宇宙は無形無双の見えない生命体である。観自在、無碍自在の1つなる宇宙生命体である。こ゚の生命体が宇宙そのものであり、この中で様々な形態が造られ、観自在、無碍自在の宇宙生命が活動している。
活動しているのは姿、形ではなく、生命が姿、形を通して働いている。
人間は神に似せて造られ、自由意志が与えられている。人間の使命は宇宙エネルギーを顕現させる為に蒔かれた神の種である。光の放射媒体としての使命が与えられている。
宇宙の1つなる無形無双の無限生命が実在しているだけである。この実在している生命は無形無双の観自在、無碍自在の自由意志をもった全知全能の力、知恵である。
この無形無双の全知全能の力、知恵は人間の媒体を通して顕すために神の宮として現象化させている。この神の宮を自分と見間違うと神の全知全能の力、知恵が顕現させることができない。
宇宙は1つなる本体であり、現象である人間がいると思ってしまうと本来の使命を果せなくなる。人間という小さな永遠なる生命が有限なる枠の中でしか生きることが出来なくなる。
宇宙は1つであり、1つの全知全能の力を顕現させる為に様々な形態が顕れている。
人間がこの世で生きる為に造られてはいない。現象界ですべきことは無限大の宇宙生命エネルギーを地上界に降ろす。これが使命である。生命に生きるは永遠、人間に生きるは死である。
永遠なる神の中に居て有限なる生き方は神は求めていない。神としての使命を果すことで本来の生命体の戻る。
意識したものが顕れる。意識が現象意識であれば永遠なる中で、有限なる生き方になる。
自分の自由意志がすべてを決めている。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年5月16日木曜日
形の制約は自縛
2024年5月15日水曜日
神が肉体を使うのであって、人間が肉体を使うのではない
宇宙は神一元の世界。見えるものは神によって顕された神の被造物。
原因が神なら結果も神である。神一元の世界。
神は無限生命であり、普遍生命である。無刑無双の生命である。神は自らの住処は自ら造り、働いている、すべて神のみが生きて神のみが働いている。人間は神によって現象化された被造物であり、実在はしていない。神が宿り、働く場として神によって造られた神の顕現道具である。
人間は神の現象であり、神の神の働く場である。
この現象界で人間が生きる為に造られてはいない。現象として造られている人間は神の顕現媒体として造られている。人間は形の名前である。顕現道具に生きることは使い方が真逆なのである。
現象は実在しない。無限生命の中に有限なるものは存在する事はない。
見えるものはすべてに神が宿り、神が現象させている。宇宙は1つなる神の細胞体である。1つの細胞体。コスモ細胞体である、
肉体細胞は神の顕現道具であり、表現媒体である。全知全能の神が経済活動をすることはない。
2024年5月14日火曜日
神の表現媒体
宇宙は1つなる愛の生命体。これが宇宙の本源本質である。すべての源である。この原点により様々な形態が造られ生命が活動をしている。
万象万物は宇宙生命の表現媒体として現象化している。
人類の迷い道は現象の姿、形をある信じ、この迷妄から抜け出せないでいる。この迷妄から分離感をが生まれ、自己保存の為に争いを起きる。
これに心ある人類が利用されている。
人間は実在しない。実在しているのは無形無双の生命が実在し、仮相現象を顕している。
現象をあると思う心が自分で自分を縛り、翻弄さられる。 宇宙には現象は実在しない。現象は1つなる生命の顕現道具として存在している。現象に生きるから自縛する。生命に生きればこの自縛から解放される。この事を示されたのが釈迦であり、イエスである。
宇宙は完全なるバランス、完全なる調和であり、人間が仮相に生きるためにアンバランスを自ら造り、 迷妄に悩まされる。宇宙は原因なき原因、創造の原理、愛の法則、永遠なのである。バランスを崩しているのは誰でもない、自分自身なのである。永遠の中に居て有限は存在しないのである。
2024年5月10日金曜日
我は宇宙生命なり
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が多神を顕している。宇宙そのものが生命体である。
人類は今、現象界に身を置いている。現象界は非常に波動が低いため、どうしても見えないものを感じることができない。これを打破するには現象の中にある。生命が形態を顕している。この高波動の神の種に気づき、想念によって波動を上げて行く。見えるものを顕している光波動に意識を向けることで、分子細胞を霊化させることで波動を上げて行く。
すべては1つなる生命波動から現象化している。本来の我は1つなる高波動の生命が実在している。すべては1つなのである。1つなる生命であり、1つなる生命が様々な形態を造り、その中で生命活動をしている。宇宙はこ゚の愛の法則によって永遠なる生命活動が成されている。宇宙は原因なき、原因、無形無双の無限生命。限りなく小さく、限りなく大きい。この1つなる宇宙生命が宇宙の本源本質である。
人類は現象に惑わされ、波動の低い固体波動に振り廻され続けている。
2024年5月8日水曜日
形からの解放
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形からの解放宇宙は無限大の生命エネルギー体であり、その中に存在するものは永遠なる愛の生命体であり、有限なるものは存在しない。見えるものは愛の現象であり、仮相である。 人間には愛から与えられた自由意志が持たされている。この自由意志を使い、観自在、無碍自在の我を顕現させて行く。光を放射させて行く為に現象化している。愛の顕現道具を自分と見間違うことで、無限大の生命エネルギーを顕現させることができなくなる。 vc形をあると信じることにより、宇宙の無限大の生命エネルギーにアクセスできなくなる為、本来の使命が果たせなくなる。形は現象であり、実在しない仮相に囚われることで、自縛してしまう。 形は存在しないため、偽我である。実在にタッチできなければ顕現することはできない。霊肉一体になり、霊と一体になることで引き出すことができる。霊肉一体とは愛である。バランスである。 形は顕現道具であり、形に囚われてしまうと無限大の生命エネルギーが引き出せない。 無形無双の生命エネルギーと一体となって初めて引き出せる。元々神一元であり、愛1元であり、神以外実在しているものは存在しないのである。すべては神であり、愛であり、神が顕現させているだけなのである。見える現象は生命エネルギー、愛の顕現道具なのである。 これを自分と勘違いをすることで自縛してしまい、顕現ができなくなる。 形をあると思う心が使命を果せなくさせている。初めから人間は形の名前で、実在していないことを理解しなければならない。 人間は生まれた時に名前をつける。命名である。命の名前である。愛の名前なのである。
2024年5月7日火曜日
人間の顕現媒体の使い方
宇宙は1つなる不変不動の中性なる無限大の生命体である。宇宙に実在しているのは無形無双の1つなる生命細胞体である。
宇宙生命体は自らの住処を自ら造り、生命活動をしている。生きているのは姿、形の現象ではなく、見えない細胞が現象として顕れている。生命が形態を通して顕れている。
現象が生きているように見えるが、実際は外なる形ではなく、内なる細胞が新陳代謝によって細胞分裂を行い、細胞を常に入れ替え、常に新しいものに入れ替え、細胞形態を維持させている。外なる形が生きているのではなく、内なる細胞が形を止って生きているのである。
この細胞体は外なる影響を受けやすく、不安、恐怖、悩み、心配ごとがあると分子細胞の数が少なくなり。エネルギーが少なくなって新陳代謝に影響を与えてしまう。これが病気、気の病である。
本来の細胞の使い方は生命細胞、光の細胞体から分裂した細胞を一体化させ、光の細胞体と一体化にさせる。霊肉一体にさせることで、無限生命エネルギーを肉体を通して顕現させる。
その為に人間という形態を使う、人間の形態を使う為、肉体意識が神の細胞分裂を邪魔をする。こ細胞体は神であり、人間の形態を使って自らの生命を顕現させようとしているものを実在しない仮相、人間意識、サタンが邪魔をしている。邪念とは人間意識のことである。
宇宙は1つなる生命体。初めから霊肉一体である。宇宙は神一元の霊界である。人間意識の脱却し、人間の低波動意識から神の高波動、愛の波動に上げて行く。その為に現象界に留まっている。これを現象界での使命である。使命を果たせるまで輪廻が繰り返される。輪廻があるということは神への反逆行為をしている事である。
この現象界はアンバランスの世界、この世で豊かに生きることではないのである。 この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し。と云われている
2024年5月5日日曜日
見えるものは輪廻、争いを引き起こす
宇宙は1つなる無限生命体、コスモ生命細胞体である。地球もコスモ細胞体の中の細胞である。
人間は70兆個の細胞体である。この細胞体は生命細胞が70兆個の細胞集合体を造り、新陳代謝により、常に入れ替わり、新しいものと入れ替わり形態をバランスによって維持させている。こ゚の生命細胞を分裂させているのが1つなる生命細胞である。
神は造り主、現象は被造物。形態には必ず、造り主が宿っている。生命は見えない。見える分子細胞体は常に変化して止まない。常に入れ替わる。常に新しく再生されている。
宇宙は中性であり。完全バランス、完全調和によって永遠なる生命活動をしている。
宇宙には人間は存在しない。宇宙生命体が人間という形を止って顕れている。見えるのは生命が質料に宿り、顕れている。
生命は人間という形態を使い、宇宙の光を放射させる為に造られている。お父さん、お母さんが造っているのでなない。人間がこの世で生きるためには造られていない。
神の顕現道具を見えるが故、あると錯覚してしまっている。現象に生きると死に至る。
永遠なる生命の中に死は存在しない。現象は外敵条件でバランスを崩すと消えるがなくなる。現象の死は正常な肉体の使い方を誤り、完全なるものを誤って不完全なる使い方をしてしまった結果である。これがカルマであり、正常な使い方をするまで輪廻、再生させられる。現象に生きようとすると分離感が生まれ、争いが起きる。
永遠なる1つなる中に輪廻も争いもない。これは永遠なる中に居ながら有限なる生き方は間違っていることへのメッセージである。
これに気付くまで輪廻で再生させらる。有限から無限に戻れない。
初めから天国にいるのである。死んで天国に行くことではない。
生きている内に成仏できなければ死んでは成仏はできないと云われてる。