か地獄かを決めているだけである。この現象界は地獄ということになる。自分も人間という枠に自らを閉じ込めているのであるが。