2024年3月14日木曜日

宇宙生命は1つである


宇宙生命は1つである

 1つなる生命。宇宙は1つなのである。
この中に万象万物は現象として顕れている。
顕しているのは1つなる生命である。
宇宙の本源本質が生命である。
これが宇宙の原因なき原因である。宇宙の原点である。これなくして宇宙は語れない。
宇宙は全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
この本源本質が宇宙の原点である。1つなる実在である
人間は太陽系の中の地球に存在しているが、それは見えるものはすべて仮相である。
人間も仮相である。地球に見えるものは原因なる生命が現象を顕している。
見える人間の現象をあると信じる心が自縛させている。
 宇宙は原因があって現象を顕している。現象に生きる人間にはこれに気づかない。
すべては1つ。1つの顕れ。これが人類は理解できないで、争いを起こし、優劣をつけて消極的な仮相の人生を送っている。見えるものがなくて見えないものが実在しているのである。


 


2024年3月13日水曜日

現象、見えるものは低波動


現象、見えるものは低波動

この世は三位一体の世界である。気体、液体、固体波動が同居している世界。
天国も地獄もこの中に存在している。宇宙は天国のみが実在しているが、地獄は自ら創り出した幻想である。
この自分で創り出した幻想に囚われ、自分で自分を縛ってしまっている。縛っていることさえも気づかない程、現象に囚われ、自己催眠をかけ幻想の中に身を置いている。当たり前に思って、疑わずに。
気象も低気圧の時には雨、雹、雪になるがすべて1つの生命の結果として顕れている。
人間も姿、形があるということは様々な影響を受けてしまうということになる。低気圧の現象に振りまわされてしまう。この低波動は高波動によって変化させられている。生命波動が低くなると現象として顕れてくる。バイブレーションが高くなれば低波動の影響は受けなくなる。
低波動の現象は自ら造る意識波動なのである。


 

実相と仮相


実相と仮相

実相は実在しているもの。仮相は実在していないもの。宇宙には1つなる生命だけが実在している。見えるものは実在していない。1つなる実在の現象である。実在とは神、仏と云われる生命である。
実在が仮相の現象に宿り、実相が仮相を通して顕れている。
実相は原因なき原因、1つなる宇宙生命体が、宇宙の本源本質である。これが宇宙に実在しているのみである。
現象はすべてこの実相が仮相を通して顕している。仮相の中に必ず実相が宿り、現象なる仮相を顕している。すべては1つなる実在なる実相が仮相を通して顕現している。
見えるものはすべて仮相であり、背後にある実相が造り主であり、実在しているものである。
実相は永遠であり、仮相は消極であり、有限である。
宇宙は実相、永遠なる生命である。神一元である。実相が仮相を顕している、仮相に目をくらみ、本当の実相を見失っている。実相は無形無双である。
仮相は有限であるが、仮相の中に実相である永遠なる生命の我が仮相を顕している。
我は永遠なる生命なのである。見える仮相の消え行く我ではないのである。


 

2024年3月12日火曜日

気づけば正しい答えが出てくる


気づけば正しい答えが出てくる

気づきは外にはない。内にある。本心は正しい判断を出してくれる。絶対に間違いがない。直感啓示である。
生命は完全完璧である。この生命が肉体の中心に宿っている。中心生命である。これが神、仏である。
神、仏は生命であり、1つなる全知全能の神である。この全知全能の神が自らの住処を自ら造り、生命を顕現している。
すべては完全なる生命の顕現の為に神によって造られた人間、万象万物である。すべて生命の顕現の為に造られている。
気づけば正しいことを顕すことができる。これは自分が行なっていることではない。気づくということはすでにあるということである。生命が顕している。内には無限大に生命エネルギーが泉の如く、湧いている。尽きることのない永遠なる生命エネルギーが。
無限大の生命エネルギーを受け流す媒体として人間と云う表現媒体が造られている。
我は生命によって造られた生命の現現道具である。我は神そのものである。神によって造られた顕現道具を自分と錯覚しているだけなのである。我は現象なる我ではなく、現象を顕している造り主である。
天地一体、天によって地は顕されている。実在しているのは天のみである。
自他一体、すべては1つなる生命現象である。
人間が生きていると思う意識が自己催眠をかけてしまうのである。
現象界で色々と有名人が色々なことを云われているが、現象、仮相から話しても変化させることはできない。
蜃気楼にオアシスを求めて行くようなものである。実在に求めない限り、解決はできないのである。すべての答えは裡にあり。青い鳥である。
外に答えを求めると「得ようとするものは奪われる」とイエスも云っている。


今、想っている所に今の自分がいる


今、想っている所に今の自分がいる

宇宙は1つである。1つとは完全を意味する。永遠を意味する。この1つなる生命体、完全なる生命体の中に存在している。すべては完全なのである。
完全なる中に居ながら、何故不完全になってしまうのヵ?
現象は久遠にある現象をあると信じる心が不調和を起こしてしまう。現象は変化して止まない、この現象を意識することで不安、恐怖、悩みを自ら持ち込んでしまう。現象は実在しないのである。仮相なのである。変化して止まないものであり、久遠の中の現象なのである。
この現象を認めることで、完全なる細胞体をアンバランスにしてしまう。現象があると思う心がサタンであり、サタンは自ら創り出して、自分でバランスを崩しているのである。
外なるものは現象であり、これに意識があると自ら造るサタンに持て遊ばれてしまう。
すべて意識が造り出す。想念は実現の母である。この世は物質界ではなく、意識界なのである。意識によって現象化させる生命界である。


 

2024年3月11日月曜日

天上天下唯我独尊


天上天下唯我独尊

宇宙は1つなる生命である。1つなる生命だけが実在している。万象万物は1つなる生命の化身である。宇宙には1つなる生命のみが実在している。
1つなる生命がすべての万象万物を顕し、その中に1つなる生命が宿っている。全知全能の力、知恵、創造の原理が1つなる生命である。天上天下唯我独尊である。
すべてのすべてありてあるものすべて生命である。天上天下唯我独尊とは宇宙生命体のことである。すべては我である。我以外存在しないのである。1つなのである。
1つなる生命が多神を造る。多神は1つなる生命によって顕されている。すべては1つなのである。1つなる生命が現象を顕しているものを多神だけ見て多神が存在していると錯覚しているのが人類である。
天上天下唯我独尊とは1つなる生命が全知全能の神であり、創造の原理であり、我である。
宇宙即我である。すべては1つなる生命が実在である。1つなる我が本当の我であった。

 

宇宙の息は1息である


宇宙の息は1息である

宇宙は1つの生命体であり。1つの生命は1つの息である。
生命の1息が万象万物に宿り、生命活動をしている。
生きているのは表現媒体でなく、表現を顕している生命が生きているのである。
すべては一息によってすべての万象万物は1息の表現体として具現している。本源本質は無形無双の光であるが、現象は宇宙の様々な質料に宿るため様々な形態になって生命が顕れる。
様々な衣装があり、それを纏っているのである。
宇宙は1つの生命細胞体であり、この生命体が宇宙の塵、質料に宿っている。
人間も動植物この生命の1息で形態が顕れている。生命が様々な形態を通して顕れている。
様々な形態は様々な環境において生命活動をすることが出来るのは内なる生命の知恵、力である。形態はその環境に応じて内なる生命が形態を通して活動をしている。形態を動かしているのは内なる生命の力、知恵が動かしているのです。