今まで神は人間とは別の存在と思っておりましたが、宇宙は1つなる生命だけが実在している。
宇宙の外に神がいるのだろうか?
キリストは「すべてのすべてありてあるもの」が神であると。
宇宙そのものが神であるということを云われている。
神というのは宇宙そのものが神であるということを云われているのであって人間の他に神は存在しないのである。見えるもの、見えないものすべて神、我も神ということになる。
宇宙は陰陽の法則により、様々な形態が造られ、生命活動をしている生命体。これが神なのである。すべてが神なのである。神を祀りたてる宗教は神を理解できない宗教であると云うことになる。祠を祀って神を崇拝しているが、宇宙そのものが神であり祀りようがない。
ままごと遊びに見える。神は自分自身であり、すべてが神であることを理解することが必要になる。
何故こんなことを云うのかというとすべては1つなる生命体であり、神を外に求めてしまうと分離感で争い、対立を起こしてしまうからである。同じ生命体の中で、殺し合いをしている。
人間は万物の霊長であると云われているが、情けないことに万物の霊長の意味が理解出来ていない。すべてが霊なのである、霊には区切りはない。生命には区切りがないのである。
見えないものが見えるものを顕している。原因、結果の法則で宇宙は成り立っている。
今までこの見えない生命を神と云い、仏と云っている。
見えるものだけを見て分離感でものを見る為に争い、対立を起こしていたのである。何で馬鹿なことをしてきたのだろうか?1つのものを分離して見る為、争いを繰り返して来てしまっていたことに気づかなかった。
これから外なる見えるものは果相であり、本当の我は見えない生命の我であることに気づいて行かなければならない。キリストは生命のパンを食しなさいと云われているが、このイエスの云われた生命のパンに気づくことができなかった。キリストに申し訳ない。生命を理解すれば分離感はなくなる。宗教戦争もなくなる。
分離感のために争いが生じる。神と現象は1つのものであることを理解しなければならない。
1つであることが理解できればこの現象界には生まれることはなくなる。
理解できるまで、現象界に戻される。これを輪廻と云っている。輪廻は実在しない。キリスト教は輪廻を認めない。輪廻は現象界、果相界にあるにだから。神の世界には輪廻は存在しない。宇宙は普遍不動の生命界であり、生命界は無形無双であり、生まれ変わりはないのである。イエスは輪廻を認めない。ブッダが輪廻を認めているのだとしたら、その現象意識に居るということになる。でも宇宙即我とも云われている。もし現象界から離れたのにあれば肉体を残したのであろうか?疑問である。本当のことは解らない。波動を上げ、ブッタに聞くしかない。