2023年10月16日月曜日

宇宙は創造原理


宇宙は創造原理

宇宙は1つなる生命体である。原因なき原因、これが宇宙生命体の本源本質である。すべての現象を生み出す創造原理、全知全能の力、知恵である。
自然界の様々な形態はこの創造の原理によって顕されている。様々な地球環境の中で、生命は形態を造り、その場の環境に合わせ、知恵を出し、生命が生きている。過酷の環境の中でも生命は知恵を出し、生きている。
万象万物は生命の全知全能の知恵、力によって生かされている。鉱物、植物、動物、人間、すべての形態の中で生きる生命、これが生命の法則、神の法則、愛の法則である。
生命が形態を造り、その中に宿り、顕している。生命の化身が現象である。生命と現象は2つで1つである。
この見える現象と見えない生命を分離してしまうと不完全になる。そのため人間は争い、自分で自分を殺してしまう。すべては1つなる生命によって造られていることを理解し、現象界から永遠なる生命に戻って行かなければならないのに、エネルギーの使い方を逆に使う為、低バイブレーションの現象界から抜け出すことができない。
生命は宇宙の本源本質であり、これがすべての原点、原天である。これが我である。


 

姿、形の誘惑


 姿、形の誘惑

天地一体、色心不二、霊肉一体、これはすべて1つであるという意味でもある。
1つと云う中は調和、バランス、中性、愛の法則、生命ということである。
1つなる生命は法則であり、見ることはできない。この法則が現象を顕している。
これを如何にすべては1つなるものの顕れであることを理解して行くかが課題である。
すべての見方、考え方が現象から物事を見てしまっている。

この結果から結果を出そうとすると地球のバランスを崩す、バランスを崩すと人間も病気になる。地球の病気は異常気象であり。最終通告が天変地異である。
形態に生きるアンバランスに人類は気づかなければならない。
これは1人、1人の意識の切り替えで可能にすることができる、宇宙は意識体であり、想念により、現象化している事実があるからである。




2023年10月15日日曜日

個人意識は存在するのか


個人意識は存在するのか

宇宙に個人は存在するのか?
人間が存在するのか?
宇宙は無限大の宇宙であり、1つなる中に見える人間、個人は存在しない。存在しない人間がいると信じてここをベースに人間は生きている。人間中心である。人間が居て、宇宙があると信じている。
宇宙は1つなる生命(高バイブレーション)が低バイブレーションの見える現象を顕している。人間が居るという錯覚により、人類は未だに仮相に世界に留まっている。
仮相を信じているため、実際の本宿に戻ることができないでいる。
宇宙は生命体であり、生命には姿、形はない。法則があるだけである。
法則が現象を顕しているだけに過ぎない。
宇宙には見えないものがあって見えるものはないのである。
人間はこの見える現象にまんまと騙されている。実在しない生老病死の四苦に囚われ、持て遊ばれている。現象を絶対に疑わない人間。
宇宙に個人は存在しない、姿、形は生命の現象であり、これを分離する為、未だに善悪の木の実を食べ続けている。

 

生老病死は偶像


生老病死は偶像 

宇宙は1つなる生命原理であり、1つなる生命が様々な環境に適合し、様々な形態を造り、その中に生命が宿り、生命活動をしている。
実際にあるのは生命であり、生命によって万象万物は現われている。現象は生命の化身である。
人間には自由意志が与えられている。その為、見えるものを自分と見ることも、見えないものを自分と見ることも自由選択ができる。
この自由意志を間違った方向に使ってしまった。
見えるものは生命を顕す表現媒体であり、生命の道具である。見える表現媒体を自分と錯覚し、諸行無常の現象の四苦に囚われ、現象に持て遊ばれてしまっている。
宇宙は1つなる完全なる生命体であり、無限生命であり、無限の中に有限は存在しない。
顕れているものは1つの生命体の顕れ、現象なのである。現象である人間が存在するということになると宇宙は1つなる生命ではなくなる。
人間は宇宙の現象であり。1つの現われであることが理解できれば争いはなくなる。
現状は1つなる生命が現象を顕していることが理解されず、自分生命をで自分を殺し、バーチャルのなかで、生きている。実相は見えない空の我であることに気づくための現象界である。本来の我に戻るための現象界である。生老病死は現象を認めることで起きる現象である。
人間がいると思う心がこの迷妄に惑わされてしまっているだけである。消えて行くものは実際にはないのである。無限の中に姿、形は存在しない。

2023年10月14日土曜日

神は完全意識


 神は完全意識

宇宙は意識である。完全なる意識が神である。
神は意識である。意識は創造の原理である。
すべては完全なる意識で生きるように創造されている。それを不完全なる善悪の分離感を造り出しているのは自分自身である。地獄があるのではなく、意識によって自らを良くも悪くも自分の意識で造り出している。造り主であり、造られたものである。
神一元の中に地獄は存在しない。愛の法則が宇宙そのものであり、神である。完全なる法則によって造られている。
現象を見て生きるから生老病死の四苦に囚われてしまう。完全に生きれば問題なく、悩み、恐怖、不安を抱えることはなくなる。
現象という仮相に生きる為、囚われてしまうだけである。真理は簡単であるが、現象を見るが故に現象に惑わされてしまう。
人間はお母さんから生まれてきたと思ってしまっているものには難しいとは思うが、これはクリアーしなければならない問題なのである。自分を知るまで自分探しをしなければならない。
本当の我は神であることに気づくまで。地上界で運動会をさせられる。
難しく考えるのではなく、簡単に原因、結果の法則を素直に受け入れるだけである。
原因が神なら、結果も神であることを素直に認められるかだけである。お金も宗教も必要ない。神は法則であり、愛の吸引の法則、陰陽に法則のことなのである。神様が特別にいる訳ではないのである。神の法則で人間という形に現象化しているのである。





2023年10月13日金曜日

神とは何ぞや?

 


神とは何ぞや?

神とは何なのか?宇宙に別に神様がいる訳ではない。神とは宇宙の法則のことであり、キリストは愛と云い、ブッタは慈悲と云っている。同じ宇宙の法則のことを云われている。
宇宙の法則は完全なる中性の法則であり、完全意識のことである。
神の意識は「想念は実現の母」であり、想ったことが顕れる意識の法則のことである。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが顕れる意識の世界。

完全なものを想えば完全が具現化する。不完全を想えば不完全が顕れる。
今の現象界は不完全なる仮相界であり。善悪の世界である。現象は実在しない幻想の世界。この不完全なものに意識があると不完全なるものが顕れてくる。
この想念意識を身口意で正しく使えば、永遠なる生命に生きることができるようになっている。想念の使い方を正しく使えば、全知全能の宇宙の力と知恵が使えることを知らず、仮相の実在しないものに囚われてしまっている。完全なる神としての生き方ができるようになっているにも関わらず、善悪の不調和の世界の中で翻弄させられている。
完全なる中に居ながら、自分で地獄の生き方をしているのが、偽我で生きる人類である。
神は完全なる法則であり、完全なるものを自分で不調和にしているだけで、すべて自己責任である。神とはこの完全法則、完全を想えば完全が具現化する、不調和の想念は不調和が具現するだけである。神は意識である、
何の経典も仏典も必要ない。難行苦行も必要ない。この法則に生きることである。
これが宇宙真理であり、難しいことではないが、どうしても自分で創り出す不調和の想念に持て遊ばれてしまう。


2023年10月12日木曜日

天国は我が裡にあり


 天国は我が裡にあり

宇宙は神一元、愛一元、愛の完全法則である、これが天国である。この天国は我が裡のある。法則が神なのである。この完全なる法則で生きるように人間は造られている。最初から完全なのである。人間は造り主でもあり、被造物でもある。
神の子であり、神の宮である。

宇宙は完全なる絶対調和体である。想念意識によって正しく使えば、生老病死の四苦の現象にに囚われることはない。
現象の見えるものをあると信じる心が不調和を生み出してしまう。この仮相界から抜け出すにはこの想念意識の切り替えで可能になる。お金かからない。宗教に入らなくても普段の生活で可能である。これを説いたのがキリストであり、仏陀であった。


神理はシンプル。完全なる中に居ることの自覚、完全なる生き方をする。見えるものをあると思う心が分離感を生み、自分で自分を惑わしているだけなのである。すべて自作自演である。

すべては与えられている。使い方が悪いだけである。完全を不完全のしているのは自分自身なのである。宇宙は完全意識である。想念意識を正しく使い、現象に囚われず、完全に生きる。これが神の法則である。法則が神なのである。神は汝の内にあり、法則は汝の内にあり、天国は汝の内のあり。神、仏と云うのは宇宙の法則のことである。これが真理である。真理にお金はかからない。この真理に気づくだけである。天国は今、自分の中に存在している。