2022年5月15日日曜日

人間は気の葉である。


 人間は気の葉である。

1本の木は春になると芽を吹き、青葉になり、秋になると葉が紅葉し、冬になると葉が落ちて行く。木はこの繰り返しで生きている。
木の葉が生きているのではなく、気が生きているのである。木の葉は木が変化して木の幹から葉を出している。木の一部である。木の葉自身では生きることはできない。
人間も木と同じように木の葉なのである。人類は1つの木の60億という木の葉である。1人、1人は1枚の木の葉であり1つの生命エネルギーによって生かされている。
万象万物は宇宙の1つの木の木の葉である。すべては1つの生命エネルギーによって生かされている。
1本の木を見ると沢山の木の葉が幹に付いているが、すべて1本の木である。人間は1つの生命によって生かされていることを感じることができない為に木の葉どうしで争いをしている。
宇宙は無限大のエネルギーである。争いを起こさなくても空には無限大のエネルギーが眠っている。
万象、惑星はエネルギーの中に浮いている。1つの宇宙細胞体の中にある。この宇宙細胞体の1つの中には時空間は存在しない。
肉体離脱、昇天、悟りというのは1つの宇宙生命に気づくことである。人間と思っていると小さな力しか使えない。本来の我は宇宙であると思えば宇宙力が使えるということになる。人間は消えてなくなる存在であることは誰でも知っていることである。実際には人間は存在しないことを理解する。その為の現象界である。葉は変化して消えて行くが、木はまた葉を出し、生命活動をしている。人間も木の葉と同じ現象である。


2022年5月14日土曜日

地球バランスは誰が崩しているの?


 地球バランスは誰が崩しているの?

人類の文明が発達すればするほど地球に天変地異が起こる。幾度となく繰り返されてきた天変地異。宇宙の中では小さな出来事かも知れないが太陽系にとっては重大な問題である。1つの惑星がバランスが狂うとすべてに影響を与える。人間がちょっと歯が痛むと他に影響を与えるようなものである。
人間は宇宙の一部であり、そのことが理解できない為に地球のバランスを自ら壊し、天変地異を繰り返している。繰り返していてもそれにまだまだ気づかない人類。
自然界のバランスを崩していながらそれを人間は天災と言う。人災という事がわからない。
見えるものしか信じない為に起きるアンバランスの現象である。見えるものは見えないものの現象である事に気づかない。1人、1人の意識が天変地異を起こしている。すべては1つであるということを理解する為にこの現象界がある。現象は消え行く存在である。本源本質を気づく為に現象界があるのである。原因、結果の法則は原因を知るためのものである。

2022年5月13日金曜日

すべては空の現われ。


 すべては空の現われ。

宇宙の真理はたった1つの法則、陰陽の法則があるのみである。中世バランスである。
宇宙は1つの細胞体であり、見えるもの、見えないものは1つの生命体であり、1つの宇宙生命体が万象万物を現わしている。見えるものがあると見てしまう。見えるものは見えるものの現象であることをどのように理解して行くかは本人に任されている。見えるものが我ではなく、見えない空が我であることを理解することが悟空である。人間は万物の霊長と云われている。宇宙は霊であるということになる。
見えるものは見えないものによって動かされている。「想念は実現の母」と云われているように。見えないもの(意識、心、霊、想い、その他)の意識によって現象化している。原因、結果の法則である。人間、動物、植物、見えるものは消極である。
すべては1つの中の現われであることを知識で理解していても実際には理解していない。仮想の自分にしがみつく。消極なるものの世界で、如何に無くならないようにするかと人間は思っている。エネルギーが現象化させているもののからエネルギーを取り出している。エネルギーが我であれば外にエネルギーを求めなくても良いことになる。
肥田先生も蜂蜜のことで、「他のものの持ち物を取るな」と云われている。
人間は万物の霊長である。万物の霊長らしい振る舞いをしなければならない。


2022年5月12日木曜日

無限なる見えない空エネルギー


 無限なる見えない空エネルギー

顕在意識と潜在意識は2つで1つである。見えるものだけがあるのではない。見えないものの方が大きいのである。人類は見えるものだけがあると思っているが、奪い合いをしなくても宇宙には無限大の質料とエネルギーの世界である。
人類はこのことを知らないものだから見えるものだけにしがみつき、争いをしている。
お釈迦さんが見えるものも見えないものも同じものですよと云われているのに気づかない。色心不二ですよ。と云われているのに。見えるものも見えないエネルギーのバランスで現象化している。21世紀は見えないものと見えるものは1つであることを知る時代に入る。争いのない世界である。
見えるものは見えないものの現われ、宇宙は無限大の陰陽のバランスによって永遠なる生命活動をしている。この中に万象万物は1つなる生命により、現象化している。すべて見えない生命が形の中で形を動かしている。何ぜ、見える動いているものを信じてはいけないのかというと見えるものは結果の世界で消極、消えるものであり、意識がこの見えるものに合わせてしまうと無限大の我が小さな自分に合わせることで、宇宙の全知全能のエネルギーが使えなくなると同時に、諸行無常の世界から抜け出せなくなり、仮の宿から本宿に戻れなくなる。キリストが云われる「肉に生きるは死」であり、神の子が神の器を自分として生きることで地獄界をさ迷うことになってしまう。お釈迦様、キリストはこの事を云われている。

2022年5月9日月曜日

人間は完全の中に生まれている。


 人間は完全の中に生まれている。

宇宙は1つなる生命体であり、完全なる生命体である。完全なる中に居て不完全はない。
不完全の心は自分で作り出している。
宇宙は完全1元であり、無限生命であり、無限生命の中に有限は存在しないからである。
存在しないものをあると思う心が、不完全なるものを作り出してしまっている。
現象の形を見てあると思ってしまう。変化して止まない諸行無常の世界は内なる心の現われであることを理解していない為に起こる。色心不二である。見えないものが見える現象を現わしている。万象万物すべて現象である。本当の我は見えない中心生命、中心力が我である。肉体は中心なる心表現する為の媒体である。
キリストが「肉に生きるは死」と云われていることである。肥田先生も「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し」とキリストと同じことを云われている。肉体は心の表現体である。故に心身強健術なのである。心と肉体を1つとして使って行く。見えるものは心の変化の中にあるため、変化するものを安定して使おうと思っても安定して使うことができない。心は常在であり、肉体と1体で使う。肥田先生が云われる「天寵無限」である。エネルギーは無料である。無料であるというより中心よりエネルギーが入ってくる。中心バランスが我である。宇宙生命である。愛の法則である。
エネルギーは作るのではなく、入ってくるのである。腹も作るのではなく、つくられてくるのである。

2022年5月6日金曜日

肥田式は肉体を使って如何に能力を引き出すかの鍛練である。


 肥田式は肉体を使って如何に能力を引き出すかの鍛練である。

肥田式は万芸の泉と呼ばれている。何ぜ?。心身を一体にさせることで能力を引き出す鍛錬だからです。
一般的に肉体を使う為に丈夫身体をつくるという考え方が大方である。肥田先生は中心に入れば数回で良いとまで云われている。この事からも肥田式は肉体鍛錬をし、能力を引き出す鍛錬ではないことが理解できるはずである。
肥田式は肉体の取り扱いの説明書。肉体の取説である。宇宙のエネルギーを使う取り扱い説明書のようなものである。
人間の能力は顕在意識と潜在意識と云われている意識である。この意識は2つで1つであり、見える人間の動きは潜在意識によって動かされている。
見える動かされているものだけを見るが故に潜在意識が使えないのである。
すべてが1つ。宇宙は1つ。見えるものも見えないものも同じ1つのものである
。見えるものは見えないものによって生かされていることに気づくことで小さな自分であるが大きなエネルギーが使える。
学んで能力を出すのではなく、すべて持っているものを引き出す。これが中心力であり、自分自身である。人間は肉体に能力があるのであるのではなく、宇宙のエネルギー、知恵を受ける受信機であるということである。受信機の性能を上げる為に肉体の中心を使い、宇宙の知恵、力を引き出す鍛錬である。
中心力は自然界は作用、反作用の利動力である。
人間には自らには力はない。グライダーの如く、向かい風の中にあるエネルギーを如何に捉えて行くかである。幾ら肉体を鍛えても能力を得ることはできない。肉体道具を自分だと思ってしまうと自縛する。人間という姿形はピノキオであり、エネルギーによって動かされている器であること認識することで器から能力、知恵が出てくる。知識は人の為ならずである。すべての力は中心力が肉体を通して現れてくる。肥田先生の云われる天寵無限の宇宙力である。


2022年5月5日木曜日

この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか?仮の宿で何をすべきなのか?


 この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか 仮の宿で何をすべきなのか?

仮の宿があるということは本宿があるということである。
宇宙は霊界であり、人間を万物の霊長と呼ぶ。宇宙は無限の質料とエネルギーの絶対バランスで、絶対の生命循環、陰陽のバランス、中性である。
此処がすべての根源であり、見える姿、形はバイブレーションの低い状態である。この低いバイブレーションを上げることで本宿の見えない本当の自分に戻る。今は本宿から生まれ、個体という姿の中に住み、バイブレーションを上げ、霊肉一体にさせ、見えない本宿に戻る途中にいるのである。
人間という仮の宿に囚われてしまうと本宿には戻れなくなり、戻れるまで輪廻を繰り返す。
本来の我は人間の裡に本当の我が宿っている。こ゚の我に目覚める為に仮の宿がある。この世で一生懸命に働いて財を成しても死んでは持って行けないことを知り、本来の使命に気づくことで本来の我に気づく。
見えるものは不完全であり、人間のすることは完全なことは行えない。人間が生きると必ず自然界のバランスを崩す。争いを引き起こす。同じ生命同士で争いする。見えるものに囚われて生きてはいけないことを知る。人間、万象万物は神の化身であることを知り、1人、1人の意識を上げることで人類が争いのない世界をつくって行く事で本宿に戻って行く。人類を変える力は1人、1人の中にある。バランスがすべてを変える力になる。見えるバランスではなく、見えないバランスを取って行く。中心力、中なる心は全ての人の中にある。