肥田先生は超能力を引き出す時、脳幹部の思考停止と云われる。考えてはいけない。五感を停止させると。肥田先生も3大学4学部を同時に卒業されている。肥田先生が大学に行かれる時、村の為必要なものを選んで進学している。一般の方々は自分の生活の為に行くのが一般的であるが、肥田先生は大学には自分の為には行っていない。
能力は思考停止により、行うことを自ら体得されている。能力は学んで出すのではないということである。
能力は学ぶべきものではなく、内なるものを引き出すということになる。
今まで良い大学に行って学んで能力を身に付けることではないということになる。
知識は人の為ならずということになる。
内なる力を引き出す時、無我にならないと引き出せない。
自分があると引き出すことはできない。一般的に人間という身体に力があると思っているが、身体には力はない。宇宙は全知全能の力であり、知恵である。人間は全知全能を受け渡す受信機ということになる。自分という我を捨てた時、無我の境地になる時、初めて受け渡しができるということである。
人間は宇宙の全知全能の力を受けて流す道具にしか過ぎない。その為に造られた生命の被造物である。人間は無我を現わす被造物、生命の被造物、神の被造物ということになる。
肥田先生も人間は神の子であり、神の器であると云われている。
無我は宇宙生命体そのものであり、普遍生命であり、神そのものである。それが本当の我であったということを証明してくれた。