2024年2月4日日曜日

意識は1つ 宇宙意識があるのみ


意識は1つ 宇宙意識があるのみ

宇宙は1つなる生命体である。1つなる意識である。
1つの中に善悪はない。永遠なる善のみがあるだけである。善悪があるのは現象界の出来事である。
永遠なる生命意識があるだけである。
人類が善悪の中に居るということは神の善の世界から離れ、悪という存在しない邪念は見えるものを意識したために自ら創り出した迷妄に囚われたということになる。
それが人類の犯した罪であり、罪とは宇宙の法則違反のことである。
法則を犯しておいてその罪を認めない。まだまだ幼児期な人類であるということである。
宇宙は1つなる完全なる永遠なる宇宙生命体である。すべての万象万物はこの永遠なる生命の中で現象化されている。人類は宇宙生命が現象している姿、形である。それを自分が生きていると勘違いをしている。これは大きな宇宙法則違反であり、分離感である。
現象界で様々な神を祀り、自分の神が一番正しいと信じている。
宇宙は1つの生命体である。神とは生命のことであり、神とは自分自身の中にいる生命が神なのである。
これから人類は全てが1つの生命の顕われが、五十数億の人類を現象として顕されていることことに気づかなければならない時期に来ていると思う。
宗教が争う次期は過ぎました。
現象の宗教は21世紀には存在しない。これから新しい時代が来ることになる。
天国には宗教は存在しない。宗教は地獄界にしか存在しないのである。
宇宙の無形無双の1つなる神の世界に地獄は存在しない。永遠なる平安なる天国だけが存在する。
地獄は人類が勝手に作り出した世界。善悪は人類が勝手につくり出した迷妄世界なのである。宇宙は1つなる善のみの久遠常在のとこしえの世界、1つなる意識の世界である。


 

2024年2月3日土曜日

人間は何のために存在しているのか


人間は何のために存在しているのか

宇宙は1つなる生命体である。現象が顕れているということはその現象が意味を持っている。
鉱物、植物、動物にもお役目がある。人間にも現象としてのお役目がある。
人間は神に似せて造られている。神の能力が与えられている。自由意志である。人間は万物の霊長と云われ。様々な霊の長である。
人間に与えられている使命は何なのか?
この地上界で人間が豊かに生きるためなのか?
人間が生きるために現象界が造られているのか?
宇宙は完全なる生命体である、神を完全である。人間は神に似せて造られているということは完全に造られているということである。完全な生き方をしなければならないということである。
使命とは命の使いと書く。生命は神であり。神の使いなのである。
神は生命エネルギーであり、こ゚の生命エネルギーを人間という媒体を使い、顕現する為に造られているということになる。
生命を顕現するということはどのようにするのか?
肉体に内在している神の種を使い、霊肉一体のすることで、光を放射させ、地上界の波動を上げて行く。これが人間の顕現媒体を使う意味である。
生まれた時に名前を付ける。命名と書く。命の名である。外なる肉体の名前ではないのである。



 

不変不動の我


不変不動の我

宇宙は1つなる中性であり、不変不動の生命体。不生不滅なる、永遠なる生命エネルギーである。
宇宙は1つの生命であり、様々な命があるのではない。
人類も1つの生命によって現象化している。様々な形態があっても1つの生命が形を止っているだけなのである。顕れているものはすべて現象であり。霊質料である。
1つなる不変不動の生命が様々な形態を顕している。
宇宙は完全なる生命体であり、永遠なる生命体。現象は様々な形態を顕していても顕している原因である生命は1つである。
原因は1つ。結果は様々。結果なる現象があるのではなく、結果を顕している1つなる原因がある。
1つなる生命が様々な現象を顕すことができるのは宇宙は中性生命だからである。原因なき、原因故に様々な現象を顕すことができるのである。
宇宙生命は1つなる原因なき原因なのである。生命とは不変不動の絶対バランス。このバランスが宇宙であり。我である。
宇宙は完全完璧であり。この中に居るものは完全である。人間には自由意志が与えられているため、完全なる中に居ながら、不完全なる使い方をしているだけである。これに気づくまで輪廻が繰り返される。宇宙は科学である。法則違反をすればその罪を償う。すべて完全に造られていながら、その中で不完全なる意識で使っているのは自分なのだから。




 

2024年2月2日金曜日

内なる心が造り主


内なる心が造り主

宇宙は1つなる心が実在しているのみ。宇宙心。
心とは生命であり、永遠なる生命、エネルギーが独存している。
現象はすべて内なる生命、全知全能の生命エネルギーの顕れであり、創造原理であり。生命はすべての本源本質である。
原因、結果。見えるものはすべて見えない無形無双の生命によって現象化している。
すべては1つの生命原理である。現象はすべて1つの生命原理により、様々な形態を顕している。
すべての本源本質は1つである。現象はすべて1つの原因から発している。
これに気づけば人類は争いを起こすことはない。まだまだ幼児期な人類と云うことになる。
それでも人間は自分中心に物事を考え、宇宙で一番偉いと思っている。
宇宙生命が様々な現象を顕している。顕れたものがあるのではなく、顕している原因があるのである、結果現象は霊質料であり、また普遍原質に戻るだけである。
この現象に囚われるということは自らの波動を下げるため、元の本源本質に戻ることができなくなる。自ら下げた波動は自ら上げなければならない。
イエスが云われているように出てきた所がわからなければ帰る所が分からないだろうと。
出てきた所は我が裡にあり。神から出たものは神に帰る。神は汝の手より足よりも近い所になると。


 

福は内 鬼は外


福は内 鬼は外

宇宙は1つなる生命体であり。福は内、福は外である。現象界は福は内、鬼は外になる。
1つなる生命の現象をあると思う心が鬼を創り出してしまう。
1つなる生命は見えない。生命を顕す媒体として質料を通して自らを顕している。
宇宙は1つなる生命界であり、「すべてのすべてありてあるもの」の本源本質が生命エネルギーなのである。万象万物は1つなる生命の化身である。
見えない生命は何かの媒体がなければ顕すことができない。顕す媒体を自ら造り、その中に宿り、生命活動をしている。この表現媒体に人間と云う名前を付けたものを自分と思い違いをして神の顕現道具を無断で使い、永遠なる生命の中に居ながら有限な現象に生き、迷い人になってしまっている人類。
福は内 福は外であり、内は光 外も光なのである。




 

2024年2月1日木曜日

我は天なる我


我は天なる我

天は原因。原因なき、原因、これが宇宙生命体の本源本質である。
見えるものは見えないものの顕われ。
見えるものから見えない原因は見ることはできない。
見えるものは結果である。結果から原因は見えない。今、人類は結果の人生を送っている。見えるものは見えないものの顕れであることを気づかずに。
固体波動の低い波動で様々なものを生み出しているが、現象を豊かに生きるために結果を改良して作っている。この結果で結果を作る方法は地上界のバランスをアンバランスにするやり方である。不完全なるものが不完全なるものを生み出す。完全なるものが完全なるものを生み出す方法ではない。
地上界は文明を発達させ、地球の波動を上げて行くのか?
地上界の波動は現象で上げることではない、現象は結果である。結果で原因の波動を上げることはできない。人間という媒体を使って上げて行かなければならない。
地上界の波動は現象では上げることはできないのである。




 

現象というザタン


現象というザタン

現象は外を見る心が造る顕れである。あると思う心が造り出す迷妄である。
外なるものは内なるものが顕現道具として顕した道具を外念であると思う心で創り出す。
想ったことが顕れる。想うことで何でも創り出してしまう。想念によって思ったものが結果として顕れる。原因、結果である。偶然はない。すべて必然であり、すべて自分が思ったことが顕れてしまう。
現象人間は神の顕現道具として神によって造られているものをこれを自分として見間違って勝手に使ってしまったために、永遠なる生命界に居ながら、神の法則を無視した為に有限的な生き方に自らをしてしまった。開けてはならないパンドラの箱を開けてしまった。
現象に意識を合わせてしまうと波動が低くなり、変化して止まない諸行無常の世界の中で、持て遊ばれてしまう。サタンとは自分で造る悪魔である。宇宙は神1元であり、善のみで、悪は存在しないのである。
宇宙は中性であり。想ったことが顕すことができる世界である。これが人間に神より与えられた自由意志である。この自由意志を本来の使い方をせず、生命界で使わず、現象界で使ってしまった。これは自己責任において、悔い改めをしなければならない。