2024年3月2日土曜日

内なる我の自覚


内なる我の自覚

宇宙は1つなる愛の法則の生命体。中心生命体である。無限生命、普遍生命。
限りなく小さく、限りなく大きい。絶対なる中心バランスが、イエスが云われる原因なき、原因。
宇宙の根源エネルギーである。永遠なる生命、全知全能のフリーエネルギーである。
無限大の生命エネルギーは外にあるのではなく、汝の内にある。
内なる中心生命が外なる現象を顕している。常に意識がなければ外なる現象を顕すことが出来ない。我は内なる中心生命が我であり、この自覚がなければバランスを失い、外なる現象は崩壊してしまう。
現象は内なる中心生命意識が中心にあることで、外なる現象も維持できるのである。
この外なる現象に意識を無碍てしまうとバランスを崩してしまう。
内は中心生命、光である。完全バランスが宇宙生命であり、我である。中心バランスが生命であり、愛の完全バランスである。これを神、仏と云っている。
この内なる自覚が、神の自覚である。

 

2024年3月1日金曜日

キリスト 仏陀は法則のことである


キリスト 仏陀は法則のことである

宇宙は1つなる生命体。「すべてのすべてありてあるもの」すべては神である。神は法則のことである。
イエスは生命のパンと云い、釈迦は慈悲と云っている。同じことを云われている。
宇宙は相似形であり、自然界も同じ陰陽の法則で動いている。
神の顕現道具を人間は自分と思い込み、自分で肉体を鍛えて何かをしようとするが、渡り鳥達は何千キロも移動するのにもトレーニングを行うことはない。神のエネルギーで動いている。
作用、反作用に力を使っている。
人間は万物の霊長であり、すべては霊であり、人間には自由意志が与えられており、この自由意志を使って無限大の生命エネルギーを受け流す媒体が人間の形をした神の顕現道具である。その為に造られている。
法則そのものが神であり、仏である。
現象の形から判断してしまう為に、無形無双の生命を見ることが出来ない。
形は低波動であり、見えないものを見るには自分の波動を上げて行く以外にない。心の目で見投げればならない。


 

宇宙は1つなる生命法則


宇宙は1つなる生命法則

宇宙は無限生命、普遍生命であり、不変不動の生命界。
この無限生命、普遍生命が化身として万象万物が現象化している。
エネルギーは見えないが現象に宿り、現象を通して顕現している。生命エネルギーは質料形態を自ら造り、その中に宿り、形態を通して顕れている。
見える現象には何の力もない。現象に宿る生命エネルギーが御業を成している。実在しているのは1つなる生命である。
生命が自ら造った顕現媒体を使って顕れている。見えるものは見えない生命が、全知全能の力、知恵、創造の原理が現象を通して御業を顕している。
生命が肉体媒体を通して顕れている。
生命は光であり、光を顕す質料が陰である。光陰は1つであり、陰は光を顕す媒体である。
人間も陰であり。光、生命を顕す媒体である。鉱物、植物、動物も光の生命の陰として現象化している。
すべての現象は神の被造物であり、生命は被造物と1つである。
原因が神なら結果も神である。それを生命、神と被造物を神によって造られたものであることは認めても神そのものを分離させてしまう。それで神を祀る。社を作る。神は自分の中に宿り、顕しているのに。また自分の中に神、仏があると云いながら、祖神様と自分の中に居る神を分離させてしまう。宇宙は神1元であり、すべてが神の化身なのであるが。
自分自身が神なら社は必要はない。宇宙そのものが神であれば祀りようがない。
原因、結果は1つである。原因が神なら結果も神である。宇宙は神一元であり。見えるものは神の化身であり、敢えて現象の中に社は作ることはない。神は人なり、人は神なりである。
すべては1つである。
現象は生命の顕われであり、外なる自分を顕しているのは内なる神である。神は無形無双のせいめいたいであり、祀ることはできないのである。宇宙が神なのだから。


 

2024年2月29日木曜日

我は自分の中にあり


我は自分の中にあり

中心、中なる心が外なる現象を顕している。
顕している中なる心が宇宙生命の分霊であり、分霊が分身を顕している。
すべてのすべてありてあるものは生命であり、生命は永遠なる不変不動のエネルギーなのである。すべて久遠の生命が現象道具を自ら造り、その中に宿り、久遠なる生命が媒体を造り、顕現させている。すべて神1元なのである。
神1元の宇宙の中で、人間にだけ、自由意志が与えられており、この自由意志を勝手に解釈し、宇宙の法則を犯し、自らを自縛させている。
現象を自分と勘違いをしてしまうと現象は非常に波動が低い。波動が低い為に汚れを引き付けやすくなる。病気も気の病。エネルギー不足である。エネルギーが高ければ病気にはかかりづらい。
人間を顕しているものは神である。全知全能の神である。神は完全であり、完全を不完全にしているのは外なる現象の自分である。自ら造る自我の心である。本当の我の心の邪魔をしている。自ら造る迷妄に誘惑されている。


 

我は天なり 地は天なり


我は天なり 地は天なり

宇宙は1つなる生命であり、生命は天であり。現象は地である。天と地は1つのものである。
宇宙の本源本質は1つなる生命である。
1つなる生命は永遠なる生命であり、宇宙は永遠なる生命が現象を顕している。
久遠にある現象である。こ゚の久遠にある現象は変化して止まない循環を繰り返している。
この見える質料の変化を顕しているものは生命であり、久遠の現象である。
人間はこの変化して止まない現象をあると信じる心、想念が自らを自縛させている。
これが分離感となって生命とのバランスを崩し、未発酵の状態で消えて行く。未発酵のままであればまた生まれ、完全発酵になるまで、現象界で再生させられる。
天は久遠、地は久遠の現象である。現象は久遠の無限なる生命を現象を通して顕現させる。
これが現象界での人間と云う姿、象に宿る、生命の使命である。
無限生命の顕現道具、神の宮である。



 

2024年2月28日水曜日

見えるものは心の表現媒体


見えるものは心の表現媒体

宇宙には心は1つである。良心が実在するだけである。全知全能の力、知恵、創造の原理である。
心とは生命であり永遠なる常在の無形無双の世界である。
原因、結果の法則であり、見えない原因が見える現象を顕している。原因と結果は1つであり、見えないものも見えるものも1つであり、永遠にある現象を実在していると分離感を持ってしまった。ないものをあると信じ、錯覚してしまった結果、諸行無常の世界に持て遊ばれて、まだそれに気づかない。人類はこれから中々抜け出せない。抜け出そうとする意識も持たない。
見えるものは見えないものの顕れ、原因、結果の法則が理解できれば、現象界で成すべきことが見えてくる。


 

我が息は神の息


我が息は神の息

宇宙は1つなる無限生命であり。無限生命の中に有限な現象なる人間は存在しない。
宇宙の息は1息である。万象万物も1息である。
人間が息しているのではない。神が息している。
心臓の鼓動は神の心音である。宇宙には1息しかない。
初めに言葉ありき。現象はすべて生命エネルギーの現象として顕れている。
不可視のエネルギーを顕している現象界。本来の生命世界に戻る為には、今の現象界の法則を理解しなければならない。原因結果の法則から不可視のエネルギーが可視の現象を顕していることに。
すべて不可視のエネルギーが可視の現象に宿り、現象を顕していることを理解して行く。
無限大の不可視のエネルギーが神であり、すべての本源本質の原点であり、我であることに気づいて行く。現象は原因の顕れである。原因が我であることに気づき、現象の我から原因の我に戻る。神の息の現われが我が息である。