2022年7月6日水曜日

宇宙は意識の世界である。


宇宙は意識の世界である。

想念は実現の母。宇宙は質料と生命エネルギーの世界であり、想いによって具現される。これが宇宙である。宇宙は素晴らしい世界ではないか。想ったことが現われる世界。良いことを思えば良いことが具現する。悪いことを思えば悪いことが現われる。
人類は見える現象に囚われ、見える起こっている結果の世界に生きている。こ゚の世界は現象なので幾ら直しても直ることはない。原因を直さない限り、直ることはない。
現象界に現れているものは波動が低い為に現れている。こ゚の現象界を直すのではなく、自分の波動を上げることで、このバイブレーションの低い世界から自分のバイブレーションを上げて行くことで人類の波動が上がってくる。1人、1人が自分の波動を上げて行く。
これが人間のなすべきことである。争いを起こす為に人間は生まれて来たのではない。
波動が低い為争いを起こしてしまう。波動が低いと争いを起こしても結果は良くはならないことが理解できない為に人類はまだ争いに明け暮れているのである。やったらやり返す。これでは悪くなっても良くはなることはない。意識想念ですべてが変わる。宇宙は1つなる生命体である。永遠なる生命体である。万物の霊長でりながら動植物以下の生き方をしている。現象に生きるは有限なる人生に終わってしまう。想念によって自由に変化させることができる。正しい想念をすることで波動が上がり争いは無くなる。すべて意識によって変化するのが宇宙界である。

2022年7月3日日曜日

実在と現象

 

実在と現象

殆どの人が見えるものが実在していると思っている。実在は永遠という意味である。消えてしまうものは実在していない。現象である。
見えるものはすべて消えてしまう。見えるものに本物、実在しているものはないということになる。
人間も消えてしまう。実在はしていないということになる。宇宙は1つなる生命であり、見えるものが見えなくなっても形が変化するだけでなくなることはない。すべては1つである。人間は形がなくなることを悲しむが実際にはなくならない。元に帰るだけである。氷が水蒸気になるだけである。人間は見えるものに囚われ、この中で縛られてしまっている。見えるものは結果であり、結果の見えるものはそれを現わす原因が必ず存在する。
宇宙は1つなる原因があるだけであり、結果は様々な現象を現わしている。1つなる神が多神を造る。八百万の神は1つなる原因の現われである。人間は様々な現象に振りまわされ、現象に生きてしまっている。現象は仮の宿である。この波動の低い見える現象界から本来の自分の高波動の我に戻らなけれなならない。本来の我は見えない実在なのである。見えるものは仮相界、見えるものは波動が低い為に見えるだけである。
現象というのは字の如く、現れた形と書く。宇宙は永遠なる世界であり、現象界は死の世界である。すべては1つなる生命であり、その現象が見える姿、形を現わしている。現象は消えても本質はなくならない。なくならないのだから 人間は葬式はしなくてよい。お釈迦さんは自分の肉体をガンジス川に流しなさいと云っている。本来の自分は肉体ではないと云っている。死なないのに何故悲しむの?宇宙は永遠である。死なない世界の中に人間は存在しているに見えるものに囚われ波動を上げることができない人類である。これはリーダーが行なうのではない。1人、1人が行なうものである。自分で自分の本宿に帰るだけである。


2022年7月1日金曜日

気合と意識発酵

 

気合と意識発酵

気合は肉体と心を1つに合わせて行く。発酵も質料を細かくすることでエネルギーを高めて行く。自然界の行なっているものは名前は違うが、同じことを意味する。すべては1つなる生命の現われであり、すべては1つになるものである。
人間は1つなる細胞の集合体であり、集合体の形を人間と呼んでいる。人間というものは形を人間と呼んでいるのであり、人間そのものは存在しない。形の名前である。宇宙は1つなる細胞の集合体である。その中の1つの形態を人間と呼んでいるに過ぎない。
すべては1つなる宇宙生命細胞体が様々な形態を造り、生命活動をしている。この細胞が万象万物を現象化させている。すべて生命細胞体であり、宇宙は存在している。原子と電子の世界である。
完全発酵したものは腐らない。未発酵のものは腐る。スーパーで買って来た野菜を冷蔵庫に入れて置くと水分がでで腐っている状態を経験する。路地もののトマトなどは腐らず、エネルギーの高いものはひなびて行くだけ。
人間も同じである。意識を外に向けて生きるとエネルギーが外に流れ、病気になって行く。裡に向けて生きることで発酵状態が保たれる。発酵は裡に内圧をかけることで無限の生命エネルギーを引き込むことができる。人間の意識圧が抜けると死である。
未発酵のままで生涯を終わるとまたその質料の波動で生まれてくる。キリストが云われている。死ぬものはまた生まれると。人間はこの現象界で自分を発酵させるためにこの世に現象化している。現象化しているものはすべて未発酵である。私も未発酵。完全発酵すれば形は存在しない。これが昇天であり、成仏である。1人、1人の中に神に戻る発酵菌が内在している。意識を発酵させて行く。形を持つものは未発酵状態である。エネルギーが高まると形は無くなる。肥田先生も光という言葉を使われる。


2022年6月30日木曜日

真我


真我

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる絶対なる愛の法則で永遠なる生命を維持している。すべてが1つなる生命が自分になる。宇宙は見えない完全なる中性であり、生命を現象化させる本源、本質である。原点(天)が宇宙である。この根源が万象万物を現象化させている。現象化させているものは見えない根源なる愛の法則である。
見えるものがあるのではなく、見えない法則が見えるものを現わしている。見えるものは実際には実在していない。1つなる生命は見えないエネルギーであり、質料にエネルギーが宿り、見える現象を現わしているそに過ぎない。人間も現象であり、すべての見えるものは現象である。人間はこの現象に心を奪われ、永遠なる生命を有限なる生命に囚われ、生きている。
本当の我、真我(神我)は1つなる見えない宇宙生命体が自分である。すべてが我であり、其処には争いはない。1つなる生命の中に争いはない。この現象界で現象は現われであることに気づくことで、地球の波動を上げることができる。宇宙は1つなる生命であり、その化身が人間であり、本当の我は見える姿、形ではなく、見えない生命が自分であることに気づき、自分の波動を上げ、地球の波動を上げて行く。


2022年6月29日水曜日

宇宙には争いは存在しない。


 宇宙には争いは存在しない。

宇宙には姿、形は存在しない。 あるのはそれを顕す原因があるだけである。見えるものはすべて波動が低いものが見えているだけである。人類はこれに気づくものが少ない。
人間は何ぜ現象化しているのか?が問われている。人類から争いがなくならないのは宇宙は1つであることを理解していないからである。キリスト教も「すべてのすべてありてあるものは神である。生命であると云っているが?それを実行するのであれば争いはなくなる。逆に争いが多くなっている。この世は現象を見て本当の我に気づく為のものであるから、自分がどのように捉えるかだけの問題である。波動が低ければ気づかない世界なのである。1つなる生命が現象化し、見える形を現わしている。それをあると信じる心が分離感を生み、争いの世界を演じてしまう。1つの永遠の中に生まれ、常に平安の中にいることに気づくまで。最初から幸せの中にいる。現象界は実在しない世界であり、それに気づく世界である。自分の中に幸せがあることに気づかない。汝の救いは汝自身なり。自分で気づかなければ救いはないということになる。人類は見える仮相ものだけに囚われている状態の中にいる。見える現象界は波動の低い状態である。1人、1人が波動を上げることでこの低波動の消え行く現象界から離れることである。この世の波動の低い、仮の宿、俗世から離脱する為にこの世に現れている。

2022年6月28日火曜日

想ったことしか顕れない


 想ったことしか顕れない

想ったことが現われる世界。これが宇宙であり、意識体である。この想念の力が質料を引き寄せ、具現化され、現象として現れてくる。宇宙は意識体であり、人間は肉体を意識によって動かしている。意識が動かしているだけで肉体が自ら動いているのではない。見えるものは見えない意識エネルギーによって動かされている。宇宙は意識であり、意識によって成れりである。想いによって知恵と力を裡から引き出している。力は外から入れるものではなく、裡から引き出すものである。中心力。中なる心が力であり、知恵である。
空は無尽蔵の知恵であり、エネルギーである。宇宙そのものが生命エネルギー体である。これを想念力によって1人、1人が裡から引き出して行く。すべては裡にある。こ゚の法則を現象界で理解し、人間という個体波動から脱皮して行く。自然界は作用、反作用の波動のギャップによって引き出している。肥田式はこれを利動力と云っており、中心力10、部分力9によって引き出している。力は作るのではなく、入ってくるのである。見えない本当の我に気づいて行く。見える姿、形を現わしている本当の我に気づいて行く。


2022年6月27日月曜日

本物と偽物


 本物と偽物

本物は永遠にあるもの。なくならないもの。偽物は消え行くもの。宇宙は1つなる生命体であり、絶対になくならないものが1つなる宇宙生命である。これだけが実存しているだけである。見えるものはすべて1つなる生命の現象になる。1つなる生命が多神を造る。多神は1つなる生命の現象ということになる。多神とは見えるものすべてである。宇宙には1つのものしか存在していないということになる。
人間も現象であり、実在してはいない。見えるものをあると信じる心が惑わしているだけである。本物は見えないエネルギーである。見えるものは見えないものの現われであり、実在しない現象である。見えるものは見えないものによって現象化しているだけに過ぎない。
本物は見えない。現わしている本質が質料を通して見える形となって顕れている。本物とは宇宙の1つなる見えない生命だけがあるのみである。見えるものはすべて偽りの現象である。