2022年10月31日月曜日

呼吸と息づかい


 呼吸と息づかい

一般的に呼吸法と云うと吸って吐く動作を連想される方が多いとと思いますが、肥田式で行う腹胸式呼吸法を見ても胸は解放状態で行う。
肥田先生は横隔膜の大緊張と云う言葉を使う。何故大緊張なのか?息づかいとは内圧をかけることで酸素を取り込むということである。深層部呼吸筋は不随筋であり、随意筋で動かして行く。故に夜、寝て居ても息している。
自然界の法則は宇宙の法則を作用、反作用という形で生命が息している。魚が上流に進むのも、鳥が風に乗って飛ぶのも同じ法則である。肥田式ではこの法則を利動力と呼ぶ。
これは中心バランスの作用、反作用の見えない力である。これの中心生命力を神と呼ぶ。この無形無相の中心力が神の子であり、肉体は神の器である
この中心力は宇宙バランスであり、自然界はこ゚の中性なる法則が働いている。この無限大の力を如何に使うかである。
息とは自らの心と書くように生命である。生命の使い方が息づかいである。息とは意識でもある。この力は無限大である。この無限大の力が肉体を動かしている。肉体が自分なのか?動かしているエネルギーが自分なのか?
肥田先生は新陳代謝に目を付けられ、身体を強健体に戻された。新陳代謝は細胞のことであり、細胞の集合体が人間という形を現わしている。息しているのは細胞が息している。人間は外観であり、その形の名前が人間と名付けている。
細胞は心のバランスによって左右される。「必死の気」という積極的な心、意識によって変わってくる。意識が変われば変わるのである。肉体が変わるのではなく、意識のバイブレーションが肉体細胞をより細かく変化させて行くのである。肉体が自分ではなく、意識が自分なのである。肉体は意識によって動かされるピノキオである。意識は中心力である。


2022年10月30日日曜日

争いは何故起きるのか?


 争いは何故起きるのか?

争いの原因は諸行無常の現象界を生きようとする為、自己保存の法則が働き、モノの奪い合いが起きる。ないものをあると信じる心が争いを起こす。
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。1つの永遠なるものの中に争いは存在しない。生命エネルギーの放射体の神の器を自分と勘違いをして神の器を自分と思って生き、争いを起こしている。また自己保存のために見えるものを自分のもとに集めようとし、地球の生態系のバランスを崩している。人間がいると錯覚しているために起きる現象である。
人間が宇宙の中には存在しないことを理解できる時に争いはなくなる。無限生命の中に有限なる人間は存在しないことを理解することが争いをなくすことである。人間という迷妄から脱皮することが21世紀の意識の世界に入る前段階である。



2022年10月29日土曜日

この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?


 この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?

宇宙は1つなる無限生命体である。完全完璧な平安な永遠なる世界である。永遠なる世界の中に存在しながら幸せを求めようとしている。キリストが云われている。「得ようとするものは奪われる」すべて持っていると。
宇宙の中の万象万物は1つなる生命の現われであり、完全なる生命が様々な形態を現わしている。初めから完全であり、幸せなのである。
何故幸せを求めようとしてしまうのか?1つなる生命の現象をあると思う自我の心が分離感を生み、消え行く現象をあると信じ、生老病死の諸行無常の変化の止まない現象に囚われてしまう為に不安、恐怖、悩みを抱えてしまう。
この分離感が消え行く現象を維持しようとし、争いを引き起こす。この分離感の中で幸せになろうとしてもなることはできない。現象界の中では平和になることも絶対にない。現象の仮相の自分から本来の実在の我に戻らなければ平和になることはない。平和は1人、1人の裡にある。宇宙は初めから平和なのである。平和を壊しておいて平和になろうとするのが人間である。
現象界で国々が争いを起こしているように見えるが、1人、1人の心の現われであり、国は人間1人、1人の集合体が国になっているだけである。
地球の中で地球のバランスを崩しているのは誰でもない、万物の霊長たる仮相の人間である。
地球の汚れは人間の心の汚れであり、現象界に生きようとする為に起きる現象である。



2022年10月28日金曜日

見えるものから見えないものへ


 見えるものから見えないものへ

宇宙は1つなる無限生命体であり、見えるものは現象であって実際には存在していない。見えるものはあるではないか?実在とは永遠を意味する。見えるものはすべて消え行く存在であり、変化してしまうものである。人間は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊体であり、気体である。宇宙は意識体であり、想念によって変化する世界である。
1つの見えない宇宙生命体が実在している世界。見えるものは見えない宇宙生命体の現象である。本当の我は見える我ではなく、見える我を現わしている我である。
どちらでも良いではないかという人がいるだろう?
見えないものが自分であると意識を持つことで永遠なる生命体で生きることができる。
見えるものに生きようとすると有限なる生き方になり、キリストが云われるように死ぬものはまた生まれる。お釈迦様が云われているように生老病死の四苦の諸行無常の世界の中で生きなければならくなる。本来の我は1つなる無限生命であり、宇宙には1つなる無限生命だけが独存しているだけである。すべては1つであり、1つの中に2つは存在しない。見える自分は本来の我ではなく本来の我は1つなる見えない宇宙生命体である。1つなる宇宙生命体は永遠なる生命体であり、その中にある見えるものも永遠である。見えないものをあると思う心が有限なる自分にしてしまう。現われているものは1つなるものの現われであると思うことで永遠に生きることができる。意識の切り替えで可能になる。本来1つなる生命の現象であって、その現われをあると思っているだけである。現象と思うことで、有限から永遠なる本来の我に戻すことができる。これが解脱であり、悟りであり、昇天であり、神であり、仏であり、天照大神である。
宇宙は1つなる生命体であり、1つの生命体を様々な言葉で言っているに過ぎない。
宇宙には1つなる生命の法則。陰陽の法則があるだけである。言葉の数だけ神がいるのではない。1つなるものだけがあるのみである。生命は見えないため、現わす言葉として使っているだけである。





2022年10月27日木曜日

1つの中に2つは存在しない


 1つの中に2つは存在しない

宇宙は1つである。1つの宇宙のなかに2つの宇宙は存在しない。1つの中にある見えるものは様々に見えるが1つであるということになる。現われているものは現象であるということになる。宇宙生命だけが独存するということである。疑う余地はない。
見えるものは1つなる生命の現われ、見えるものの中には1つなる見えない生命が宿り、現象を維持している。見えるものを生かしているのは1つなる見えない宇宙生命が宿り、見える現象を現わしている。すべては1つなる宇宙生命の化身であり、様々な見えるものの中に1つなる宇宙生命が宿って現象化している。見えるものに生きると間違いを起こし、肉体に生きることになる。人類はこの現象から抜け出さねばならない。1つなる宇宙生命の中に人間という存在はない。現象という神の器に人間という名前をつけているだけである。宇宙には形あるものは何1つ存在することはない。見えない1つなる生命体が存在している。


2022年10月25日火曜日

原点に帰るとは生命に帰ること


 原点に帰るとは生命に帰ること

宇宙は1つなる生命法則によって永遠なる生命活動をしている。宇宙生命体が見える自然界で同じ法則に従って生命活動をしている。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。人間は宇宙生命によって造られた生命の化身である。生命の化身は自分という自我を持ち、宇宙の法則バランスを崩している。法則に沿って生きれば宇宙の無限大の力と知恵が使えるのに自我を持ってしまったために使えなくしてしまっている。現象の人間を生きようとするためバランスを崩し、永遠なる生命体の中に居ながら、自然界の法則に巻き込まれ、病気、死の生老病死の四苦に囚われ、自分で自分を殺している。宇宙の法則は永遠である。その中ですべてのものは現象化されている。すべて永遠である。人間は現象であることに気づくことで、原点に帰ることができる。これが解脱、悟り、昇天である。1人、1人は神の生命エネルギーを受け流す神の媒体、器であり、其処には人間は存在しない。宇宙には見えない形のない生命エネルギーが独存している。見えない生命エネルギーが我であり、絶対バランスの陰陽の法則が我である。これを如何に日常生活での中で波動を上げ、実践、実感して行くかが現象界ですべきことである。




2022年10月24日月曜日

得ようとするものは奪われる


 得ようとするものは奪われる

宇宙は完全バランスの永遠なる生命体である。すべてのものはこの中に存在する。すべては永遠なる生命体である。宇宙は全知全能の力、知恵である。完全であり、すべてが満たされている。人間もこの中に息している。何かを学んで行うことではない。
この全知全能の力、知恵を使う。その為の肉体媒体なのである。
「得ようとするものは奪われる」とはすべて持っているのに使わない。よって使うことができない。知識は外部のものであり、使えないが知恵は内なるものであり、即使える。
人間と云う現象は神の生命エネルギーを肉体媒体を使って全知全能の力、知恵を受け流す為の肉体であり、肉体に生きることではない。肉に生きる時、神の全知全能の知恵と力を使うことはできない。自我を捨て1つなる生命と1つになる時初めて使える。人間の姿、形は神の化身であることを理解することで宇宙と一体になり、本来の我に戻って行く。