2024年5月8日水曜日

形からの解放

形からの解放

宇宙は無限大の生命エネルギー体であり、その中に存在するものは永遠なる愛の生命体であり、有限なるものは存在しない。見えるものは愛の現象であり、仮相である。               人間には愛から与えられた自由意志が持たされている。この自由意志を使い、観自在、無碍自在の我を顕現させて行く。光を放射させて行く為に現象化している。愛の顕現道具を自分と見間違うことで、無限大の生命エネルギーを顕現させることができなくなる。                               vc形をあると信じることにより、宇宙の無限大の生命エネルギーにアクセスできなくなる為、本来の使命が果たせなくなる。形は現象であり、実在しない仮相に囚われることで、自縛してしまう。                                      形は存在しないため、偽我である。実在にタッチできなければ顕現することはできない。霊肉一体になり、霊と一体になることで引き出すことができる。霊肉一体とは愛である。バランスである。                                      形は顕現道具であり、形に囚われてしまうと無限大の生命エネルギーが引き出せない。   無形無双の生命エネルギーと一体となって初めて引き出せる。元々神一元であり、愛1元であり、神以外実在しているものは存在しないのである。すべては神であり、愛であり、神が顕現させているだけなのである。見える現象は生命エネルギー、愛の顕現道具なのである。   これを自分と勘違いをすることで自縛してしまい、顕現ができなくなる。         形をあると思う心が使命を果せなくさせている。初めから人間は形の名前で、実在していないことを理解しなければならない。 人間は生まれた時に名前をつける。命名である。命の名前である。愛の名前なのである。

2024年5月7日火曜日

人間の顕現媒体の使い方

人間という顕現媒体の使い方

宇宙は1つなる不変不動の中性なる無限大の生命体である。宇宙に実在しているのは無形無双の1つなる生命細胞体である。
宇宙生命体は自らの住処を自ら造り、生命活動をしている。生きているのは姿、形の現象ではなく、見えない細胞が現象として顕れている。生命が形態を通して顕れている。
現象が生きているように見えるが、実際は外なる形ではなく、内なる細胞が新陳代謝によって細胞分裂を行い、細胞を常に入れ替え、常に新しいものに入れ替え、細胞形態を維持させている。外なる形が生きているのではなく、内なる細胞が形を止って生きているのである。
この細胞体は外なる影響を受けやすく、不安、恐怖、悩み、心配ごとがあると分子細胞の数が少なくなり。エネルギーが少なくなって新陳代謝に影響を与えてしまう。これが病気、気の病である。
本来の細胞の使い方は生命細胞、光の細胞体から分裂した細胞を一体化させ、光の細胞体と一体化にさせる。霊肉一体にさせることで、無限生命エネルギーを肉体を通して顕現させる。
その為に人間という形態を使う、人間の形態を使う為、肉体意識が神の細胞分裂を邪魔をする。こ細胞体は神であり、人間の形態を使って自らの生命を顕現させようとしているものを実在しない仮相、人間意識、サタンが邪魔をしている。邪念とは人間意識のことである。
宇宙は1つなる生命体。初めから霊肉一体である。宇宙は神一元の霊界である。人間意識の脱却し、人間の低波動意識から神の高波動、愛の波動に上げて行く。その為に現象界に留まっている。これを現象界での使命である。使命を果たせるまで輪廻が繰り返される。輪廻があるということは神への反逆行為をしている事である。
この現象界はアンバランスの世界、この世で豊かに生きることではないのである。     この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し。と云われている



 

2024年5月5日日曜日

見えるものは輪廻、争いを引き起こす


見えるものは輪廻、争いを引き起こす

宇宙は1つなる無限生命体、コスモ生命細胞体である。地球もコスモ細胞体の中の細胞である。
人間は70兆個の細胞体である。この細胞体は生命細胞が70兆個の細胞集合体を造り、新陳代謝により、常に入れ替わり、新しいものと入れ替わり形態をバランスによって維持させている。こ゚の生命細胞を分裂させているのが1つなる生命細胞である。
神は造り主、現象は被造物。形態には必ず、造り主が宿っている。生命は見えない。見える分子細胞体は常に変化して止まない。常に入れ替わる。常に新しく再生されている。
宇宙は中性であり。完全バランス、完全調和によって永遠なる生命活動をしている。
宇宙には人間は存在しない。宇宙生命体が人間という形を止って顕れている。見えるのは生命が質料に宿り、顕れている。
生命は人間という形態を使い、宇宙の光を放射させる為に造られている。お父さん、お母さんが造っているのでなない。人間がこの世で生きるためには造られていない。
神の顕現道具を見えるが故、あると錯覚してしまっている。現象に生きると死に至る。
永遠なる生命の中に死は存在しない。現象は外敵条件でバランスを崩すと消えるがなくなる。現象の死は正常な肉体の使い方を誤り、完全なるものを誤って不完全なる使い方をしてしまった結果である。これがカルマであり、正常な使い方をするまで輪廻、再生させられる。現象に生きようとすると分離感が生まれ、争いが起きる。
永遠なる1つなる中に輪廻も争いもない。これは永遠なる中に居ながら有限なる生き方は間違っていることへのメッセージである。
これに気付くまで輪廻で再生させらる。有限から無限に戻れない。
初めから天国にいるのである。死んで天国に行くことではない。
生きている内に成仏できなければ死んでは成仏はできないと云われてる。         





 

2024年5月4日土曜日

外なるものは内なる光の表現媒体

 


外なるものは内なる光の表現媒体

宇宙は1つなる中心生命体。これが宇宙の本源本質である。現象の形には必ず中心がある。
中心は完全バランス、完全調和である。この無形無双の生命が宇宙そのものであり、この生命によって万象万物が姿、形を顕している。生きているのは現象ではなく、内なる生命である。
生命は永遠なる観自在、無碍自在なる無限生命。普遍生命である。
人間は神に似せて造られた神の顕現媒体である。
全知全能の宇宙力を人間という顕現媒体を使って自由自在に放射させる為に人間には自由意志が与えられている。
宇宙力を顕現するには意識を宇宙意識に合わせなければならない。人間意識では顕現することはできない。内なる神意識と一体化させ、霊肉一体にさせなければならない。すべては1つなのであるから。
実在しない人間意識では顕現することはできない。
人間は外なる形、内なる光の顕現道具であることを理解し、自分は無限生命である事に気づき1つになる事である。
神によって造られた神の顕現道具を自分と錯覚していることを悔い改めなければならない。神、生命は永遠であり、人間は有限である。人間は内なる永遠なる無限生命の化身であり、外なる形には何の力をない。人間を通して御業を成しているのは生命である。外なる人間が自分がやっていると勘違いをしている。人間は神の無限大の生命エネルギーを顕現させる為に造られている。万象万物はすべて神の顕現道具なのである。宇宙には神以外何も実在しない。全てが1つなる神そのものである。





2024年5月3日金曜日

本来の我は意識なり


本来の我は意識なり

宇宙は1つなる生命体、1つなる意識のみが実在している。宇宙は中性なる不変不動の愛の生命体。
「想念は実現の母」であり、想念によって現象化される世界である。
この想念の使い方は無限大の宇宙生命力を人間という媒体を使い、顕現させる為に神に似せて人間が造られている。正しい使い方をする為に八正道をお釈迦様は示されている。
水は上から下へと流れる、これは法則であり、現象に生きる人間は水をしたから上に流そうとしている。神への反逆行為をしている。人間が存在するどいう分離感で地上界をアンバランスにしている。
人間は分離感で、物質の富に幸せを求めている。物の奪い合いによって自分の物質的な幸せを求めている。物質を求めれば求める程、地球のバランスが狂ってくる。
人間の意識が低いと物質にこだわり、人生を物質的な富に幸せを追い求めてしまう。
イエスが云われている。
「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」
人間は万物の霊長であり、すべては霊生命であり、現象なる物質も霊であり、消え行く存在なのである。消費者センターという名前があるが、人間は消費する者ということになる。
意識によって自分の位置ポジションが決まる。物質意識であれば自ら造る地獄界で生きている。
愛の生き方であれば天国である。今の生き方が天国か地獄かであり、死んでから天国、地獄があるのではない。地獄は存在しない。自らの意識の状態があるだけである。
生命、愛の法則、神の法則に気づくまで生死の輪廻で再生させられる。




2024年5月2日木曜日

神は不変不動の中性なり


神は不変不動の中性なり

宇宙は1つなる不変な永遠なる生命体。これが宇宙の本源本質である。永遠とは不変不動である。
すべての万象万物はこの永遠なる生命の中で存在している。
自然界はこの宇宙の法則を見える形で顕われている。自然界はこの作用、反作用の動きを利用し生きている。
宇宙は1つなる生命体であり、自然界の見えるものとそれを顕しているものは同じものである。天地一体。天と地は2つで1つである。宇宙は無限生命、普遍生命であり、愛の1つなる生命体である。人間の見える個体波動は非常に低い為、姿、形が見えるが、生命は高バイブレーションの為,見えないだけである。宇宙は不変不動であり、不増不減である。故に永遠なのである日本語は真理を表す言葉である。天地一体、自他一体、心身一体、霊肉一体、色心不二、すべて1つである事を顕している。                                                                                                                            日本の国旗も🇯🇵1つ目である。宇宙は1つなる法則、愛の法則、この真理の法則が宇宙の本源本質である。イエスが云われる、原因なき原因、宇宙法則のことである。釈迦も宇宙即我と云われている。                                                                                                                                                        これから見えるものだかしか信じないものとそれを現している見えないものとの二極化になって行く。見えるものが現象である事に気づくものはこの幻想の世界から抜け出し、人類に貢献するようになって行く。

 

2024年5月1日水曜日

天地一体、色心不二


天地一体、色心不二

宇宙は1つなる生命体である。見えるものも見えないものも1つである。
お釈迦様は色心不二と云い、イエス様は天地一体と云われている。すべては1つであると。
現象は1つなる永遠なる生命の顕われである。宇宙に実在しているのは生命、神のみが実在し、宇宙は永遠なる宇宙生命が万象万物を顕している。すべては1つである。
人間も現象であり、人間には自由意志が与えられている、この自由意志は生命エネルギーを顕現させる為に与えられているが、現象の姿、形を自分と錯覚し、現象に生きるようになってしまった。
現象は有限であり、消え行く幻影である。無限宇宙生命の中に有限は存在しない。
生命は永遠であり、現象は永遠なる生命の化身として顕れている。
人間は神に似せて造られているのは神の全知全能のエネルギー、知恵を地上界に放射させる為に人間の顕現媒体が造られている。人間が消え行く現象の中で生きる為には造られてはいない。
人間は神の顕現媒体であり、神の宮として、神によって造られている。
イエス様が肉に生きるは死であると云われるのは現象は変化して止まないものであり、本来の我は永遠なる生命であると云われている。
天地一体、色心不二、霊肉一体。すべて永遠なる1つなる生命によって現象化されている。
すべては1つと云うことは永遠なる生命体は宇宙そのものである。
天国は我が中に存在している。内なる天国が我が現象を顕している。天国が我であり、人間という現象は天命を顕す媒体である。